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致死量の甘さ ~あなたのいない世界で生きたい~

作者: 相沢ごはん

pixiv、個人サイト(ブログ)にも同様の文章を投稿しております。


ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります。

 レオニー・アミエルは困っていた。執事見習いのオルソ・ラビヨンのことだ。

 十七歳になり、王都の学園を卒業したレオニーは、かねてから婚約中のランベール・カルネとの結婚までの準備期間を領地の屋敷で過ごすことになった。大好きなランベールとの新しい生活を想像しながら幸せいっぱいのレオニーが王都のタウンハウスから戻ると、従兄のオルソが執事見習いとして屋敷で働いていたのだ。

 「ただいま帰りました」と挨拶をしに父の書斎を訪ねたレオニーは、うれしそうな様子の父から、オルソの名前を聞かされ、げっそりとした気分になった。

 オルソは、レオニーの父の妹であるアルマの三番目の息子である。

 レオニーは昔からオルソのことが苦手だった。大嫌いだと言ってもいい。オルソはレオニーのことをあたりまえのように見下しており、幼いころからレオニーに対して幼稚な嫌がらせをしたり、小馬鹿にするような言動を繰り返していたからだ。そしてなにより、オルソの見ている世界とレオニーの見ている世界には、大きな隔たりがあるようで、話が通じないことが多々あった。そんなオルソが執事見習いである。考えただけで、レオニーは憂鬱になった。

「ラウラ……」

 父の書斎を出て、思わず縋るように、隣に立つ侍女のラウラに呼びかける。

「お嬢様。なるべく避けて過ごすしかありません」

 ラウラがレオニーを励ますように、しかし絶望的なことを言う。

「同じ屋敷内で? 無理よ。こちらが避けても、きっとあちらから近寄って来るわ」

「難しいかもしれませんが、それでも、なんとかするしかございません」

 ふたりは視線を交し合い、お互いの困り顔を見ながら、あきらめの気持ちでうなずき合った。


 アルマ叔母が、オルソを連れてアミエル領の屋敷へ遊びにやって来たのが、レオニーとオルソの初対面だった。レオニーが四歳、オルソが七歳のころだ。オルソは、母に手を引かれたレオニーを指さして、「ミツバチみたいなブス! ミツバチ人間!」と、意地の悪そうな笑みを浮かべて、得意げに言った。レオニーのはちみつ色の髪の毛を揶揄しようとして、そのような言葉を放ったのだろう。

 なにがそんなに楽しいのか、オルソは見るからにはしゃいでおり、

「ブンブブ、ブンブンブン! ブス! ブス!」

 などと歌うように言いながら、自分の尻をレオニーに向けてリズミカルにふりふりと振った。

 このとき、アルマ叔母は「あらあら、天使ちゃんはレオニーちゃんに会えてうれしいのね」と言って微笑むばかりだったし、父は笑おうかどうか迷ったような中途半端な表情で無言だった。母だけが、「ブス? まさか、うちのかわいいレオニーのことではありませんよね?」と、顔は笑顔なのに冷たい声で言った。大人にそのような対応をされたのがおそらく初めてだったのだろうオルソは、笑顔の母の放つ、ひんやりとしたオーラに驚いたのか、びくりと肩を震わせ、途端におとなしくなった。

 レオニー本人はというと、オルソの顔とアルマ叔母の顔がほとんど同じだということに、ただ驚いていた。そのころは、「ブス」という言葉そのものを知らなかったということもあり、オルソの言動をなにひとつ理解できなかったので、そちらのほうへ気を取られていた。ピンクブロンドの髪の毛も、美しい顔の造形も、アルマ叔母とオルソは、なにもかもがそっくりで、年齢と体格を除けば、親子というより、まるで双子のようだった。

「もう、お義姉様ってば、そんなに怒らないで。子どものおふざけじゃないの」

 アルマ叔母が言い、父も母に、おそらく「大人げないぞ」とかなんとか言おうとしたのだろうが、母に睨まれ、黙り込んでいた。

 初対面でのこの出来事を受け、自分にぶつけられた「ブス」という言葉の意味はわからずとも、レオニーは幼心に、オルソとはあまり関わり合いになりたくないな、と思ったのだ。オルソがいるだけで、大人たちがギスギスした雰囲気になる。

 しかし、その願いは叶わず、アルマ叔母はオルソを連れてたびたび遊びにやって来た。父も、嫌がるレオニーを半ば無理やりにラビヨン男爵家へと連れて行こうとしたことがあるのだが、こちらは母に阻止された。あとで叱られたらしく、それ以降は父がレオニーを拉致することはなかった。


 オルソが、なぜレオニーを見下しているのか、レオニーにはわからないし、わからないままでも良いと思っている。そもそもオルソは、自分がこの世界の頂点だと思っていそうな節があり、レオニーだけでなく、オルソ以外の人間すべてを無意識に見下しているようにも思う。

 身分のことだけで言うと、レオニーは決してオルソの下というわけではない。レオニーはアミエル伯爵家の一人娘であり、オルソはアルマ叔母の嫁ぎ先であるラビヨン男爵家の三男であるのだから。

 しかし、オルソは甘やかされて育ったためか、男爵家の三男とは思えないくらい尊大な態度であった。その原因が、オルソの容姿である。オルソの長兄と次兄は、ふたりともラビヨン男爵に似て、良くも悪くも普通の顔立ちだったのだが、オルソだけが、社交界の天使とうたわれた美しいアルマ叔母と瓜二つの容姿で生まれてきたのだ。ラビヨン男爵も、オルソのふたりの兄も、天使のように美しい容姿のオルソを大変かわいがっていた。そういう背景もあり、オルソはひどい自惚れ屋でもあった。それこそ、世界中の人々が自分を愛していると信じて疑っていない様子だった。

 アルマ叔母に関しては、レオニーの記憶にある限りでは、オルソの兄ふたりに対しても、オルソと同じように「天使ちゃん天使ちゃん」と甘やかした対応をしていた印象だったので、ある意味、兄弟三人を平等に扱っているといえる。ちなみに、アルマ叔母とラビヨン男爵は当時の貴族では珍しい恋愛結婚だったらしい。

 自分が嫌われているという発想のないオルソは、レオニーを無意識に見下していることもあり、レオニーの肩や腰や髪の毛にべたべたと気安く触れることはあたりまえで、それを心底嫌がるレオニーの様子を「自分にかまってもらえてよろこんでいる」と本気で思っているくらい頭がおかしかった。レオニーがいくら否定しても、オルソの認知の歪みはどうにもならなかった。きっと甘やかされすぎて脳の大事な部分が溶けてしまったのだろう。

 そしてレオニーにとっては最悪なことに、父は美しい天使のような妹、アルマを幼いころから溺愛しているらしく、そのアルマ叔母にそっくりな天使のような甥っ子、オルソのことをたいそう気に入っていた。アルマ叔母にオルソのことを頼まれれば、絶対に断らないのが父だ。そんな環境なので、オルソの思い上がりは増長し、とどまるところを知らなかった。


 幼いころから、オルソにはいろいろ言われたりされたりしてきた。会うたびに「ブス」と言われるのはあたりまえで、足を引っかけられて転ばされたり、レオニーの苦手な虫やカエルを持って追いかけてきたり、髪の毛はしょっちゅう引っ張られた。なかでも強く記憶に残っているのは、レオニーの髪の毛にオルソが唾液をつけたことだ。

 あまりの気持ち悪さに、レオニーは自分の髪の毛を、裁ち鋏でざっくりと切ってしまった。オルソの唾液が付着した部分を自分から切り離して捨ててしまいたかったのだ。思い出しても鳥肌が立つ。忘れたいのに、忘れられない過去である。

 母は、自分で髪の毛を切って泣いてしまったレオニーをなにも言わず抱きしめてくれた。そして、庭に椅子を用意させ、腕に覚えのあるらしい使用人を呼ぶと、レオニーのざんばらな髪を整えさせた。

