《第609話》『だって妾出番なかったしー』
「夜貴、以前ホームベーカリーを買ったのを覚えているか?」
「うん。確か、買った後ちょっと使って、しばらく使わなくなって埃被ってた――」
「やめろ! せがんだ挙句放置し続けたことは謝る!」
どうしても、と言うから買ったのに、わずか三日で飽きられてしまえば、こんな風に言いたくもなるモノ。けれど、今日は――、
「今日は、そのホームベーカリーを久々に使い、パンを作ってみたぞ!」
「動いたんだね」
「まるでホームベーカリーの恨み節のように!? と、ともかくだ、今日の朝食は妾が作ったパン! いろいろ現在、試しているところなのだ、食べてみてくれ」
食卓に並んでいるのは、手作り感あふれる、やわらかな形の食パンだった。スライスされているが、特に何かを混ぜ込んでいるようには見えない。
「まあ、基本は大事だからな。まずは、そこからできるようにならねば、新たな道の開拓は――、」
その時、携帯電話の着信音が鳴った。呉葉の携帯だ。
「誰だこんな朝っぱらから? ――なんだ、零坐か。すまん、ちょっと電話してくるから、先に食べていてくれないか?」
気にしなくてもいいのに、とは思う。部屋を出て行ったのは、話し声がうるさくないように、と言う配慮なのだろうが。
「――まあ、そんなにかからないだろうし、待ってても……、」
「ほほう、ヤツがパンを焼いたのか」
「うん。ホームベーカリーを久々に使――って、呉葉!? え、今……、」
僕の隣からにゅっと顔を出してきた、白い女の子。赤い瞳や、白い衣服は漏れなく呉葉本人そのもの。けれど、どこか。何がとは分からないが、雰囲気が違う。と言うか、今さっきつけていたはずの猫エプロンをつけていない、白のワンピース姿。
この呉葉は、例の――、
「さて、妾はこれで消えるとしよう」
「えっ、ちょ――、」
その手には、ホームベーカリーで作られたパン。お皿ごと、全て。
「では、妾は消えるぞ。樹那佐 夜貴」
「消えるって、いつも毎回その場からって意味だよね!? あ、行っちゃった――」
「ただの地区内の連絡事項だった。零坐め、回覧板で回せばいいモノを――む? 夜貴、いくら妾の作ったパンがうまかったからとて、一瞬のうちに全て食べてしまわぬでも……」
「ち、違う、僕じゃないよ――!」
僕は、呉葉――狂鬼姫の方の、もう一人の呉葉が突然現れ、全て持って行ったことを告げた。
「あンの偽物めぇえええええええええええええええええええええええっっ!!?」




