少年と“約束”-1
目を閉じた分、肌で感じる感覚が鋭くなっているのだろうか。
少年が一言紡ぐたびに、質量も熱量も持たない不形の何かが徐々に集まり、自分を押しつぶそうとするのがわかる。前かがみになって膝に手をあて、その圧力に息をつめた時、ふわりと身体が浮き上がるような気配がした。
眩暈にも似た浮遊感。それを、唇を噛んでやりすごすと、すぅっと周りの温度が下がった。目蓋の向こうで明滅していた光や周囲の圧力も消えている。
「お疲れさま。もう目開いていいよー」
のんびりとした口調に戻った少年の声に、悠樹はふっと息を吐き出し、目を開いて。
そして、吐き出したばかりの息を飲み込んだ。
そこは見たことのない部屋だった。大理石のような艶やかな輝きを放つ床と壁、格子のはまった大きな窓に、深い藍色のカーテン。こげ茶色の重厚なドアから伸びたレッドカーペットは金糸で縁取りされており、その先、部屋の中央には天蓋に覆われた大きなベッドが鎮座している。高い位置にある天窓から差し込む陽光がベッドを照らし出し、さながらスポットライトのようだ。
「なに、これ」
呆然と呟く悠樹の傍らで、少年は笑顔を浮かべた。
「約束だよ。呪い、解いてねー」
とん、と背中を押されて我に変えると、悠樹はあわてて振り返った。少年は、その外見にそぐわない落ち着きで悠樹を見上げている。
「ちょっと待って丸投げしないで説明して。ここはどこで私はなんでここにいてこれからなにをすればいいの。っていうかあなた一体何者なわけ?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
少年は目を丸くして指を顎にあて、考えるような仕草をした後で、ああ、と頷いた。
「言ってなかった。けど、僕説明下手だよ。それでもいい?」
(なんでもいい)
口には出さずに頷くと、少年は悠樹を部屋の隅にあるソファへ案内し、自分はその傍らに置かれた銀製らしいワゴンでお茶の用意を始めた。勧められるままに腰を下ろした悠樹は、手馴れた様子でポットに湯を注ぐ少年を見つめた。
小学校三年生くらいだろうか。ふっくらとした頬と薄い桃色の唇に宿る子供らしいあどけなさ。ぱっちりとした二重目蓋ときれいに上を向いた睫毛、翡翠色の瞳は目を惹き、人形のように整っている容姿は肩の高さで切りそろえられた真っ直ぐな黒髪と相まって少女のようにも見える。
自分を観察する悠樹の視線を気にした様子も見せずに紅茶を注いだカップを差し出すと、少年は悠樹と向かい合うようにしてソファに腰を下ろした。そして、口を開く。
「まずは場所だっけ?ここはセルナディア王国ラストゥール城の、黎明の塔最上階」
「セル……?」
(なんでそんなところに、一体どうやって……)
新しい疑問も出てくるが、ひとまずカタカナで告げられた国を探そうと脳内に世界地図を広げた。聞き覚えはないが、ヨーロッパあたりだろうと想像しながら。
「セルナディア。君たちが言うところの……」
わざとらしく区切って、少年はにこりと笑う。
「異世界」
ぷしゅん、と音を立てて世界地図が消える。目と口を開いて自分を見つめる悠樹を、少年はにこやかな笑顔で見返していた。