《第八十八話》『その頃の』
「も、もう駄目だぁ、おしまいだぁ――っ!」
「はぁ――とんだアクシデントに巻き込まれたものね」
全くツいていない。スーパーへ買い物に来たら火事に合い、防火シャッターに閉じ込められてしまうとは。
火の手は、もうすぐそこまで迫ってきている。ハンカチで口元を押さえているが、煙に追いやられる酸素だけはどうにもならない。
「お、おい、アンタ――」
「何よ?」
「お、俺はこれまでモてない人生を35年送ってきたんだ。け、けど、女の子とキスしないまま死ぬなんて嫌だ――!」
あたしに声をかけてくる、見た目よりも年を食った臭そうな男。正直、思考の邪魔をしないでもらいたいんだけど?
「だ、だから、え、ええと――キ、キキキ、キスさせてくれぇっ!」
「はぁ?」
うっわ、きもちわるっ! どこの誰かは知らないけど、いくら命の危機だからってよくもそんなことを言えたものね!? ――全く、意識から遮断しようとするのに思考を使っちゃって、それまで考えていたスマートな策を忘れてしまったではないか。
「アンタがどれだけその見た目通り惨めな人生送ってきたか知らないけどさぁ」
「は、はひ?」
あたしは、手近な電化製品の中を開いて電子部品を取り出し、棚の金属を外しながらそいつに返答する。
「あたし、心に決めたヒトがいるのよ」
そうして出来上がったロケットランチャー。それをシャッターへと向け、言い捨てる。
「だから、アンタみたいなゴミクズの相手をしてる暇なんて無いの」
――そう、あたし、静波多 藍妃には、こんなくだらない事件に巻き込まれている時間は恐ろしく無駄なのだった。




