◆1. 小夜啼鳥(サヨナキドリ/The Nightingale)
どこをどのように通ってきたのか紗夢も理生もさっぱり思い出せない。
ただひたすら誰も通らないような狭い路地という路地を通り辿り着いた行き止まりにその店はあった。
「ねえ、リーダーがばっくれたバーってこんな感じじゃなかった?」
愛本理生の問いかけに、「そうだった」ような気もすれば「そうじゃなかった」ような気もしながら、人気アイドルグループAnytime Anywhere―通称“エニタイ”―のリーダー大月紗夢は考えていた。
(いい加減、伝説になってる『バッくれ銀座』をリベンジしないと、いつまでもたっても計と『二人ご飯』に行けないなぁ…。
本当は同じ店でリベンジしたかったけど、この際『似てる店』でもいいか。
そろそろ腹ペコにもなってきたし…)
秋に『三十路』に突入した紗夢は『エニタイ唯一の30代』として過ごせるこの1年を「大人らしく振る舞いたい」と心から思っていた。皆には言っていないが年明けにメンバーへお年玉をあげたのも、そんな心意気からだった。
(ごぉくん(=エニタイメンバー、佐崎祥悟)が『エニタイ第2の30代』に突入する1月までまだまだ時間はあるけど、そこまで引っ張らずにさっさと らーくん(=理生)とリベンジして、ずっと自分を誘ってくれてる計を喜ばせるんだ。―いつまでも『弟』を焦らすなんて、そもそも大人のすることじゃないし。)
「…んじゃあ、ここにする?」
紗夢は理生にゴーサインを出した。
紗夢の言葉に理生はにっこり笑うとスキップするような軽い足取りで♪(音符)のマークがついたその店のドアを開けた。
ドアの内側に下げられたベルが『チリンチリン』と心地よい音をたてた。
紗夢がかつて付き合っていた彼女がいつも首に下げていた『ミュージックボール』と同じ、軽い音だった。
この仕事をするようになってから こと人付き合いにおいてはすっかり過去を振り返らなくなった紗夢だったが、久しぶりの懐かしい音色にちょっぴりノスタルジーになった。
店の中に入るとまず目に入ったのは小振りのグランドピアノだった。
(ピアノバーなのかな?)
紗夢はそう思ったが、ピアノに弾き手は付いておらず、鍵盤を覆う蓋も閉まったままだった。
(…ピアノの『ふた』ってほんとは何て名前なんだろ?今度ごぉくんに聞いてみよう。)
ピアノの上には洋風なバーには似つかわしくない和風惣菜が数種、大皿に盛られ並べられていた。
京都のおばんざい屋さんのような光景に紗夢は高校を3日で辞めてしまって仕事一本になった16才の自分が、親元を離れ初めて一人暮らした、京都での日々を思い出した。
…またまたノスタルジーな気持ちになっていた。
どういうわけかこの店には紗夢の心を揺さぶるネタが揃い過ぎていた。
(間口が似てただけでやっぱり違う店だったんだな。あの時はこんなに動揺しなかったし、あの店にいた『女バーテンダー』もここにはいないみたいだし…。)
気がつけば一緒に来た理生は紗夢以上に腹ペコだったのか、ピアノに置かれた惣菜に心を奪われテンション上がりまくりだった。彼にとってはここが件のリベンジ先かどうかなんて眼中になさそうだ。
―まあ、連れが満足なら紗夢も何も言うことはない。
紗夢は少し高さがあるカウンター席に(よいしょ)とばかりに身体を持ち上げて座った。
しばらくして、ピアノ越しに若い女の子が姿を現し、
「いらっしゃいませ。」
と言ってカウンターの中に入っていった。アニメの主題歌を唄ったら似合うであろう、『艶やか』な声だった。手には楽譜を持っていた。
(ピアニスト?)