 貴族の娘というよりは町娘のような頭になってしまったレオニーを見て、父は女の子なのに不格好だなんだと文句を言っていたが、母が、「あなたの大事な甥っ子ちゃんがレオニーの髪の毛に不浄なものをつけたのですよ。こうするより仕方がないではありませんか。髪はまたすぐに伸びます」と、ぴしゃりと言うとおとなしくなった。

「お、オルソは一体なにをつけたんだ……?」

 おそるおそる尋ねた父に、

「唾液です」

 レオニーと母は口をそろえてそう答えた。

「なんだ、そんなもの……」

 言いかけた父に、

「まあ! あなたは他人にツバを吐きかけられてもなんとも思わないのね! 素晴らしいわ、なんて心が広いのかしら!」

 母は目を丸くして、わざとらしくそう言った。父は黙ってしまった。自分に不利な状況となると黙ってやり過ごそうとするのが父である。

 母はレオニーがオルソを嫌がっていることを知っていたし、母自身も、オルソのことを危険視していたようで、いつも、レオニーをオルソとふたりきりにはしないよう配慮してくれていた。それでも、オルソの言動はなにひとつ変わらなかったが。

 もし母が生きていたなら、決してオルソを執事見習いになどしなかっただろう。しかし、その母は、レオニーが学園に入学する前に流行り病で亡くなってしまった。

 母は、病に倒れる前に、ランベールとの婚約を調えてくれた。そのことについて、レオニーは並々ならない感謝の念を抱いている。母が婚約の話を持ってきてくれなければ、父が、自分のお気に入りであるオルソをそばに置きたいがために、レオニーとの婚約を勝手に決めてしまうかもしれないという不安があったからだ。おそらく、母も同じことを危惧していたのだろう。

 父は最初はレオニーの婚約を渋っていたようだが、母の兄嫁の実家からの紹介ということで、まず黙ることになる。母は父と同格の伯爵家の生まれだが、母の兄嫁の実家は公爵家であった。そして、レオニーのお相手にどうかと紹介されたランベールは、かつて王女が降嫁したことで知られるカルネ侯爵家の次男である。そんな相手に、父は強く出られなかったようだった。しかしそれだけというわけではなく、オルソやアルマ叔母のことを抜きにして考えてみたらしい父は、カルネ侯爵家と縁をつなぐのは悪くないと思い直したのか、レオニーとランベールの婚約に急に乗り気になったようだった。カルネ侯爵家の方々だけでなくランベールに対しても変な態度を取ることはなく、いつも礼儀正しく接しているようだったので、レオニーはほっとしたものだ。

 こうして、レオニーとランベールの婚約は無事に調った。レオニーが十歳、ランベールが十三歳のころの話である。

 ランベールは、つやつやした黒髪と濃い茶色の瞳を持つ、おとなしそうな男の子だった。レオニーはランベールの暗い色味を、大人っぽくてかっこいいと思ったし、つやつやの黒髪を美しいと思った。顔の造作は美形というわけではなく、どちらかといえば平凡なほうだったが、そばにいると安心するようなやわらかい雰囲気をまとったランベールを、レオニーは一目で好きになった。なによりランベールは、レオニーのことをブス呼ばわりすることもなく、それどころか、「婚約が決まったと聞いたとき、実は少し不安だったんだ。だけど、レオニー嬢がとってもかわいくて素敵な女の子だったから、びっくりしてしまったよ。僕との婚約を受けてくれて、ありがとう」と礼儀正しい態度で言ってくれて、

「僕たち、これからたくさんお話しよう。仲良くしてくれるとうれしいな」

 穏やかにレオニーに笑いかけてくれた。

 思えば、オルソに会うと必ず言われるのが「ブス」という言葉だった。母はレオニーのことをいつもかわいいと言ってくれるが、母は母親だからそう言ってくれるだけで、自分は本当は不細工なのでは、と思い始めたときに、ランベールとの婚約が調い、顔合わせの席でそんなことを言われたものだから、レオニーは驚いて泣いてしまった。

「どうしたの? もしかして僕との婚約、本当は嫌だった?」

 ランベールがおろおろしながらも、レオニーにハンカチを差し出してくれた。

「違うのです。私は、いつも従兄からブスだと言われていて、男の人からかわいいなんて言っていただいたのは初めてなのです……」

 ありがたくハンカチを受け取り、たどたどしく説明すると、

「きみがブスだなんて、そんなことを言うやつの目玉はフォークでくり抜いてやるといい」

 ランベールはやわらかい口調で、そのほのぼのした外見からは想像できないような無慈悲な悪態をついた。驚いて、レオニーの涙は引っ込んでしまった。

「そんなやつの言葉に価値なんてないのだから、耳を貸してはいけないよ。きみはかわいい。僕は何度だって言うからね。きみはとってもかわいいよ」

 ランベールの言葉は辛辣だったが、確かに、レオニーの心を救ってくれた。

「ありがとうございます」

 レオニーはその日、ランベールのおかげで失いかけていた自分を取り戻すことができたのだ。

 ランベールはオルソと同い年である。レオニーはそれまで、その年ごろの男の子をオルソしか知らなかった。なので、あの年ごろの男の子は皆、あんな感じなのだと思っていたのだが、全く違った。個体が違えばこんなにも違うのね、と、レオニーは男の子への偏見を改めた。


 レオニーの婚約が調い、しばらくしてからのこと。アルマ叔母に連れられ、屋敷に遊びに来たオルソは、レオニーの婚約を知るとアルマ叔母と同じピンクブロンドを振り乱して癇癪を起した。レオニーの髪の毛を引っ張り、「やめて、さわらないで!」とレオニーが手を振り払うと、今度はスカートを引っ張り、「なんで、なんで、他のやつと婚約なんてするんだ! なんでなんだよう!」と喚いた。

「やめてよ!」

「ブスが婚約なんてするなよな!」

 抗議をしてもオルソは聞かずに喚き続けた。アルマ叔母は相変わらず、「あらあら、天使ちゃんたら。困ったわね」と微笑むだけだったが、

「やめなさい!」

 母が叱りつけるように言い、当時はまだ侍女見習いだったラウラが身を挺して、オルソからレオニーを引き離してくれた。

「レオニーの婚約は、両家の間で正式に決まったことです。無関係な者が騒ぐ事柄ではありません」

 オルソは、レオニーの母のことが苦手らしく、母の冷たい言葉にすぐにおとなしくなった。

「無関係だなんて。オルソはレオニーちゃんの従兄よ」

 アルマ叔母の言葉に、

「従兄でも、レオニーの婚約には無関係です」

 母はきっぱりとそう言った。

 あとからアルマ叔母になにを聞いたのか知らないが、オルソの中ではレオニーの婚約は、「レオニーは、本当はオルソと結婚したかったが母親の決めた婚約のせいでオルソをあきらめなければいけなくなった」ということになっているようだった。

 オルソが癇癪を起して以来の来訪で、オルソにその歪んだ思想を聞かされ、レオニーは恐怖と疲労を覚えた。耐え難い誤解を解くために、レオニーがいくら、「私はあなたのことが大嫌いだし、あなたと結婚なんて死んでもしたくないわ。私はランベール様との婚約を心からうれしく思っているの」と話しても、

「おばさんに言わされているんだろう。かわいそうに」

 オルソの頭の中ではそういうことになってしまうのだ。レオニーのことを本当にかわいそうだと思っていそうな表情に腹が立った。

「かわいそうなのは、あなたの頭よ」

 そう思い、実際にうっかり口に出してしまったものの、話が通じないオルソを相手にすると疲れてしまうので、

「言わされてなんかいないわ。私の本心を、私が自分の意思で言葉にしているのよ」

 否定の言葉だけはしっかりと伝えて、その後は父を参考にだんまりを決め込んだ。

 相手にしなければいいのだろうが、ちょっかいをかけてくるのはオルソのほうなのだ。それに対して、オルソの言動を嫌がり、きちんと否定している様子を見せておかなければ、オルソどころか周囲にも、本当はよろこんでいるのでは、と勘違いされかねないので、レオニーはがんばって、嫌だという意思表示を続けていた。それこそ、言葉や表情や行動で、思い切り、オルソのことを嫌がっていると表現してきた。淑女は負の感情を表に出してはいけないということを先日、家庭教師から教わったが、オルソに対してはそんな教育は役に立たない。オルソの顔が天使のように美しいことが良くない方向へ働き、オルソの言動を放っておくと、レオニーもオルソを好きなのだろう、と誤解されかねない危機感をいつも抱いていた。

