if 教授とお買い物-2
「勝手に抜け出したりして。知りませんよ?」
古書店へ向かう途中、シルクがまた同じセリフを繰り返す。馬車の中で嫌というほど聞いたその言葉に、はいはいとおざなりに返事をしながら悠樹は左右に立ち並ぶ建物を見回した。
そこは閑静な住宅街で、背の高い木組みの家が建ち並んでいた。白い壁や装飾も兼ねた木組みには丁寧に補修された跡があり、大切にされていることが窺える。シルクの話では、眠りに就く前からあった旧市街の一部だというから、もう何百年間もこの姿を保っているのだろう。
「二つほど西の通りは商店が多いんです。あとでそちらにも寄りましょうか?」
「いいの?!」
熱心に建物を見ている悠樹にシルクが苦笑して提案する。悠樹は目を輝かせて振り返り、その視線の先で男が頷いて見せた。
「構いませんよ。抜け出してしまった事実は変わりません。どうせなら、楽しんでから怒られましょう。」
開き直ったように言うと、シルクは一軒の民家の前で立ち止まった。入口は小さく出窓には格子が嵌っていて、どこか閉鎖的で陰鬱とした雰囲気が漂っている。
「ここ?看板、出てないけど。」
「出していないんです。古書店といっても今はもう副業みたいなものですから。」
淡々と答えて、シルクはココン、コン、とリズムをつけてノッカーを叩いた。だが返事はない。悠樹が首を傾げていると、シルクはまたノッカーをつまみ上げた。今度は先程よりも強く、連続して叩く。その数五回。間をおいて、またコココン、コンとリズムをつけて叩くと、カチリと鍵の開く音がした。
「少々特殊な場所ですが・・・驚かないでくださいね。」
「う、うん。」
わずかに引きつった顔で頷く悠樹にシルクが苦笑を返し、扉を押し開く。直後、小さな塊がシルクへと突進してきた。
「おかえりー!」
「へ?!」
シルクの腰あたりに飛びついたのは、五~六歳の女の子だった。頬を擦り付けるようにしてからシルクを見上げる蕩けるような笑顔がたまらなく愛らしい。
だが悠樹は、少女を抱き上げたシルクを目を丸くして見上げた。
「シルク、子供いたんだ。」
「いませんよっ!?」
慌てたように言うシルクには構わず、女の子を見つめる。薄い栗色の髪はこの国では珍しくないが、その奥にある瞳の色は澄んだ藤色だ。きょとんとこちらを見つめ返す瞳に笑いかけてから、それと同じ色のもう一組の瞳を睨みつける。
「血は繋がってるけど認知してないから自分の子じゃない、なんて言ったら怒るよ。」
「違いますよ。血は繋がってますけど、本当に私の子じゃありません。」
「そんな、ひどいわっ!」
悠樹とシルクの会話に、第三の声が重なった。開かれたままの扉から姿を現した声の主は、緩く波打った栗色の髪を揺らし、灰色の瞳に涙を浮かべてその場に崩れ落ちた。
「そうやって、あなたは私たちを捨てるのね!」
「マリーナ?!何を―」
「やっぱりそういうことなんじゃない!」
「だから違いますって!」
「シルクぅ、これが“しゅらば”?」
「ちょ、どこで覚えたんですか、そんな言葉。」
閑静な住宅街だったはずのそこに、昼ドラのような会話が飛び交う。
年頃の少女らしい潔癖さでシルクの不実を詰る悠樹と、涙を見せながらシルクへの思慕を綴る女性と、意味がわかっているのかいないのか楽しそうにする女の子。三人の女性に囲まれ、シルクは蒼白になりながら助けを乞うように天を仰いだ。