術師フィルドの術式講義-1
目を閉じ、前に置かれた皿に手をかざす。皿の上の濡れた紙片と両の掌に気持ちを集中させていく。気持ちが静かに高まっていくのを感じて、ゆっくりと願いを言葉に変える。
「時よ戻れ、かつての姿を取り戻せ」
掌がぽぉっと熱くなり、それが離れていく感覚。術が発動した合図だ。
「んー……いいよ。目を開けて」
そう言われて恐る恐る目を開けると、皿の上には紙が一枚。濡れていたはずのそれは完全に乾いていて、パリっと強張った表面と滲んだ文字を悠樹に見せつけていた。
「あれ?」
「紙は乾くって目的は達成できたみたいだね。時間戻しの術言で時間を進めるって、すっごい器用。スリル満点実用性ゼロ」
にこにこと笑いながら嫌味を言う少年術師を横目で睨み、悠樹は大きなため息をついた。
術式研究棟でフィルドから術の手ほどきを受けるようになって、しばらく経つ。悠樹は確かに術師としての適正があったらしく、術言を口にするだけで様々な不思議現象が起きるようになった。
最初はその事実に喜んだ悠樹だったが、「起きてしまう」のであって「起こせる」のではないということに顔を青くした。
濡れた紙を乾かす、という初歩のコントロール術で明らかになったのは、火属性で炙って乾かそうとして燃やし、水属性を使って水分を飛ばそうとして乾燥させすぎて砂と化し、風属性で自然乾燥させようとして細切れにし、空間属性で乾いた場所へ移動させようとしてどこかに消した。
そして今、時間属性で濡れる前に戻そうとしたはずが、数時間経過した後の状態にしてしまったばかりだ。
悠樹は恐怖の 『ノーコン』 だったのだ。
「なんでこうなんだろう。」
「……あの世界で周囲の時間を止めたのも、術が暴発した結果かぁ」
すっごい才能を見つけたと思ったのに、と呟いて、フィルドは立ち上がった。
「細かなコントロールを覚えてもらわないと、危なっかしくて何もできないね。害のなさそうなところから始めるよ」
「…………よろしくお願いします」
うなだれたまま頭を下げる悠樹に、フィルドがくすりと笑う。
悠樹は気付いていないが、彼女はすべての属性への適性を見せていた。コントロール力は壊滅的でも、苦手属性を持たない術師はかなり稀有な存在だ。
うまく成長させることができれば、自分の仕事の一部を任せることができる。
フィルドの脳裏からは、本来の『元の世界へ戻す』という目的がすっかり抜け落ちていた。