《第735話》『暗き深淵の女』
僕は驚いていた。それはもう、驚いていた。
呉葉さんが大鬼を殴り飛ばしたことではない。いや、振りかぶってドカンと一発やっただけで何枚も壁を破って岸壁に叩きつけられたことに関しては、ものすごく驚いたのは間違いない。もはや、出来の悪い映像でも見ていたような気分である。
けれども、今僕を驚愕に満ちさせていたのは、別の事柄だった。
「…………」
真っ黒なドレスを着た、長い黒髪の女性。前髪がだらりと顔を覆い隠し、その表情は分からず、しかし妄執と言うか、怨念というか、そんなモノを感じる。
そして、僕はその亡霊じみた女性の髪の毛に捕まっていた。床を経由し、僕の身体をがんじがらめにして天井からつるしている。
先ほどの出来事の後、僕は突然黒髪に捕縛され、そのまま引きずられつつ別室まですごい速度で引きずられたのだ。
「な、何? 君は一体――!?」
「…………」
彼女は応えない。代わりに、しだれ柳のような黒髪の間から、虚ろな黒い瞳が僕を見つめている。
「何をしている静菱!?」
そこへ、呉葉さんが襖を開けて現れた。僕を挟んで、真っ黒な女性と向かい合っている。
「…………」
「あ? 何? 名前を間違えられた?」
――アレ? この黒いヒト、今喋ってる?
「カマ男なんかと名前を間違えられて、あまつさえ自分でさえ気がついていない事態が発生していた? なんのこっちゃ!?」
「…………」
「第466話付近? だから貴様は何の話をしているんだ静菱!?」
「…………」
「ええい、今は修正されているだの、これから起こる未来の話だの、わけのわからんことを!」
――話が、まるで見えてこないんですけど?




