《第667話》『頂点の哲学』
ニュルブルクリンクでの敗北。そう――俺は、負けた。
自分の寝床たる打ち捨てられたガレージへと帰った俺は、適当な椅子にもたれかかり、鬼ババァの言葉の意味を考えていた。
大勢で楽しくやれればそれでいいと思っている。
直前、狂鬼姫はこうも言っていた。頂点に立つ者の責任だとか、頼られたから応えてやる、とか。だが、それは納得のいかないことだった。
何故なら、頂点とは即ち勝者であるから。勝者とはすなわち一人であり、者共の一番上に立つ孤高にして絶対無比であるべきなのだから。
だから、下の者に目をかける、と言った意味合いを持つあの鬼神の言葉は、少なくとも俺に対しては、侮辱以外のナニモノでもなかった。
何故なら、俺は頂点には立てなかった者。自分が望んで手に入らなかったモノを持つ相手から、情け、施しを受けることは、ハッキリ言って耐えがたいほどの辱めである。
けれども――あいつは、そんな独りよがりの次元で話をしてはいなかった。
自分のやりたいこと。楽しいことのために、力を使う。それでもって、他の奴らも楽しければ一石二鳥。
つまるところ、あいつにとっての頂点とは過程であって、自他ともに楽しむと言う結果のための通過点でしかなかったのだ。俺のように、目標なのではない。
だから、俺のような馬鹿相手であっても、敵対したからと無暗やたらに滅ぼすことはしなかったし、勝負を吹っかけた際はわざわざこちらの得意分野で挑めなどと言ってきた。
それにより、大勢のヤツ――俺でさえも、その、ハッキリ言って、楽しかったと思える瞬間があった。
挑まれること。戦う事。
半ば無理やり巻き込まれ、苦笑いしていた者も多く居たが、なんだかんだ開き直っていた奴らばかりだし、結局どいつも楽しそうに俺達の戦いを見ていやがった。
そこには、やはり狂鬼姫の頂点たる余裕と、相手の得意分野で戦うと言う、一見舐めプレイじみた行動であっても、そこに感じられる全力がマイナス要素を感じさせなかったからだと、俺は思う。
条件をある程度そろえるレースだって、単純な勝った、負けただけで楽しみが決まるわけじゃない。
……――到底、あの鬼神には敵わないなと、俺はため息をついた。