 アミエルの屋敷には、オルソが頻繁にやってくるため、レオニーの心は休まらなかった。そんな中で癒しとなったのは、婚約者となったランベールとの交流である。アミエル領とカルネ領が近いということもあり、ランベールとは、たびたび会うことができたのは幸いだった。

 カルネ侯爵領の屋敷に招待された場合は問題はなかったのだが、アミエルの屋敷にランベールを招待した際に、オルソがふたりの邪魔をするということが一度だけあった。いつもは、ふたりの交流の邪魔をしようとするオルソを、母や使用人たちが止めてくれるのだが、それをかいくぐっての一度だった。

 そのとき、レオニーとランベールは、庭に咲く花を眺めながらおしゃべりし、お茶とお菓子を楽しんでいた。

「おまえが、無理矢理決められたレオニーの婚約者か!」

 猛烈な勢いで走って表れたオルソは、止めようとしたラウラを突き飛ばし、無礼にもランベールを指さしてそう言い放った。

「ラウラになにするのよ!」

 レオニーはカッとなって思わず叫んだ。

「お嬢様、わたしは大丈夫です。こちらのことは、お気になさらず」

 ラウラのしっかりとした声を聞いて安心したが、ラウラは脚を痛めたのか立てない様子だった。心配だし腹が立ったが、しかし、オルソのランベールに対する礼儀を欠いた行動も注意しなくてはいけない。オルソのせいでやることが多い。

「指さすのはおやめなさい! ランベール様に失礼です!」

 レオニーは、毅然とした態度でオルソを叱責した。

「それに、無理矢理ではありません! 私もランベール様との婚約を望んでおります!」

「うれしいよ、レオニー」

 ランベールが照れたように、レオニーに微笑みかけてくれた。オルソの登場に全く動じていない。

「おまえみたいな地味なやつ、レオニーが好きになるわけないだろ!」

 オルソはレオニーの言葉が耳に入っていないようで、ランベールに対してそう喚き立てる。

「ランベール様のどこが地味なのよ! あなたの目は節穴なの!? 見なさいよ、このつやっつやの黒髪を! こんなに美しいものはこの世に他にないわ! それに、穏やかな笑顔の裏ではなにを考えているのかわからないミステリアスなところも素敵なの! ええと、なんの話だったかしら。ああ、そうよ。つまり、私はランベール様のことが大好きなんだから!」

 ランベールを小馬鹿にしたような言葉に腹を立て、レオニーは自分の言葉遣いを気にする余裕もなく、オルソの見当違いな言葉を逐一否定していく。

「レオニー……そんなふうに思ってくれていたの? 僕だって、レオニーのことが大大大好きだよ。同じ気持ちだね」

「本当ですか? うれしいです、ランベール様」

 レオニーとランベールはうっとりと見つめ合う。

「おまえが横槍を入れなければ、レオニーは俺と婚約するはずだったんだ!」

 オルソは、仲睦まじいふたりの姿が目に入らないようで、さらには虚言を弄し始めた。

「そんなわけないじゃない! まったくのでたらめです。それこそ、望んでいない婚約だわ。あなたとの婚約なんて死んでも嫌。私の話を聞こうともしないあなたのことなんて、私が好きになるはずないじゃない」

「レオニーの、そういう正直なところが、僕は好きだな」

 ランベールの言葉は穏やかなのに妙に辛辣だ。

 その後も、オルソはなにやら喚いていたが、オルソを追いかけてやっと到着した使用人たちに捕獲され、「アルマ様のところへ戻りましょうね、お待ちですよ」と優しく諭されながら引きずられて行った。ラウラも、他の使用人の手を借り、脚の治療のためにその場を退いた。

「きみの侍女は大丈夫かな」

 ランベールが気遣わしそうに言う。

「ええ、心配です」

「彼女は勇敢だね。彼を止めようとしてくれただろう? あとで、僕が礼を言っていたと伝えてほしい」

「まあ、恐縮です。必ず伝えます」

 レオニーは、ラウラを褒められてうれしくなった。

「しかし、聞いてはいたけれど、本当に彼は天使のように美しいね。驚いたよ」

 オルソが去り静かになった庭に、ランベールの落ち着いた声がやわらかく響いた。レオニーは、ランベールがまさかオルソの外見に惑わされたのではないかと不安にかられた。

「だけど、どうも話が通じないみたいだ。本当に天使なのかもしれないね」

 ランベールの言う「天使」は良い意味ではなさそうだ、と皮肉に気づいたレオニーは、思わずうなずいてしまった。

「彼はきみのことを好きみたいだけど、好きなきみの話を聞かないし、好きなきみの様子も目に入らないみたいだ。どうしてなんだろう」

 ランベールがあたりまえのように言葉にしたことは、レオニーも薄々そうなのではないかと思っていたことだった。おそらく、オルソはレオニーのことが好きだ。しかし、その部分と向き合いたくなくて、

「彼の認知は歪んでいます。彼の耳は、彼の聞きたいことしか聞こえませんし、彼の目は、彼の見たいものしか見えません。初めて会ったころからそうでした」

 そのあとの疑問にだけ答えた。

「なんだい、その耳と目は。便利なんだか、不便なんだか」

 ランベールがあきれたように、しかし楽しそうに笑った。かと思えば、

「レオニー。さっきのことだけど」

 照れくさそうにレオニーの目を見て、 

「好きだと言ってくれて、本当にうれしかった」

 などと言い、今度は控えめに笑うランベールのことが、レオニーはますます好きになった。

 アミエルの屋敷ではオルソの襲撃に備えることが難しいので、レオニーとランベールは、今後はなるべくカルネ領で交流することを約束し、その日は別れた。

 その出来事で、レオニーは親戚とはいえ、他家で傍若無人に振る舞うオルソのことを恥ずかしいと思ったし、オルソを気に入っているからといって、娘の婚約者が来訪しているにも関わらず、屋敷内で好きにさせている父のことも恥ずかしいと思った。

 そんなことがあっても、ランベールのレオニーへの態度は変わらなかった。むしろ、以前より少し親密になれたように感じて、レオニーはそれがうれしかった。

 しばらくして、ランベールから、王都の学園へ入学するためにタウンハウスへ居住を移すという連絡があった。この国では、貴族の子女は、十五歳になると王都の学園に入学し、十七歳までの三年間、共に学ぶことが慣習になっている。

 ランベールが卒業する年にレオニーが入学となるので、ランベールと一緒に学園生活を送れないことを残念に思うと同時に、オルソと学園で過ごす期間がかぶらなかったことには、ほっとしてもいた。

 その学園で、オルソはランベールによく絡んできているという。ランベールが長期休暇で帰省した際、アミエル領の屋敷へレオニーに会いにきてくれた。そのときに聞いた話だ。

「婚約を解消しろ、おまえはレオニーに相応しくない、レオニーを解放しろ、だとか、まあ、いろいろ言われるんだ」

 ランベールは、きっとうんざりしているだろうに、穏やかな笑顔でなんでもないように言った。

「あとは、レオニーが本当に好きなのは俺だ、とか」

「ヒッ」

 レオニーは思わず小さな悲鳴を上げてしまう。背筋がゾッとして、鳥肌が立った。やはり、オルソの認知はどこまでも歪んでいるようだ。

「ありえません。私が好きなのは、ランベール様だけです」

 レオニーの言葉に、ランベールはくすぐったそうに笑い、「大丈夫。わかっているよ」と、なだめるように言葉をかけてくれた。

「ご迷惑をおかけして……」

「レオニーのせいじゃない。どう考えても、彼がどうかしてるんだ」

 ランベールは淡々と言う。

「彼の顔は美しいし、婚約者もいないだろう? 意外だけど、成績も悪くない。だから、最初のうちは婚約者のいないご令嬢たちにちやほやされて、それなりに遊んでいたみたいなんだけど」

