天使の拾い子
あたしの家族は天使みたいな人たちだ。
お母さん、お父さん、そしてお兄ちゃん。
あたしに対して常に優しくて、
たまに注意はするけど叱るなんてものじゃない。
暴力はもちろん、暴言すら吐いたことが無い。
あるとしても、お兄ちゃんがたまに意地悪をするくらいだ。
だからなのだろうか。
あたしがこんな性格に育ってしまったのは――……
「那美ちゃん、忘れ物は無い?」
「……多分」
「気をつけてね。行ってらっしゃい」
「……」
あたしの名前は早川那美。
お母さんとの朝はいつもこうだ。
心配性すぎてうざったくなるような言葉を無視して高校へと向かう。
高校二年生ともなると親と喧嘩しない人はごく僅か。
その僅かに入ったのがあたしだ。
甘やかされることは嫌じゃない。
でもそれがうざったくなるときって、きっと誰だってあると思う。
いつもの郵便局の角を曲がって駅へと向かう。
買って貰った携帯を開き、用も無くメールを打った。
通話料も全部親負担。
バイトなんて親に禁止されている。
こんなときは良い。感謝している。
ここぞとばかりに沢山使ってけど、
料金の明細書は見たことが無い。
親は何にも言わない。
親に何があってあたしを自由奔放にしているのかも分からない。
あたしが親に甘えているのは確かだ。それに感謝もしている。
向こうも甘やかしてる。
わがままだけど、それが嫌だ。
恥ずかしいし、ときどきうざったい。
自分がわからない。
なんて、そんなこと、誰にも言わないけど。
「那美、また機種変えたの?」
駅で待ち合わせていた加奈子が言った。
加奈子とは中学校からの仲で、クラスは違うが高校も一緒だ。
一番の理解者であり、親友である。
でも、あたしの家族のことは言ったことが無い。
「うん」
「金持ちだよねー……那美ん家」
「でも番号変わんないから。安心して」
あたしはそれとなく話をずらした。
駅から5分ほどのところに高校がある。
加奈子と待ち合わせる意味も大してないのだが、何故だか毎日一緒に登校する。
「……まあねぇ、そんなしょっちゅう変えられてたら困るよ」
そう加奈子が呟いた。
***
「きりーつ。れーい」
また一日が終わってしまった。
あの家に帰るのが嫌だった。
またあの甘ったるい声で、「那美ちゃん」と呼ぶのだから。
そう思いながらも一人で家へと帰る。
加奈子は陸上部で練習があるため帰りはいつも一人だ。
あたしは嫌々ながらも早足気味で帰った。
真っ直ぐ帰ってこないと心配されるから。
鍵を開け、ドアを引くとまたあの声が聞こえる。
「那美ちゃん、お帰り」
「……ただいま」
あたしは聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声で言った。
そして真っ先に自分の部屋へと向かった。
床に鞄を叩きつけるように置くと、ベッドに横たわった。
どうしてあたしの家族はこうなんだろう。
甘やかしたらいい子に育つと思っているのか。
「……逆だよ……」
あたしはぼそっと呟いた。
それは薄暗い部屋に吸い込まれて消えた。
愛情が重たすぎて辛い。
「甘やかしてあげるからいい子にしててね」って言われてる気がする。
いい子にしてなんていたくない。
愛情って、きっと辛いときもある。
趣味を勝手に押し付けられるみたいに。
きっと、そうだよね……?
あたしはいつの間にか寝てしまっていた。
体を起こして携帯の時計を見ると、五時半。
夕食までにはまだある。
家の電話が鳴った。
数回繰り返すと途切れた。誰かが出たらしい。
あたし当てではない。
携帯の番号しかみんなに教えていないから。
あたしがまた布団に寝転ぶと、誰かが凄い音を立ててこっちへ来るのが分かった。
乱暴にドアが開いて、母親が飛び込むように入ってきた。
「那美ちゃん!お祖母ちゃんが倒れたって……
今から行ってくるから!!お留守番お願いね!!」
あたしは一瞬何がなんだかわからなかった。
お母さんはいつも焦るとこんな感じだが、毎回慣れない。
「……はーい」
そう返したときにはもうお母さんの姿はなく、
あたしはただ呆然とするしかなかった。
乱暴に玄関のドアを閉める音がして、鍵が荒っぽくかけられた音がした。
あたしはそっと廊下に出てみた。
ひんやりとした床。冬にはそれが新鮮なようで、痛くもあった。
靴下履いておけばよかった。
どうやらお母さんはお兄ちゃんも連れて行ったらしかった。
あの様子だ。慌てていて事故にでも遭われたら困る。
その点お兄ちゃんが付いて行ってよかった。
ということは、家の中にあたしだけ。
夢にまで見た自由。
嬉しいはずなのに、なんとなく寂しいのは誰も居ないせいだろうか。
あたしはその足でリビングに行こうとした。
しかし、足が止まった。
お母さんの部屋。
いつもここに入ることだけは禁止されていて、
禁止するところが違うだろ、っていつも思っていた。
ちょっと、覗いてしまおうか。
わくわくしながら部屋のドアを開けた。
しかし、そんなに楽しい物でもなかった。
お母さんの趣味だから、つまらないとも思ったけれど。
お母さんは地味だ。
地味な割りに、あたしが小学生のころに
やたら派手な洋服を買ってくることがあった。
思えば、あたしはお母さんの希望なのかもしれない。
ふと小さな棚の上の日記が目に留まった。
こんなのつけていたんだ、と思った。
興味本位でぱらぱらとめくった。
料理がどうとか、近所の山田さんが離婚の危機だとか、
そんなことがつらつらと書いてある。
なんだよ……と思いつつもページをめくった。
そこでめくる手が止まった。
そのページの日付はあたしの誕生日だった。
『今日は那美ちゃんの誕生日。
拾ってから、もう17年が経つんだなぁと思いました。』
拾ってから……?
