《第873話》『つかの間の日常』
「夜貴、食べたいものはあるか?」
「え? うーん、ええっと――ハンバーグ、かな?」
「よし、ならば今晩の夕食はそれにしよう!」
妾は冷蔵庫から豚と牛のブロック肉を取り出して早速準備を始める。我が家の挽肉は、妾の包丁さばきによって作られるのだ。
あの場所で特に何かしようのない今、妾達は一度自宅へと戻っていた。いつまたあの頭痛が起こるか分からないが、今はいたって健常な状態である。
「また中を焦がして外側を生焼けにしないでよね」
「そうそう何度も同じ過ちは犯さんわ! 今日もパーフェクトに、鬼火調理を完遂させてくれる!」
「普通にガス台使えばいいのに! ええと――」
「呉葉だ。この世で最も愛しく愛らしい、お前の妻だ」
なお、失われた記憶は相変わらずのようだった。これまた奇妙なことに、妾の事だけをぽっかりと忘れ、そして一度認識しても、しばらくすると忘れてしまうようだ。
どうやら、事柄そのモノの記憶はあるようだが――それに関して誰と行ったかを思い出そうとしても、思い出せないと言った状態らしい。
――ショックはショックだが、現状命にはかかわりないようで、少し安心している。
勿論、割れるような頭痛の苦しみをまた味わうことになるかもしれないと思うと気が気ではないが。それでも今は、穏やかなこの状態に安堵を覚えている。
例え妾に関しての記憶が局所的に失われていても。辛い目に合っていないのであれば、そのほうがいい。
「テレビ、何チャンネルがいい? えっと――」
「呉葉だ。お前にとって最も愛しい者だ」
原因が分からぬ以上。今は他にどうしようもない。見当もつかないため、今は普通に生活を送る以外にできることはないのだ。




