《第903話》『積み重なりし年月』
――できなかった。
夜貴を、手にかけることが。できなかった。あの瞳で見返された時、決めた覚悟がものの見事に砕かれた。
「…………」
そうして逃げ出して来た妾は、今はかつての住処に戻ってきている。
しもべ達が他の場所に住めるよう取り計らい、今となっては人っ子一人いないこの巨大な屋敷。時代が移り変わるごとに増築し、その時その時の建築様式を取り入れてきたこの住居は、いわばキメラ家屋と言っても過言ではない。
「――どうしてこんなところに戻ってきたのだろうな」
自分でもよく分からない行動に、自嘲の笑みを浮かべる。おそらくだが――夜貴と敵対することになった今、戻ってくる家と言えばここだから、だからだろう。と、自己分析をしてみる。
入口の戸に手をかけてみる。当たり前だが、錠がかかっている。長い付き合いたる家に拒まれた気がして顔をしかめる。
勿論、そんなことなどある筈が無いのだが。
「…………」
空間転移で腕だけ通し、反対側から鍵を開ける。そう複雑なわけでも無い扉の錠は、いとも容易く開放された。
埃っぽい空気。冷たい薄暗さ。そこに何者の気配もなく、今の妾はただの一人だった。
――夜貴。