「まあ、不誠実ですこと」

 レオニーは相槌と共に表情を歪ませる。レオニーの表情を見たランベールは、おもしろいものを見つけたように少し笑った。レオニーは慌てて、表情を取り繕う。

「彼は、ご令嬢たちが自分を好いているのはあたりまえという態度だし、誰に対しても相手をしてやっている、という態度を隠しもしないものだから、目を覚ましたご令嬢たちは徐々に彼と距離を取り始めた。改めて、彼はすごいね。誰に対しても尊大というか傲慢というか、高位貴族の子息に対しても全然態度が変わらないんだ。ある意味、権力に屈しない平等な人物なのかもしれない」

「あれは、平等というわけではありません。彼のいる世界では、まず頂点が彼自身であり、その他の人間は皆、彼より下の存在なのです」

 レオニーの言葉に、ランベールは、「なるほど」と、納得したようにうなずいた。

「彼の世界では、彼は天使ではなく神なのかもしれないね」

 そう呟いて、ランベールは続ける。

「そんな神だけど、僕へ絡み始めてから、図らずも彼の異常性が浮き彫りになってしまってね。彼の周りに最後まで残っていた数人のご令嬢たちも波が引くようにどこかへ消えてしまったよ」

「そうなのですね」

 オルソの美しい顔は、オルソの内面の残念さを凌駕することはなかったらしい。

 それにしても、オルソが学園でランベールに絡んで迷惑をかけているなんて思わなかった。少し考えたら、いかにもやりそうではあるのだが、レオニーの常識のなかではありえないことだったのもあり、その可能性に思い至らなかった。

「こんな面倒な私との婚約なんて、嫌になりませんか?」

 レオニーは、以前から思っていたことを素直にランベールに尋ねてみた。

「あのね、レオニー。きみが面倒だということは決してないんだよ。きみ自身にはなんの問題もない。問題があるのは彼で、彼が面倒な人間だというだけだ。それに、きみとの未来のためなら、これくらいどうということはない」

 ランベールは、レオニーを安心させるようにそう言ってくれた。

「ランベール様……」

 レオニーの胸はきゅんと締めつけられ、ランベールの穏やかな笑顔にぽうっと見惚れてしまう。

「なんて、えらそうに言ったけど、僕はまだ学生だからできることは少ない。でも、親に報告することくらいはできるんだ。自分で言っていて情けないけどね」

「そんなことはありません。私たちはいつでも、いまできることをするしかないのですもの」

「それはそうなんだけど」

 ランベールは恥ずかしそうな様子で言い、 

「ところで、レオニー。いま、アミエル領で作っている芋について勉強しているところなんだけど……」

 話題を変え、未来に向けての話を始めた。レオニーも、ランベールの話に熱心に耳を傾ける。

 オルソのいない場所では、ふたりは幸せなのだ。

 その後、カルネ侯爵家からラビヨン男爵家に、オルソのランベールに対する言動への苦情の手紙が送られたため、オルソは少しだけおとなしくなったらしい。聞くと、他の高位貴族からもちらほらと苦情の手紙が届いていたようだ。ランベールからそういう報告を受け、少しだけってなによ、完全にはおとなしくならないのが憎たらしい、とレオニーは思った。


 母が流行りの風邪をこじらせて亡くなってしまったのは、それからしばらくしてからのことだ。

 母の葬儀や埋葬の際、ランベールは、レオニーの側にずっとついていてくれた。それがどんなに心強かったか。母を亡くして心細いレオニーのよすがは、もうランベールとラウラだけだった。

 埋葬が滞りなく終わり、泣きじゃくるレオニーに、オルソが言った言葉は、いまでも忘れられない。

「そんなに泣くなよ。よかったじゃん。これで、おばさんに邪魔されずに俺と一緒にいられるんだぞ。もっと、よろこべって。おまえは笑ってるほうがかわいいんだから」

 オルソは、うれしそうにそう言ったのだ。

「おまえ、自分がなにを言ったかわかっているのか!?」

 ランベールが厳しい表情でオルソに食ってかかった。さすがのアルマ叔母も、「こ、こらっ、なんてことを……!」と真っ青になっていたし、父もショックを受けたような表情をしていた。

「なにって、レオニーは笑ってるほうがかわいいって言っただけだろ。そうだ、おばさんが死んだんだから、もうおまえとの婚約だってなしになるだろうな。早くレオニーを解放してやれよ」

 レオニーは、勝ち誇ったように笑うオルソを思い切り突き飛ばした。そして、後ろに倒れて尻をついたオルソに、「あなたなんか大っ嫌い!」と金切り声で叫び、ランベールの胸に縋りついて泣いた。ランベールはやさしく背中を撫でてくれた。

「なんでだよう!」

 オルソは不満そうに唇を尖らせていた。

 このときばかりは、誰もレオニーを叱らなかった。オルソが叱られたのかどうかは知らない。


 そして現在。そんなオルソが屋敷内を自由にうろついているという状況に、レオニーは神経をすり減らすばかりだった。結婚までの一年をのんびり過ごそうと思っていたのに、気が休まらない。

 オルソの尊大で傲慢な態度は、執事見習いとして働いている現在でも変わっていない。

 まず、オルソはレオニーをあたりまえのように呼び捨てにし、敬うということをしない。使用人が雇い主の娘を気安く呼び捨てにするなど常識ではありえないのだが、甘やかされ、ある程度のことならば、なんでも自分の思い通りにしてきたオルソには常識が通用しない。

「レオニー。いつ婚約を解消するんだ? 俺、ずっと待ってるんだぞ」

 廊下ですれ違った際に、そんなふうに無作法に呼びとめられ、オルソは、ねっとりと気持ちの悪い視線をよこしてきた。

「お嬢様とお呼びなさい。それに、ランベール様との婚約は絶対に解消いたしません。勝手に待たないでください」

 呼び捨てにされたレオニーがそう言っても、

「レオニー、そんな他人行儀なことを言うなよ。俺とお前の仲だろ」

 オルソは聞く耳を持たず、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべ、いつもこのような非常識極まりない言葉を吐くのだ。

「あなたが私とどのような仲だと思い込んでいるのか知らないけれど、他人行儀なのは他人だからよ」

 少なからず血のつながった従兄ではあるのだが、そこは無視した。

「まーた、そんなこと言って。わかってるって。そっけなくして、俺の気を引こうとする作戦だろ。見え見え」

「あなたになにが見えているのかなんて知りたくもないけれど、そんな作戦は存在しないわ。私はあなたのことが大嫌いなのだから。用もないのに私のところへ来るのはおやめなさい。大嫌いなあなたに周囲をうろついてほしくないの。あなたの姿を見るだけで気分が悪くなるわ。そもそも、あなたの仕事は私の側仕えではないはずよ。早く本来の持ち場に戻りなさい」

 そもそも執事見習いが職務を放棄して、雇い主の娘の周辺をうろついていることがおかしいのだ。

「レオニーのくせに、俺に指図するのかよ」

「するわよ。あなたの雇い主の娘よ。それを呼び捨てにするなんてありえない。お嬢様とお呼びなさい。ちょっと、誰かベルナールを呼んで!」

 レオニーがオルソの上司である家令の名前を出すと、

「はいはい。わかりましたよ、オジョーサマ」

 オルソは、慌てたように、しかしレオニーを小馬鹿にするのを忘れずにそう言い残して去った。レオニーはオルソと話すたびにはらわたが煮えくりかえるような怒りを感じていたが、それを少ししか表には出さず、オルソがレオニーに対して無礼な言動を取るたびに淡々と注意をしていた。本心では、オルソに話しかけるのも嫌だったが、無礼なオルソに注意をせず放っておいて、オルソの行いを許しているだとか、オルソを贔屓しているなどと周囲に勘違いされることのほうが嫌だった。しっかり嫌がっておかないと、嫌がっていないことにされてしまう気がして怖いのだ。

