暁姫-1
ふかふかのソファに身体を預け、制服のネクタイを抜き取る。ついでにシャツのボタンを二つ外して襟元を緩めると、悠樹はため息をついた。
案内されたのは、塔の隣に建つ洋館の一室。自宅のリビングよりも広いその部屋に、「好きに使え」という言葉とともに放り込まれてしまった。
毛足の長い絨毯にアンティークの応接セット。湖畔の古城を描いた大きな絵が飾られた壁の前にはローチェストが置かれ、チューリップによく似た花が生けられている。その奥には一般家庭では到底見られない広さのトイレ、風呂場。そして先程ファルシオが寝ていたのと同じサイズのベッドが鎮座しているにもかかわらず、狭苦しさを感じさせない寝室がある。
豪邸訪問気分で探索している間は楽しいが、一度その興奮が冷めてしまうとあまりに広すぎるその空間は落ち着かない。
そこへ、陶器の触れ合う音と共に一人のメイドがティーカップを差し出した。琥珀色の液体が注がれ、柔らかな湯気を立てている。礼を言ってカップを両手で囲むように持つと、ふわりと良い香りが鼻腔をくすぐった。一口含んで、その香りとハチミツに似た甘みが広がっていくのを感じ、同時に肩から力が抜ける。
「んー、おいしい」
「ありがとうございます」
思わず漏れた言葉に、メイドが笑顔で頭を下げた。
同い年か、少し年下くらいだろうか。アリアと名乗った少女は、悠樹の部屋付きのメイドだという。無駄な装飾が一切ない、黒を基本としたロングスカートのエプロンドレスという控えめな服装にも関わらず人目を惹く美少女だ。好奇心の強そうな大きな目とゆるく巻いた栗色の髪が、あの横断歩道で別れたままの友人イメージと重なって悠樹の顔が曇った。
(あの後、どうなったんだろう。若菜、昭穂……心配してるよね)
「お疲れのご様子ですね。お夕食前に少し休まれますか」
ほっと息をついてからまた表情を曇らせる悠樹に、アリアが声をかける。それに頷きかけて、悠樹はゆるく首を振った。
「その前に、教えて欲しいことがあるの。暁姫ってそもそも何?」
「暁姫、ですか?……もともとは、“朝を告げる女神様”の名前です。困難や人生に迷ったとき、その者の近くに現れて最良の道を指し示してくださると言われていますが、今ではファルシオ殿下の呪いを解いてくださる方という意味で使用することが多くなりました」
説明を聞きながら、ふ、と悠樹の顔に苦い笑みが浮かぶ。
(道を指し示す女神……。本当にそんなものがいるなら、私にも道を示して欲しいわ)
暗く笑う彼女を、アリアが気遣わしげに見つめていた。