①②
彼女の唇が徐々に歪んでいたが、サフィードは紅茶と聞いて飲みたくて飲みたくて仕方なかった。
よだれがじわりと口内から滲み出る。
口端からよだれがダラリと垂れても気にならないほど頭に紅茶が頭に浮かんでいた。
スッとフィオーネの細い指がサフィードの顎を滑るようになぞっていく。
今まで純粋だと思っていた彼女の扇情的な行動に、サフィードの感情がどんどんと昂っていく。
彼女の肩を抱いて唇を合わせようとした時だった。
──バシャ
真っ赤な液体がフィオーネの顔にかかる。
今、自分がどんな状況なのか把握することができなかった。
ただ真っ白な寝間着や肌、シーツ、枕に真っ赤な液体が飛び散って彼女を穢していく。
赤く汚れていく彼女を見ているのはとても気分がいい。
懐かしい鉄とアルコールの匂いは一気にサフィードの気分を高揚させた。
今まで物足りなかった渇きをやっと満たすことができたからだ。
この高揚感は何にも変えられない。
(最初からこうすればよかったんだ……! ああ、どんどん満たされていく)
だけど不思議だった。
サフィードはまだ短剣をフィオーネに刺していない。
だから彼女の心臓から真っ赤な血が吹き出すことなどありえないのではないだろうか。
(これは……誰の血なんだ?)
考える間もなく、クラリと視界が揺れ動く。
赤と白のコントラスト、窓から見える月明かりに照らされたフィオーネ。
彼女はこちらを冷めた目で見下ろしているではないか。
そこで初めて違和感に気がついた。
サフィードはジクジクと痛む自分の首元に手を当てる。
確かめるように手のひらを見ると、そこにはおびただしいほどの赤黒い液体が溢れている。
(…………これは一体、どういうことだ?)
サフィードが首を傾げようとすると、そのまま力が抜けて体が崩れていく。
サフィードの体が前に倒れるが、フィオーネは触りたくないと言わんばかりに避けてしまう。
起きあがろうとするけれど、うまく力が入らずに仰向けになる。
喉がヒューヒューと音が鳴り、咳き込むのと同時に口から血が溢れ出た。
フィオーネは眉を寄せてこちらを見た後に吐き捨てるようにこう言った。
彼女の右手には自分が持っていたはずの短剣が握られている。
「ああ……最後まで汚い人」
聞いたこともないような低い声。
その声色には軽蔑や嫌悪がありありと滲み出ている。
(目の前にいるのは……誰だ?)
フィオーネだけどフィオーネではない。そんな感覚だった。
彼女は浅く息を吐き出すサフィードの顔を覗き込む。
目は細まっていてニタリと笑う彼女が別人に見えた。
「うふふ……幸せな夢は見れたでしょう?」
彼女の温かい手のひらが頬を包み込む。
ぐっとフィオーネの顔が近づいていく。
「……ああ、なんて素晴らしい最期なのかしら」
彼女の甘く艶めかしい声は毒のようにサフィードを蝕んでいった。
だけどフィオーネに触れることは許されない。
痛みはもうなかった。ただ体がどんどんと冷えていく。
けれど喉の渇きはもう感じなかった。
口いっぱいに血が溢れていたからなのか、気持ちが満たされているからか、考えるのがもう面倒くさい。
フィオーネの淹れてくれた紅茶はもう必要ないのだ。
サフィードはもうすぐ苦しみから解放される……それだけは不思議と理解できた。
「おやすみなさい、サフィード様」
フィオーネがそう言った後に、サフィードの唇に柔らかい感触があり目を見開いた。
もう視界は次第に歪んで見えなくなっているのに彼女の血に濡れた真っ赤な唇だけら鮮やかに映っていた。
ゆっくりゆっくりと意識が遠くなっていく。
フィオーネの体が離れたのと同時に何も感じなくなった。
* * *
フィオーネはサフィードの冷たくなった体をそっとベッドへと寝かせる。
ため息を吐いた後に腕を伸ばした。
「はぁ…………疲れた」
フィオーネは重荷から解放されたことで、スッキリとした気分だった。
自然と笑みが浮かんでしまう。
短剣を彼の手のひらに握らせてから位置を整えていく。
「……やっと国に帰れる。お姉様に会いたいわ」
フィオーネは血に濡れた手のひらを頬に当てて、うっとりとした口調でそう言った。
「こんなもんかしら」
フィオーネは全体を見回してから最終チェックをする。
それから大きく息を吸い込んで「キャーーッ!」と叫んだ。
暫くすると、数人の侍女や執事がうるさい足音を立てながら寝間着のまま部屋にやってくる。
「──フィオーネ様、どうかなさいましたか!?」
「サ、サフィード様が……わたしの前で……っ! いやぁ……!」
フィオーネは体を震わせながら、手のひらで顔を覆う。
彼らには見えないが唇は綺麗に弧を描く。
「なんてことを……っ!」
「信じられません! まさかこんなことをするなんて……!」
フィオーネを庇うように声をかける。
誰もフィオーネがサフィードを刺したなどと疑うことはない。
これはサフィードが自分からやったことなのだ。
(もう一仕事ありますわね。早く手紙を送らないといけませんわ)
このままでいけばシーディリフ辺境伯は機能を失う。
彼の親族も遠ざけて従者の彼らも居場所がなくなりここにはいなくなる。
手紙を送れば皆が動き出す。
ダルモンテ国王もお姉様が動き出せば、シーディリフ辺境伯どころではないだろう。
(ウフフ……壁は壊しましたわよ。お姉様、褒めてくださるかしら?)
ー解放ー end