 レオニーは、父の書斎に突撃し、オルソの言動の件で父に抗議したが、「まだ慣れていないんだ。大目に見てやってくれ」と、たいそう甘い返事をされた。

「慣れていないって、オルソを雇ってから、もう一年は経つと聞きましたけど」

「まだ一年だろう」

「親戚だからといって甘やかしていると、他の使用人たちに示しがつきません」

「実際、親戚なのだから、ちょっとくらい甘やかしてやったっていいだろう」

「関係ありません。うちで働いているなら、皆、同様に使用人です。もし使用人たちが同じ無礼を働いたとして、オルソだけを大目に見るおつもりですか?」

 父は黙ってしまった。都合が悪くなると黙り込んで、なあなあにやり過ごそうとするのはいまも変わっていない。父は、アルマ叔母やオルソが関わりさえしなければ、普通の中年男性で、頭も悪くなく、仕事も支障なくこなしているようなのだが、溺愛する彼らが絡むと、途端におかしくなるようだった。母が亡くなってからそれが顕著になったように感じる。思えば父は、母の言うことならば渋々ながらもよく聞いていた。頻繁に喧嘩をしていたような記憶があるが、それだって、原因はいつもオルソのことだった。もしかして、オルソさえいなければ、なにもかもうまくいっていたのではないかしら。レオニーは思う。思ってもしょうがない。もう頼れる母はいない。自分がしっかりしなくてはいけないのだ。

 レオニーは父に見切りをつけ、なんとかオルソとの接触を自力で回避することを考え始めた。

 一度、「今日のレオニーのドレス、すげー俺好み。似合ってる」などと気色の悪いことを言いながら、オルソがレオニーの肩に無作法に触れた際、侍女のラウラがオルソを引き倒して昏倒させてしまったことがある。レオニーはラウラに感謝したが、オルソが父に言いつけ、ラウラは父にこっぴどく叱られたらしい。家令のベルナールが庇ってくれたようだが、「次にオルソに暴力を振るったら、わかっているな」とまで言われたとのこと。ちなみに、オルソが俺好みと評したドレスだが、ランベールとのデートで街に出かけた際に贈ってもらったものだった。ランベール様とオルソは、ドレスの好みが似ているのかしら、とレオニーは複雑な気持ちになる。

 ラウラは相変わらず、オルソをレオニーに近づけないよう気を配ってくれてはいるが、もしクビになりでもしたらレオニーの側にいられなくなるということもあり、以前よりは萎縮しているようであった。その都度、口で注意をしてくれてはいるものの、オルソはラウラが孤児だったことを知っており、ラウラを下に見て注意を全く聞かない。そもそも雇い主の娘であるレオニーのことも昔からずっと見下しているのだから、手の施しようがない。

「わたしの力不足で申し訳ありません、お嬢様」

「謝らないで。ラウラのせいじゃないわ、絶対に」

 ふたりは、そんなやりとりをし、重たいため息を吐いた。

 ラウラに昏倒させられたのが応えたのか、それ以来、オルソがレオニーに無作法に触れてくることはなかったが、レオニーを見るねっとりとしたいやらしい視線は変わらずであった。

 ある日、廊下ですれ違う際に、オルソがレオニーの髪飾りに唐突に触れた。

「かわいいのつけてんじゃん。似合うな」

 ランベールが贈ってくれた髪飾りだが、オルソに褒められてもうれしくない。

 最近は、さわってくることがなかったので油断していた。レオニーの全身に鳥肌が立った。頭皮から足先までぞわぞわぞわっと嫌な感覚がひろがり、幼いころに、唾液をつけられたことを思い出してしまう。

「さわらないで!」

「お嬢様にさわるな!」

 レオニーとラウラが同時に叫ぶ。

「わかったよ、お嬢」

 しかし、オルソはどこ吹く風だ。

「お嬢ではなく、お嬢様とお呼びなさい」

「うるさいなあ、俺のオジョーサマは」

「私はあなたのものではありません。今後、そんな言い方は絶対に許しません」

 レオニーはそのまま父の書斎へ直行した。いくら父が頼りにならないとはいえ、オルソの言動が危険で最悪だという抗議だけはしておかなければならない。たびたび抗議していた、という事実が重要になることもあるのだ。

 しかし、書斎を訪ね、オルソの件を抗議すると、「オルソは昔からレオニーのことが好きなんだ。そのくらい大目に見てやれ」と言われてしまう。

 なにそれ。レオニーはゾッとした。それを理由に、どうして大目に見なくてはいけないのか。

 レオニーも、もう子どもではない。オルソの態度から、そうなのだろうとは思っていたし、ランベールもそう言っていたが、父にまでそんなことを言われてしまい、余計に気持ちが悪い。しかも、オルソに面と向かって好きだなどと言われてことなどないのだから、それがまた余計に気持ちが悪かった。オルソのいる世界では、オルソは愛されて当然の存在であるので、レオニーもオルソのことを好いていて当然で、自分の気持ちを言葉で伝える必要を感じていないのだろう。もしかしたら、その発想すらないのかもしれない。

「そんな邪な感情を抱いている危険人物を屋敷に引き入れて、娘が傷物にされたらどうするおつもりなのですか?」

 オルソの頭のなかのことなど考えてもわからないのであきらめ、レオニーは父へオルソへの苦情を訴え続ける。

「馬鹿なことを。オルソはそんなことはしないよ」

 父はけろっとした表情で言った。心底そう思っているような、無邪気ともとれる表情の父を見て、レオニーは恐怖を感じた。

 オルソは、するわ。絶対になにかする。レオニーは思ったが、父の頭は病に冒され、もう手遅れなのだと思うことにした。娘よりも甥のオルソのほうが大事だなんて、病気以外のなにものでもない。

「オルソは、絶対になにかやらかします」

 でも、一応そう宣言して、レオニーは父の書斎をあとにする。

 思えば、学園に通っているときは楽しかった。なぜなら、学園にはオルソがいなかったからだ。日常にオルソがいないだけで、こんなにも心が休まるのかと、しみじみ思ったものだ。

 卒業したランベールも、領地へ帰る日程をかなり遅らせてくれて、王都でたびたび会うことができたので、それもうれしかった。

 ランベールがいて、オルソがいない。それが、こんなにも幸せだなんて。オルソのいない世界で生きていきたい。

 楽しかった過去を思い出しながら、レオニーはふと思った。タウンハウスへ避難しようかしら。

 レオニーは、領地の屋敷で過ごすことを諦め、王都のタウンハウス行きを決めた。

 父に報告すると、「帰って来たばかりなのに慌ただしいな」とブツブツ言われたが、許可は下りた。

 忙しく準備をしていると、前日になり、オルソの直属の上司であるベルナールからオルソが同行するつもりのようだと聞かされる。

「どういうこと!?」

「話を聞きつけたオルソが、旦那様にお嬢様に同行することを志願したようで、旦那様がお許しになられました」

「タウンハウス行きは中止よ、中止!」

 レオニーは叫んだ。

「わかりました。同行予定だった使用人たちにもそう連絡しておきます」

「お願い。知らせてくれてありがとう、ベルナール」

 レオニーはベルナールに礼を言う。

「お嬢、我儘もいい加減にしろよ」

 ベルナールが立ち去り、しばらくすると、また用もないのにレオニーの周囲をうろつきに来ていたオルソと廊下で鉢合った。タウハウス行きが中止になったことを聞いたのだろう。誰のせいだと思っているの。そう思ったが、オルソは自分のせいだとは思いもしないだろう。

