《第820話》『ステッキとシルクハットとタキシード』
「遊! おい、しっかりしろ! 遊!」
俺は破片をまき散らしながら倒れる遊に走り寄った。地面にその身体が横たえられる寸前、抱き留める。
「う、く―――……」
表面こそ人肌ではあるが、人形である遊から血が出ることは無い。だが、傷は深かった。敗れたゴシックロリータから覗く身体は、肩口から文字通り裂けていた。ともすれば、胴体が真っ二つに分かれてしまい兼ねない程に。
「ほう、滅びないのか。この世界の他の住民とはまた様子が異なるようだ」
声。あの時聞いた、名も無き悪魔の声。しかし、今しがた戦っていたそいつは、遊が致命打を負ったために拘束から解放されるが、口をきいた様子は無い。
代わりにスタリと、もう一人影が降りてくる。
「気分を害したなら詫びよう。この吾は、口が利けぬのでな」
名も無き悪魔の横に降り立ったのは――またもや名も無き悪魔だった。ステッキを持って、シルクハットをかぶりタキシードに身を包む手品師のようなその姿は、俺があの時目にした悪魔のものだった。
「――もう一つの反応。無警戒だったわけじゃないんだけどねぇ。二人いるなんて、初めて聞いたんだけど?」
「それはそうだろうとも。この吾は、先ほど吾が生み出したもう一人なのだから」
マントの悪魔の肩へと手を回し、さらにその体勢からそいつの白い顎をなぞる――タキシードの悪魔。並んだ顔は、表情のあるなしこそあるが、全くの瓜二つだ。
「アンタ、何を企んでいるんだい?」
「それを問われるのは二度目だな。以前は別の、吾に近き気配を持つ女だったか」
タキシードの悪魔は、何も包み隠す様子無く、ふっと微笑んだ。まるで、自慢でもしているかのように。
「この世界の終焉。そして、このもう一人の吾は、それに必要なピースの一つだ」




