白い世界-1
命の危機に瀕した時、人は過去の出来事が走馬灯のように駆け巡ると言われている。だが、悠樹にはそういった映像はなかった。過去を振り返る余裕もなかった。何も、考えられなかった。
だから気付かなかった。
クラクション、ブレーキ音。
若菜と昭穂の声、知らない人の叫び声。
風の音、自分の鼓動。
あれほど大量に溢れていた膨大な量の音声が何も聞こえないことに。
耳鳴りがするほどの静寂が自分の周りに現れた事に。
その事に気付く事も、不思議に思うこともなく。
悠樹はただ、目を閉じて身体を固くしていた。
どのくらいそうしていただろうか。
目前まで迫っていたはずの「その時」が訪れないことが、悠樹の心にぽつりと疑問を落とした。
(……痛く、ない?)
何も考えられなかった真っ白の心に落ちた疑問は、波紋のように広がって行く。
(トラック、突っ込んできた、よね……もしかして、私……死んじゃった?)
ぶつかるような衝撃は感じなかった。はねあげられるような痛みも感じなかった。でも、トラックが作り出していた振動や、強めに吹いていた風も感じない。
そうと気付かぬうちに命を落としたのなら。
痛みも苦しみもわからぬうちに命を落としたのなら。
(もしかしたら、こんな感じなのかもしれない)
諦めに似た思いが浮かぶ。同時に、それを打ち消すように悠樹は自分自身に言い聞かせた。
(これは夢。きっと夢。もうすぐ目覚まし時計が鳴って、目を開けたら私の部屋)
(これは夢。きっと夢。もうすぐお母さんが起こしに来て、目を開けたら私の部屋)
(これは夢。きっと夢。もうすぐ台所から朝ご飯の匂いがして、目を開けたら私の部屋)
毎朝繰り返してきた風景を何度も繰り返し思い起こしてから、悠樹は心の中でカウントを始めた。
(サン……ニ……イチ……)
「ゼロ」
最後の数字を声にして、おそるおそる目を開ける。
と、悠樹は息を飲んだ。
トラックが、目の前数センチの位置で停止していた。あまりに近すぎて、運転席を見る事はできない。
首を動かすと、道路の向こう側に友人たちが見えた。こちらに手を伸ばして泣きそうな昭穂と、両手で顔を覆っている若菜。
反対の学校側にも、同じ学校の生徒たちがいた。同じ制服を着た見知らぬ生徒数人が、こちらを驚愕の眼差しで見つめている。
そこにあったのは、あの一瞬と変わりない風景。違うのは、彼らがすべての動きを止めていたということ。
そして、すべての色を失い、モノクロの群像と化していたことだった。