あたしは暫くそのページを見ていた。
万年筆で書かれたその文字は何度見ても変わることなかった。
あたしは前の年の日記を探した。
日記が置かれていた棚の引き出しを開けると
驚くほどあっさり見つかった。
そしてあたしの誕生日、七月三日を探した。
名前の由来はその誕生日だ。
でも今はそんなことどうでもいい。
『今日は那美ちゃんの16回目の誕生日。
とてもよく育ってくれました。
相変わらず冷たいけれど、私はこの子を拾ってよかったと思っています』
やっぱり、『拾った』と書かれている。
あたしはその場に力なく座った。
その時、鍵を開ける音がした。
開けっ放しの部屋のドアから声が聞こえる。
「母さんたら……間違い電話に気づかないのかよ……」
「俺が実家に電話したら母さんピンピンして電話に出てたぞ……
勝手に倒れたことにするなよなぁ、人の親を」
「だって凄く心配だったのよ!?」
やめて、来ないで。
お兄ちゃんもお父さんも、お母さんも。
今、来ないで……
「……那美ちゃん?ここに入っちゃ……あ……!」
お母さんが来た。
あたしには返事をする気力も無かった。
「那美ちゃん、見たのね……?」
「……るさい」
「……え?」
「……うるさいって言ってんの!!」
あたしは立ち上がり、日記を床に叩きつけた。
お母さんはビクッと震えて、あたしを見た。
「あんたたちみんなしてあたしをお客扱いしてたんでしょ?!
何が……家族だって思ってたのはあたしだけだったの?!
お客さんはなんもしなくていいよ……って……」
あたしは最後もう何が言いたいかわからなくなってきて、
お母さんをすり抜けて、靴もまともに履かないまま家を飛び出した。
お母さんは目を真ん丸くしてた。
お父さんとお兄ちゃんが後から覗きに来たのが分かった。
あたしはボーっとしながら、行く宛も無いまま、
近くの土手のサイクリングロードを歩いていた。
あたしの頬にいつの間にか涙が伝っていた。
足がジンジンと痛んだ。
家を出る前まで、靴下を履いていなかったことを思い出した。
みんな、あたしに靴下を履かせてくれていただけだったんだ。
あたしはいまさらだけど靴を直した。
どこかでお兄ちゃんの声が聞こえた気がした。
「……那美ちゃん!」
ふとお母さんの声が聞こえた。
あたしは振り返らなかった。
その呼んでいるお母さんの声が掠れていたから、
また泣けてきた。
走る足音が近くなる。
あたしは駆け出した。
追いつかれないように、必死に走ったけど、
涙でつまった口と鼻が苦しくて、すぐに止まった。
何回か咳をしたとき、お母さんがとお兄ちゃんが息を切らして追いついた。
その後に来たのは多分お父さんだ。
お母さんがあたしの前に回った。
「……那美ちゃん……」
「……ほっといてよっ……」
お母さんはまだむせているあたしの背中をそっと撫でた。
あたしはその手を軽く払うと、ゆっくり顔を上げた。
多分、今あたしの顔は真っ赤だろう。
涙と咳と、もっと大きいもののせいで。
そんな顔を見たからか、お母さんは一瞬悲しそうな顔をして、
あたしをそっと抱きしめた。
お兄ちゃんは何も言わなかった。
あたしはお母さんから逃げようとしたけれど、
不思議と体が「腕の中にいたい」って言っている気がして、
そのまま大人しくしていた。
温かさが伝わってきて、また涙が溢れた。
「那美ちゃん」
不意に耳元で声がした。
あたしは過剰反応して体をビクッと震わせた。
「黙っててごめんね……?
拾ったのは確かなことなの。でも、それで甘やかしてたんじゃない。
あなたは私の希望なの。ただ、それだけなの……」
お母さんはそれだけ言った。
あたしは泣いた。
この世で一番長く泣いた女って言われてもおかしくない。
それくらい、あたしは泣いた。
後からお父さんに
「お母さんは養女で、虐待されていた」と聞いた。
また泣いた。
ごめんね、お母さん。
愛されることが辛いなんて思って、ごめんなさい……
お母さんの希望、叶えられるような子じゃなくてごめんね。
そんなこと言えないけど、伝わってるかな。
あたしは天使に拾われた子だ。
本物の天使じゃない。
天使みたいな人たちがいる、そんな家に。
あたしは天使にはなれない。
「……お母さん、……おはよう」
でも、なる努力ぐらいはするつもり。
きっと、これからも。
読んでくださりありがとうございました!
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