「あなたを避けるためにタウンハウス行きを決めたのに、あなたが同行すると聞いたから、行くのをやめたのよ。それに、何度も言っているけれど、お嬢ではありません。お嬢様とお呼びなさい」

「はいはい、オジョーサマ」

 オルソはへらへらと笑って、いつものようにレオニーを小馬鹿にした口調で言い、

「俺のことを忘れるために離れようとしたのか? そんなふうに気持ちに蓋をしなくてもいいんだ。素直になれよ」

 などと、あさってな持論を披露してきた。オルソの切なそうな表情が癇に障る。あまりに腹が立って、頭に血がのぼったレオニーは、いますぐこの世から消えて! と叫びそうになってしまい、ぐっとこらえる。

「私は、いつでも素直な気持ちを言葉にしております」

 呼吸を整え、怒りのにじんだ震える声でレオニーは言い、その場から速足で離れた。

「あなたたちには面倒をかけたわね。でも、もうタウンハウスへ逃げ……行く意味がなくなってしまったの。ごめんなさいね」

 レオニーは、タウンハウスへ同行予定だった使用人たちに、自分でも直接謝罪した。使用人たちはなにかを察してくれたようで、「お嬢様が謝る必要はございません」と心配そうな表情で言ってくれた。

 その夜、自室に戻ったレオニーは、

「どうすればいいの」

 泣きそうになりながら思わず弱音を吐いてしまう。

「お嬢様。差し出がましいことを申しますが、ご婚約者様にご相談なさってはいかがでしょう」

 ラウラが言った。

「ランベール様に?」

 学園でオルソがランベールに迷惑をかけていたこともあり、レオニーは、オルソのことであまりランベールに負担をかけたくないと思っていたのだが、確かにそろそろ限界だった。

「はい。旦那様も、格上の侯爵家のご子息に抗議されれば、少しは考えてくださるのでは」

「とてもそうは思えないけれど、でも、相談はしてみましょう」

 ラウラが背中を押してくれるかたちとなり、レオニーはランベールに相談することにした。あまり期待はできない。ランベールに、ではなく、父に。だが、レオニーはランベールに会いたかった。ただ、話を聞いてくれるだけでいい。ランベールの顔を見て、元気を出そう。相談というよりも、ほとんどそういう気持ちでランベールに手紙を書いた。

 レオニーからの手紙を受け取ったランベールに侯爵領の屋敷に呼ばれ、お茶会をかねて話をすることになった。こちらではオルソ本人が屋敷内を自由に徘徊しているため、相談事ならカルネ家の屋敷のほうがいいだろうという配慮だった。

 お茶を飲みながら、レオニーはランベールにオルソへの恐怖を訴えた。ひとりで抱え込んでいた恐怖を吐き出したことで幾分か安心したのか、少し泣いてしまった。話を聞いたランベールは、レオニーを労わってくれて、いっしょに父に抗議をしてくれると約束してくれた。そして、すぐに明日の訪問を告げる先触れを出しくれた。

「先に申し上げておきますが、父はランベール様からのお言葉でも、きっと聞く耳を持たないでしょう」

 翌日、アミエルの屋敷を訪ねてくれたランベールに、レオニーは申し訳なさそうに伝えた。

「そんなに頑ななのかい」

「ええ。父は、娘の私よりも、溺愛する妹の子のオルソのほうが大事なのです」

「そんな父親が存在するなんて信じがたいが、きみがそう言うなら、きっとそうなのだろう。覚悟はしておくよ」

 客間で行われた話し合いで、ランベールは、オルソに対してもっと適切な対応をしてほしいと父に訴えてくれたのだが、

「いくら当家に婿入りしてくださる予定とはいえ、それはまだ先のこと。こちらの親戚のことに口を出さないでいただきたい」

 父の、オルソのこととなるとおかしくなる病が発症し、案の定、ランベールにも強気に出た。

「そうは言われましても、婚約者の周囲に彼女に懸想している男が存在すること自体が許せません。実際、レオニー嬢は彼を怖がっている。どうかその使用人に対して警戒するなどしていただきたい」

「オルソはそんな危険人物ではない」

 話し合いは平行線をたどり、決着がつかない。

「では、お父様。短剣をあつらえてください」

「なに、短剣だと?」

「ええ。オルソの言動を諭してくださらないのであれば、自分の身は自分で護ります。護身用の短剣をあつらえてください」

 父への抗議はこうなることがわかっていたので早々に諦め、オルソをどうにかしてくれないなら武器をくれ、と願い出てみた。しかし、「大げさな。オルソは危険人物ではないと言っているではないか。そんな無駄遣いは許さない」と、却下されてしまった。

「取りつく島もなかったね」

 客間を出たランベールは、少し驚いている様子だった。

「きみが言ったとおりだったね。以前お会いした伯爵は、あんな感じではなかったと思うのだけど……」

「ええ。驚かれたでしょう。父は、普段は普通の中年男性なのですが、アルマ叔母やオルソが絡むと、途端にあんなふうになるのです」

「それは……なにかの病気かもしれない。心配だね」

 ランベールの神妙ぶった言葉に、

「やはり、ランベール様もそう思われますか。私も、そうではないかと考えておりました」

 レオニーは納得してうなずく。

「僕たちが結婚した際には、療養に入ってもらおう」

「それがいいですわね」

 父が味方になってくれない以上、ランベールは、オルソの言動を細かく日記につけるようにレオニーに言い、さらに、なるべく多くの人にオルソに怯えて暮らしていることを相談するようにと言った。

「状況証拠をそろえて、騎士団に相談しよう。どこまで力になってくれるかはわからないけれど」

 そして後日、こっそりと護身用の短剣を贈ってくれたのだ。

 急ぎだったので既製品で悪いけど、と贈ってくれた短剣は、鞘がうさぎや小鳥などの森の動物のモチーフで装飾されており、大変かわいらしかった。短剣という物騒なものがほのぼのとした動物たちで飾られている。まるでランベールのような短剣を、レオニーはとても気に入った。既製品とはいえ、ランベールがレオニーのことを想って選んでくれたことが伝わってきた。大切にしよう、と短剣を握りしめる。

 レオニーは、オルソの無礼で気持ちの悪い言動を事細かに日記に書き綴り、同じような内容の相談の手紙を学生時代の友人やお世話になった先輩方、そしてお茶会で知り合ったご婦人たちに送ったりもした。レオニーがオルソに怯え迷惑がっているという事実を知らしめるための手紙だが、できればお茶会などで、オルソが危険人物だという噂も流してもらえれば御の字だ。当然、母の兄夫婦へも手紙を送る。母の兄夫婦は、現在旅行中だと聞いていたが、手紙の内容とその手紙を送ったということが大事なので、不在でもかまわなかった。もし旅行中でなければ母の実家に避難できたかもしれない、ということに思いあたり、残念ではあったが。

 しばらくすると手紙の返事が届き始めた。護身用の武器を持つようアドバイスをしてくれる人もいれば、いざというときのために人体の急所を教えてくれる人もいた。いずれも皆、レオニーの身を心配してくれていた。

 オルソの行動は日に日に気持ち悪くなる。それに伴い、レオニーの書く日記の内容も気持ちが悪くなっていく。思い出したくもない記憶を呼び起こして気持ちの悪い日記を書くのは苦痛だったが、必要なことだ。

 用もないのに、オルソがレオニーの自室を訪ねて来ようとするのはいつも通りだが、最近では、レオニーが着替えているときや、湯浴みから上がったときを狙っているかのように思えるタイミングでオルソがやって来るのだ。ラウラや他の使用人がいつもそばについてくれており、絶対に扉を開けることはないとはいえ、恐ろしくて仕方がない。

 オルソは、いままでに一度もレオニーの自室の扉を開けてもらえたことがないというのに、なぜこんなにもあきらめずに何度も訪ねて来ようとするのか。オルソの執念というか、不屈の精神というか、決してあきらめない強い心が恐ろしい。

