《第698話》『悪いことをしたら、』
「目の前で、負けたくなか、った――?」
呉葉は、涙目で僕を見上げてくる。
「これがいつものただの殴り合いの延長であったならば、こんな手にはでぬ! だが、今日は夜貴が近くで見ていて、そして相手があの狐! どうあっても敗北はお断り願いたかったのだ!」
「――要するに、いいところを見せたかったんだ、ね」
「――うむ」
「でも、やっちゃいけないことは当然駄目だって、分かってるよね?」
「うむ――」
呉葉は頭を垂れる。その顔は、自分がいかに無茶苦茶をしていたか、それを悟っていた。
「――ほら、悪い事したら、どうするの?」
「…………」
「呉葉」
呉葉の両肩に手を置く。眉間にしわを寄せ、赤い瞳を潤ませる様子は、まるで子供のようだった。
「――わかった」
呉葉は鳴狐の元まで歩いて行く。そして、未だ分身したままの鳴狐二人の前で足を止めた。
「駄狐」
「な、なんじゃ?」
「…………」
「な、なん、じゃダンマリ、で、」
「え、あ、え、っと、その――」
呉葉は、しどろもどろで、視線を彷徨わせている。僕に見えるのは今、彼女の白い背中だけだが、その様子が手に取るようにわかる。
「――反則して、すまなかった」
「!? 狂鬼姫が、余に謝った――じゃと?」
「あと、なんだ、それから――」
「何じゃ、まだ何かあるのかえ!?」
「突如海水を浴びせたことも詫びる。――すまな、かった」
「!?!?!?!?!?」
そして呉葉は――鳴狐へと、深々頭を下げた。




