《第862話》『人外魔境の一騎打ち』
先に動いたのはディアだった。まるで空中に壁があるかのように地面とは垂直に足を着けると、そこから矢のような鋭さで狂鬼姫に迫った。
「ククッ、元気がいいな」
だが目の前にまで跳んできたディアを、狂鬼姫は叩き伏せるように殴りつけた。その暴力たるや、かろうじて腕が振り下ろされるところを目撃できた程で、真紅の悪魔は周囲にアスファルトの破片を巻き散らかしながら叩きつけられる。
「ディア――! ……ッ!」
俺が声を上げるのとほぼ同時に、粉塵の中から尻尾が持ち上がる。先端が鎌のようなそれが振り回され、狂鬼姫に襲い掛かった。
「今の程度でくたばられてはつまらんからな。安心したぞ?」
しかし狂鬼姫は刃の根元を片手であっさり掴んでしまう。周囲に満ちた赤い稲妻を、小柄な身体の周囲に浮かんだ黒焔で打ち消しながら。
「尻尾を掴んだら、やはりこうするのが礼儀だろう」
狂鬼姫はもう一方の手を尻尾に添えると、ぐるぐる、ぐるぐるとディアを回し始めた。さながらそれは、ハンマー投げのようだった。
「そォれ!」
そして、そのままディアは跳びこんだ際よりもさらに速い速度で飛んで――、
「な――ッ!?」
「そォら!」
狂鬼姫が空間の穴へと消えたかと思うと、今まさに彼方へと行ってしまおうとしていたディアの真上に現れた。
およそ、建物の三階程の高さから拳の振り下ろし。ディアの身体は、まるで叩きつけられたハンマーのごとく大地を割り砕く。
――それでも、ディアは未だ健在だった。すぐさまぬるりと立ち上がると、頭上の狂鬼姫へと向かっていく。
「っ、おい、やめろ! やめてくれッ!」
その言葉は、どちらへと向けて放ったものなのか。言った俺にも分からない。
確かなのは、この人外魔境の戦いが、早く中断してほしいと願っていることだ。