 レオニーは本格的に身の危険を感じ始めていた。この屋敷にいる限り、オルソの恐怖からは逃れられない。せめてランベールとの結婚が早まり、ランベールがアミエル家で過ごせるようになれば、と思うが、結婚は来年の春と両家の間で決まってしまっていた。準備だって、それに合わせて進めている。父は頼りにならないし、レオニーの都合だけで、日程を変更することなんてできない。ランベールやカルネ侯爵に願えばなんとかしてくれるかもしれないが、そもそも教会や招待客などの兼ね合いもあり、各方面に多大な迷惑をかけてしまいそうだった。

 そんな折、侍女のラウラに言われたのだ。

「いっそ、殺してしまいましょう」

 レオニーの自室でラウラとふたりきり、就寝の支度をしている際のことだった。

「え、なあに。いま、なんと言ったの?」

 あまりにあっさりとした口調に、一瞬、ラウラがなにを言ったのかわからず、問い返すと、

「あいつは危険です。いまのうちに、殺してしまいましょう」

 ラウラは意志の強そうな目と口調で、はっきりとそう言った。

 この国では、自分の命や財産、生活、そして家族の安全を守るための自己防衛の権利が認められている。いわゆる、正当防衛である。

「このまま放っておけば、あいつは、いつかお嬢様に無体を働くことでしょう。そうなってからでは遅いです。あいつがなにかをしようと行動に出た瞬間、お嬢様に害をなす前に、わたしがあいつを殺します」

 ラウラは言った。

「以前、あいつに突き飛ばされたのが悔しくて、奥様に無理をお願いして体術を習わせていただきました。訓練していない男性相手になら、負けません」

 確かに、以前オルソに簡単に突き飛ばされたラウラは、先日オルソを簡単に引き倒していた。あれは、ラウラの努力の賜物だったのだ。

「お嬢様は、わたしの命といっても過言ではありません。お嬢様を護るためだったと訴えれば、うっかり殺してしまっても、正当防衛が認められるかもしれません」

 ラウラは淡々と言った。

「ラウラ。以前からわかっていたけれど、あなたって素晴らしいわ」

 ラウラの提案に、レオニーの目の前がきらきらと明るくなっていく。オルソを殺せば、この世からオルソがいなくなる。オルソのいない世界で生きていける。そんなあたりまえのことに気づかなかったなんて。

「ところで、ラウラ。あなたが私のことをそんなふうに思ってくれているなんて知らなかったわ」

「お伝えしていませんでしたから」

 まだ母が生きていた頃、慈善活動の一環として母と共に孤児院を訪ねた際に出会い、一緒に遊んだのがラウラだった。兄弟姉妹のいないレオニーはラウラを姉のように慕い、軽い気持ちでラウラを家に連れて帰りたいと母に願った。ちょうど、レオニーの侍女をどうしようかと考えていた母は、ラウラを侍女として教育し育てることに決めたのだ。その際に、念には念を入れ、形だけではあるが、ラウラを母方の親戚筋の男爵家の養女とした。なので、ラウラは、元孤児ではあるが現在は男爵令嬢である。

「お嬢様にとっては何気ない言動だったのかもしれませんが、そのおかげで、わたしは孤児だったにも関わらず、衣食住に困ることなく、読み書きを教わることができ、さまざまなことを学ばせていただき、こうしてちゃんと働くことができております。お嬢様と奥様のおかげで、いまのわたしがあるのです」

「ラウラ、そんなふうに言われると、私、照れてしまうわ。だけど、うれしいの」

 レオニーが感極まって言うと、ラウラはただ微笑んだ。

 その夜、レオニーはラウラとふたりで、遅くまではしゃぎながら、オルソ殺害の計画を立てた。

 オルソを殺害するにあたり、武器をどうするかという問題がある。普通に考えれば、ランベールから贈られた短剣を使用するのが簡単だが、レオニーは躊躇ってしまう。ランベールから贈られたかわいい護身用の短剣を握りしめ、これをアレの血で汚してしまうのは嫌だわ、と、思ってしまったのだ。ラウラは、そんなレオニーの思いをくみ取ったのか、食事用のカトラリーをこっそりとくすねてきてくれた。

「誰かになにか言われたら、私に命令されたって、ちゃんと言うのよ」

 レオニーはラウラが叱られないようにそう言い聞かせたが、「はい」と返事はしたものの、ラウラはあまり気にしていないようだった。

 ラウラといっしょに、フォークの先をやすりで削ってぎんぎんに尖らせ、ナイフも念のため研いでおく。食事用なので対人間用としてどこまで使えるかはわからない。

 きみがブスだなんて、そんなことを言うやつの目玉はフォークでくり抜いてやるといい。

 レオニーは、初めて出会ったときにランベールが言ってくれた言葉を思い出し、このフォークでオルソの目をくり抜く……と怪しまれるから、突き刺してやるんだから! と意気込んだ。

「そういえば」

 レオニーは、かつて自分の髪の毛を自分で切ったときの裁ち鋏のことを思い出していた。

「あれがあれば、かなり助かるわね」

 不要な布地や古着を使って、来月の教会のバザーに出す人形とその洋服を作るという理由で、レオニーとラウラの分の切れ味のよい裁ち鋏を二挺、部屋に常備することに成功した。疑われないように、作業台も運び込み、実際に人形やその洋服もいくつか作った。これらの武器でオルソが死なない場合、最終的には短剣を使う覚悟はしておかなければならない。でもでもでも、宝物だもの、汚したくないわ。レオニーの乙女心は葛藤するのだった。

 いつなにがあるか、もうわからないので、レオニーはカルネ領へランベールに会いに行った。

「もし私が罪を犯しても、ランベール様は変わらず、私を愛しいと思ってくださいますか?」

 そう尋ねると、

「もちろん、きみへの愛は変わらないよ。だけど」

 即答したランベールの眉間に、きゅっとしわが寄った。

「かわいいレオニー。なにか危ないことをするつもりなの?」

「いいえ、ちょっと聞いてみただけですわ」

「……危険なことはしないと約束してほしい」

「ええ、わかりました」

 レオニーは、にっこりと微笑んで、大きな危険を回避するために、小さな危険を冒すのは仕方がないわよね、と心のなかで言い訳をした。


 オルソがなにかをするだろうということを、レオニーとラウラは信じて疑っていなかった。その日が、オルソの命日になるということも。だが、オルソがいつ行動を起こすのかはさすがにわからず、夜は警戒して眠れない日々が続き、ふたりとも寝不足だった。

 ここのところ、ラウラは連日、レオニーの部屋のソファで寝泊まりしていた。

「ほら、その、ねえ。いつ、なにがあるかわからないでしょう。怖くて。ラウラに私の部屋にいてほしいの。お父様には内緒にしてね」

 というレオニーのしどもどした弱々しい懇願に、家令のベルナールを含めた使用人たちは同情し、レオニーがそれで安心するのなら、と見逃してくれていた。

 そんな折、とうとうオルソが行動に出た。激しい嵐の夜だった。

 その日の朝、窓の外の荒れた天気を見て、レオニーとラウラは、今日かもしれない、と半ば確信を持っていた。夜に近づくにつれ、嵐は激しくなり、案の定、オルソは夜中にレオニーの部屋に難なく侵入した。執事見習いの業務で得た情報を悪用し、合鍵をくすねたらしい。ろくに仕事をしないくせに、そういう知識だけは覚えているのが腹立たしい。

 薄目を開けると、オルソがレオニーのベッドに近づいてくるのが窓から入る雷の閃光で鮮明に見えた。顔をのぞき込まれた気配を感じた瞬間、掛け布団の下で食事用のナイフを握り、その腕に勢いをつけて、レオニーはオルソの顔を横からぶっ刺した。ガチン、と衝撃を感じ、レオニーの利き手がビリビリと痺れる。ナイフは、オルソの頬の、その奥の歯にぶつかり、オルソの頬を滑った。血が滴る。

