朝食、日課の予言
落雷を浴びて、生きながらえた集落の人々が居た。
他人に執着して、命を賭して他人の役に立とうとする人々だった。
力を持っている。他人を原動力として生きている。それは融通の利かない滅私の振舞いで、肉親を振り回す性質だった。
肉親とは、身内とは、血縁とは、他人では全く無い上で、我らにとって、自分自身よりも蔑ろにしてしまえる、どうでもよくあしらえてしまう、自分と同じ存在だからだ。
それなので、我ら怪物は同族「ロックボルト」同士で長くは付き合えない。
離別するより他にない。ロックボルトに成ったその日から、血が何処までも薄くなり、途切れるまで、この宿命は変わらない。
ライラックが日課の予言の練習をしていると、その声が聞こえない様に没頭して朝食を作っていた母のリーラが、リビングのテーブルに意識を向けた。座っているのはライラックのみで、父のジュヒーは一人用ソファーで新聞を読んでいた。こちらはライラックの予言した内容を手帳に記入しながらの同時並行なので、予言の内容については頭に入らない。以前そうライラックは聞いていた。
朝から、朝食になるまで予言の練習をする。子供部屋に籠っている四歳の妹は中々眠れない事情があったのだ。ギリギリまで寝かせてあげるべく、リビングで練習をしている。
「落ちます。リーラは鶏肉を買ってそれを落とします。落ちます。ジュヒーは馬車にひかれます。落ちます。メブレットはタミトルにさされる。落ちます。ルシリアはセンバを殺す。落ち、」
「ライラック、朝ご飯出来るから。アイクルーを起こして来て」
ライラックの脳髄が突き刺されるように痛んだ。予言を途中で遮られると、頭の中身が負傷する。痛みをこらえてライラックは言う。
「・・・・・・わかりました、母さん。起こしてきます。父さん、仕事だ。食べてから行って」
微笑んで、ライラックは両親に呼びかける。小さな少年は、余程子供らしさが無かった。
穏やかで、激しく泣いた事も、暴れた事もない。言葉を話すようになってから、そう間隔を空けず敬語混じりの喋り方をするようになった。しかし、両親はもっと、背筋が凍るような事実に晒されている。断言するような口調。敬意を含んだ柔らかい口調。それが規則的に、交互に使われる。狂いもなく、砕ける事もなく、ライラックの妹が生まれた時には、既に今の喋り方をしていた。
「……凡そ、子供のする態度じゃない」
父のジュヒーは、しがない商人だ。特別変わった親族もない、一端の住人。虫の報せだと言って虫を飼い慣らす母のリーラの曲芸だって、ここまで人間らしくない存在じゃないのだ。
「キツく叱らないからおかしくなったんだろう。おかしな血は押し込んで、普通に育つようやり方はあったんじゃないか」
「私にだってわからないことはあります。もう廃れて久しい血何ですよ、まさか私が、あんなに力の強い子供達を産むだなんて思わないですから……だから、二人目は止しましょうって言ったじゃないですか」
「普通の子が欲しいと言ったのはお前だろう。それより、どうするんだ。自警団にコレを伝えに行くのを毎日、毎日だぞ。無視は出来んからな」
「朝一番に私の名前は使ってと言ってるのに、この子……聞いてしまった……ああ、買い出しでヘマするのがわかってるなんて」
「足元を気にすれば躱せる事態だろう。あまり重く考えるな……もういい。今日も自警団には顔を出す。立場もあるんだ、仕方ない。リーラ、飯にしよう。よそってくれ」
「……ええ、わかりました」
ライラックは両親の話を聞いていて、聞いている事を知らせる反応はしなかった。子供部屋の扉を静かに開いて、妹のアイクルーを優しく揺する。毛布に埋まってはみ出ていたモーヴシルバーの髪が、飛び起きて、ぎゅうとライラックの腹に抱きつく。ライラックと同じ髪の色。我らの特徴の一つに当たる髪。なるべく安心させる声で背中を擦った。また怖い想像や、悪夢を見たのかもしれない。
「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。朝だ。いつも通りの朝だ。何も起こってないですよ。何も怖いことになってませんよ」
「にいちゃん、いっしょがいい。いっしょがいい!なんで、あっちいっちゃうの……いっしょして!」
