《第三十一話》『闇の対照なるは闇』
妾の夫の話をしよう。
彼は対妖怪用の術を学びそれなりに戦闘能力はあるものの、いたって普通の人間である。それも能力自体は大して高くないし、自分で言うのもなんだが妾は鬼神とさえ呼ばれた存在なので、やはりその程度では普通の人間にしか見られない。
「あ、呉葉。おはよー」
「うむ、おはよう。いつの間にか、我が腕の中から逃れおって」
「いつまでも寝てるわけにはいかないだろ? もう10時だよ?」
「むぅ、よいではないか。お前は休み、妾ものんびり。よいではないか、よいではないか」
「もう――」
その「もう」というのはこっちのセリフでもあるのだが。全く、昨夜もずっと密着していたのに、なぜ手を出さないのだ。まあ、そんないつまで経ってもうぶなところも、妾としては愛しい。
しかし、そんな穏やかな顔の裏で、こいつは根深い闇を抱えていると、妾は見ている。その闇は決して他者に牙を剥かぬ代わりに、本人の心をしっかりと喰らわえて離さない。
「コーヒーでよかったよね?」
「いや、その闇ではなくだな」
「うん? ココアにする? それとも牛乳?」
「牛乳は嫌いだ。コーヒーでいい、コーヒーで」
ともかく、普段は顔を覗かせない息をひそめた魔獣の鎖がふとした時に覗くことがある。今も全く、その残滓すら感じられないが、昨日の喧嘩後には一瞬浮上した。身を滅ぼしすらしないものの、妾では思いすらしなかったそれを、この手で取り除いてやれれば、と思う。
「――まあ、インスタントでは大した香りがなくとも仕方ないな」
「奮発して、買ってきてあげようか?」
「いらんいらん。この安っぽさが逆に安心する」
「――無理してない?」
「――まあ、少し、な。だが、買ってこなくてよいというのは本当だぞ? 節約だ、節約」
きっと、そんな闇とは程遠かった妾では、そう簡単に取り除いてやれないだろう。根深さを知らない以上、どれだけ掘り進むべきか、皆目見当もつかない。
それでもこの手で救ってやりたいと思う。我儘かもしれないが、広く広大な世界へと連れだしてくれた夜貴に対する恩返しなどとか、そう言うことでもなく。
妾は、この夫を愛しているのだから。