ぼんやりとそう考える紗夢と理生の前に、今度はカウンターの中のロールスクリーンの向こうから中年の女性が出てきた。
年齢の候からして、この店の『ママ』であろうその女性は紗夢と理生を見てにやっと笑うとこう言った。
「やっと来てくれたのねぇ…。君達すっかり有名になっちゃって。TVでさんざんうちの店のネタ振りだけしといて、もう来ないかと思ってた。」
…はじめは何の話かさっぱりわからなかった紗夢と理生だったが、親し気に話すママの顔をじいっと見つめてから二人は、ほぼ同時に叫んだ。
「女バーテンダー!!!」
ママは再びにやっと笑うと理生の連ドラよろしく、シェイカーを振る真似をした。
今は『ママ業』に徹しているため、客前でシェイカーを振ることはない。―ただ、自分が飲みたい時や昔からの常連客に請われた時、そして『お抱えシンガー』達が最高のパフォーマンスをみせた時にカクテルを振る舞うのだとママは言った。
「『お抱えシンガー』って?」
本当は人見知りな性格のくせにママから親しく接してもらって安心しきったた理生は、すっかり打ち解けタメ口でママに聞き返した。
「ああ、うちね、『アカペラ・バー』なのよ。 君達が初めて来たときは所謂『銀座のバー』だったけど、あれから程無くして何でだったが急に『美酒に音楽は欠かせない!』って心に火が着いちゃって、『ピアノバー』に転身したの。鎮座ましますあのグランドピアノがその時の名残。―でも、なんたってこの辺鄙さでしょう?
『聴衆がいない所で弾けるか!』
って、ことごとく雇ったピアニストに辞められちゃって…。
―そんな時サキちゃん…ほら、さっきビアノのそばにいた娘…が仲間と一緒にアカペラを演ってくれたの。
…助かったわぁ。だって「『生ピ(アノ)』で勝負!」とか思っちゃってたから有線も解約してスピーカーも売っちゃってたし…。
さすがに無音のバーじゃお酒も美味しくないし弱ってたの。たまたまサキちゃんが彼氏と音楽仲間と飲みに来てて、何がきっかけだったか忘れちゃったけど、サキちゃん含めて皆で5人だったかな…唄い出したアカペラが秀逸でねぇ…。
それ以来この店はアカペラを演るようになったの。
『歴代のお抱えシンガー』達にお願いしてね。」
「『歴代の…』ってことはたくさんいるってこと?」
機関銃のように一方的に喋るママが一息ついたところで理生が尋ねると、ママは自分用に作った水割りで喉を潤したあとこう答えた。
「サキちゃんはじめ、この店に出入りするようになったサキちゃんの後輩たちが替わるがわるやって来てはノーギャラで腕試しを兼ねて唄ってくれてるの。事前にサキちゃんがきちっとオーディションしてることもあって、そこそこ“聴ける”歌声よ。…まあそれでも君達みたいに音楽を生業するのはいつの時代も難しいみたいで、ミュージックスクールを卒業してからもずっと来てくれてる固定メンバーはサキちゃんだけなんだけどね。」
―理生がママの話に熱心に耳を傾ける傍ら、紗夢は早くも話に飽き始めていた。
ふとメニューに視線を落とすと、
『“声”売ります。』
とメニューの一番下に書かれている。
(ハンバーガー屋の、「スマイル0円」的な…?)
しげしげとその告知を見つめる紗夢に気づいたママが言った。
「それ変わってるでしょ?サキちゃんが告知主なのよ。
マッチ売りならぬ『声売りの少女』なあんてね。
…そう言えばそろそろその声を聴ける時間だわ。
君たち、運がいい。やっぱり『持ってる』ね、スーパーアイドルは。」
再び一方的に喋るママが何を言っているのか理解できない紗夢と理生が戸惑っているところへ、件の告知主が楽譜らしきものを持って姿を現した。
「ママ、そろそろいいかな?」
出迎えてくれた時と同じ鈴が鳴るような声にママは
「どうぞどうぞ。」
と答えるやいなや、紗夢に向かって言った。
「リーダーくん、申し訳ないんだけどグランドピアノの上のおばんざいをこっちのカウンターに移動してもらえるかしら?思う存分タダで食べていいから。」
紗夢は立ち上がり、ママに頼まれたとおり、おばんざいの皿をカウンターへ運んだ。理生も紗夢を手伝ったので、ピアノの“蓋”いっぱいに置かれていた皿たちはあっと言う間に移動が完了した。
「…ありがとう。」
三度、鈴が鳴るような声を聞いた紗夢はいよいよ心が緩んだ。
(…かわいい。やっぱり好きだわ、この声。)
口ではいつもの寡黙な紗夢らしくボソッと、
「…ど(う)もっ。」
…と返しただけだったが、胸の中は幸せな気持ちでいっぱいだった。
“鈴鳴り嬢”は、柔らかい布でマホガニーのピアノの蓋を拭くと、蓋を開け弾き語り始めた。
曲は偶然にも、その頃紗夢一番のお気に入りだった、木村カエラの♪butterfly♪。
…もう、紗夢は“鈴鳴り嬢”ことサキの歌声に骨抜きになった。
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