「練習しないとダメだから。でも、アイクルーを起こしたくなかった。声がしてたら起きるでしょう?……でも、怖いおもいはしてほしくないです」
「やだ……!やーだ、うぅ……うー!」
「帰ったら、ずっといっしょにいる。書いとかないとだから、片手、かしてあげる。ちょっとだけガマンできますか?」
「……うん」
「約束です」
アイクルーは物心がつく頃合いだった。世界と自分とを認識し始める年になる。そうなって、アイクルーはセキを切ったように毎日泣いて、家族にすがりつくようになった。アイクルーに何が起こったのか、何に怯えているんだろうか、当たりを付ける事はとても難しかった。四歳の少女に観察や説明は難しい。要領を得ないグズリが続き、錯乱も癇癪も激しかった。
ライラックはその時、予言をした。
手掛かりがなんでもいいから欲しかったし、きっかけもわからない事態に手詰まりだったのだ。母のリーラが洗濯物を干しながら見守っていた。
予言をする時、ライラックは決まった文言で始める。
『落ち、……沈む』
『落ちます』と言い切れず言葉が一つ。誰がどうなったかもわからない予言だった。ライラックは沈む、と言った瞬間にアイクルーを抱き上げた。アイクルーの右手が床に沈んだのだ。視覚としてはそれだったが、それだけだとは到底思えない。しがみついてくる小さな右手は確かに温度を伝えていた。
びちゃびちゃに服が濡れる。泣いた涙だけの水量じゃなかった。何だってこんな事に。それが沈んだままだったら、どうなっていたんだろうか。無くなってしまう、という想像をする。
頭か痛い、とライラックは思う。予言が全然上手くいかず、言葉にならず、何も言えず、そんな事が続いていて、間に合わない事が身近だった。ざわざわと心臓が痛かった。
妹の手は、間に合った。間に合ったのだと繰り返し考える。
リーラは冷静だった。洗濯籠は空になっており、皺一つ無い衣服が揺らめいている。
アイクルーを宥めて、ライラックごと抱き締めて距離を取る。注意深く何か、周囲や思考を見つめ直して、リーラはジュヒーに訴えた。夕時の事である。
『沈む、と傍で聞いて、私にもわかった事があります。虫の報せがありました、何とか意味を読み取りました。この子の右手は地面の下を通り過ぎて、麓の川の水の中に沈んだんです、あの一瞬だけ。この子は何処にでも行けるのです。行った事の無い場所にも力を使って一瞬で行く事が出来る。今は、何時それが起こって、何時そこに滑り込んでしまうのか、この子自信にもわからないのです』
リーラとジュヒーは毎晩相談会をしていた。ある日、ライラックに教えてくれる。
物に触れる事すらも、何の保障にもならないのだった。
何もない宙に手を伸ばしたとしても、その地点から全く別の場所にアイクルーは接点があるのだ。
それは地面が無いのと同じ事だ。
壁が無いのと同じだった。
休める事、止まれる所が無いのと同じだった。
そんなことは、少女が言葉にした訳じゃないけれど、認識出来た訳じゃないけれど、ただ終わる事のない恐怖として少女にのし掛かるのだ。
「母さん、アイクルーは、どうなる?」
「練習するしかないんです。自分で使えるようになるしかないんですよ」
私もそうでした、とリーラは言う。諦念とやるせなさを抱えた瞳で、手助けしか出来ないんだとライラックに言い聞かせた。
リーラはほぼ付きっきりで、練習の仕方をアイクルーに説き伏せた。
アイクルーはとても飲み込みが早くて、最初の数回以外、手足を彼方に消失させる事はなく、取り乱しても、力を咄嗟に使用するなどという事はしなくなった。
事故が起きなくなると、リーラはアイクルーに構う事が無くなった。怖いと泣いても、出れないと小さくなっていても、それはライラックが世話をしなさいと言い付けた。
ライラックは日課に、妹のアイクルーの世話をするようになる。
予言の練習はライラックには難しい。身に付かないのでリーラとジュヒーに渋い顔をさせていた。
ライラックは毎日、予言の練習をしている。日課として、続けている。
「朝ご飯。立てますか、アイクルー」
「……手、つないで。おイスまで」
「いいですよ」
握られるのと同じ強さで、ライラックは掌をぎゅっと掴んだ。