 頬を切られたオルソが声を上げる前にラウラがオルソの脚を払って床に押し倒し、レオニーはオルソの顔に向かってダイブするように、もう処分するつもりの枕を押しつけて声が響かないようにした。とはいえ、激しい雨風の音や雷鳴で、悲鳴のことはあまり神経質にならなくても良さそうだった。そういう理由で、オルソもこの日を選んだのだろうと思うと、本当に、ただただ腹が立つ。

 ラウラがオルソの両肩を外し、次いで、両膝を裁ち鋏の持ち手で割った。本当に割れたかどうかはわからない。レオニーが体重をかけて押さえている枕の下で、身をくねらせくぐもった声を上げるオルソ。その声が聞こえなくなる瞬間を待って、枕を取り、呼吸をしようとぽっかりとあいたオルソの口に素早く父の靴下を詰め込む。自分の持ちものを詰めるのは絶対に嫌だったので、父の古い靴下を、人形の帽子を作るからと言ってもらってきていたのだ。

 レオニーは今度はフォークを握ると、そのままオルソの目を躊躇いなく突き刺した。

「ぐぅ……」

 オルソがうなる。身体をひねって暴れようとしたらしいが、動くとあちこち痛いのか勢いがない。ラウラが黙って、ゆるゆるとバタつくオルソの両脚を押さえた。オルソがフォークの刺さっていないほうの目でレオニーを見た。

「どうしてって顔をしているわね。最後だから教えてあげる」

 しゃべれないオルソ相手なので、頭に血がのぼることもなく、レオニーは穏やかに話す。

「あなたのことが大嫌いだからよ。あなたが、この世界からいなくなればいいとずっと思ってた。ずっと、あなたのいない世界で生きたいと思っていたわ」

 いつまで続くのかわからない、つらく苦しい日々が、レオニーの頭のなかで物語のように流れていく。それも今日で、終わる。終わらせる。

「よく聞いて。これは、照れ隠しでも、気を引こうとしているわけでもないわ。そもそも、私は最初からそんなこと、していなかったの。いつも、正直な気持ちをあなたに伝えてきたつもりよ」

 オルソはうなり、目から血を流しながら顔を歪ませる。

「私は、あなたが大嫌いだって、言葉や態度でずっと伝えてきたけれど、あなたの目や耳は自分に都合の悪いことは見えないし聞こえないのよね」

 レオニーはわざとらしく深いため息を吐いた。

「そんな目なら、なくてもいいわよね」

 言いながら、オルソの目のフォークをぐりっと動かすと、オルソはくぐもった悲鳴を上げた。耳も切り落としてやろうかと思ったが、そこまでしてしまうと正当防衛ではなく拷問だと思われる可能性があるのであきらめる。

「あなたにはわからないでしょうけど、話が通じない人間を相手にするのは、本当に疲れるの。あ、そういえばあなたって人間じゃなくて天使だったんだっけ。話が通じないわけよね」

 レオニーは、オルソがアルマから「天使ちゃん」と呼ばれていることを思い出して笑ってしまいそうになる。

「馬鹿みたい。雇い主の娘を強姦する天使なんて、いるわけないじゃない。人間の使用人でも珍しいわよ」

 レオニーの言葉が、認知の歪んだオルソにどこまで正しく伝わっているかはわからないが、これまでの鬱憤を吐き出さずにはいられなかった。

「もう一度言うわね。私は、あなたのことが大嫌いなの。昔からずっとよ。好きだったことなんて、一度もないわ」

 念を押すように言い、レオニーは続ける。

「そもそも、あなたの家族と私のお父様以外に、あなたを好きな人なんているの? いないんじゃない? この、勘違いの自惚れ天使」

 オルソはゆるゆると首を左右に振った。こんなときなのに、レオニーの言葉を否定するつもりらしい。たいした自信ね、と、レオニーは驚く。

「あなたの不幸は、美しい顔で生まれてしまったことね。あなたのお兄様たちみたいに、ラビヨン男爵に似て普通のお顔で生まれていれば、変な認知の歪みを植えつけられることもなかったでしょうに。美しい顔で生まれてしまったばっかりに甘やかされて、美しい顔で生まれてしまったばっかりに傲慢に育ってしまった。そう考えれば、あなたも被害者ではあるのよね。かわいそうに」

 オルソの片目が揺らぐ。少し微笑んでいるようにも見えた。

「だからって、許さないわ」

 レオニーは低く冷たい声で言った。

「あなたが、お母様の埋葬のときに言ったひどい言葉を、私は忘れていない」

 あのときのことは、思い出すだけで苦しくなり、怒りに我を忘れそうになる。そんなレオニーに対して、オルソの反応は薄い。オルソの片目の視線を、わけがわからない、と読み取ったレオニーは

「あら、覚えていないのね。それとも、なにが悪かったのかわかっていないの? すごいわ。あなたって、本当に人間じゃないのかも」

 そう言うと、オルソがまた微笑んだように見えて、レオニーは気味が悪く思う。

「あとね。私が愛しているのは、ランベール様だけよ」

 オルソは、レオニーを見下したような微笑みを浮かべたままだ。レオニーがいくら、嘘偽りのない自分の気持ちを言葉にしても、オルソには伝わらない。

「確かに、親の決めた婚約ではあったけれど、私たちは相思相愛なの。ランベール様以上に素敵な人なんていないわ。それなのに、この幸せをあなたに壊されてたまるものですか」

 しかし、伝わらないとわかっていても、伝えておかなくてはいけない気がする。自分の気持ちを、吐き出しておかないときっと、もやもやしたものが胸に残るだろう。

「私の幸せに、あなたは邪魔なの」

 レオニーは言い切った。

「これで永遠にさよならね」

 気づくと、ラウラが裁ち鋏を持ってとなりに寄り添ってくれていた。

「ラウラ、貸して」

 レオニーは手を差し出すが、

「いえ、わたしが」

 ラウラは裁ち鋏を渡さない。

「いいの、貸して」

「いいえ。お嬢様のお手を汚させるわけにはいきません」

「そんなの、あとからどうとでも言えるわよ。どちらが刺したか覚えてないことにすればいいわ。それに、もしこの罪が白日の下に晒されたとして、直接の被害者である私が加害者である執事見習いを殺したというほうが、罪が軽くなりそうじゃない?」

 それでも動かないラウラの手から、レオニーは裁ち鋏を奪い取る。そうしたはいいものの、レオニーは、自分の手が震えていることに気づき、深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。恐怖なのか、怒りなのか、それとも歓喜か。自分の感情がわからなくなる。

「やっと、願いが叶うわ」

 レオニーは自然と微笑んで、ぐったりしてはいるが懸命な様子でうなるオルソの醜い形相をのぞき込む。オルソの心臓にあたりをつけて、レオニーは持っていた裁ち鋏の先をあてるが、やはり手が震えてしまう。ラウラが、震えるレオニーの両手に、自分の両手をぐっと重ねた。

「ありがとう、ラウラ。やっぱり、私ひとりでは駄目ね」

 レオニーはラウラに礼を言い、そして、

「これで、あなたのいない世界で生きていける」

 清々しい気持ちでよろこびの言葉を発すると、ラウラとふたりで、全体重をかけてオルソの胸に裁ち鋏を突き立てた。

 オルソのうなり声が止む。身体もぴくりとも動かない。

「ちゃんと死んだのかしら」

「ええ、血の動きを感じられません」

 ラウラがオルソの首筋に手を当てて言う。

「ああ、やっと。これでやっと、ぐっすり眠れるわ」

 オルソの頬から散った血で汚れた顔で、レオニーはほっとしたように微笑んだ。

「でも、ここからが大変よ。がんばりましょう」

 すぐに真面目な表情に戻ると、

「ええ、お嬢様」

 オルソ口の中から父の靴下を取り出して作業台に戻す。そして、這うようにして廊下に出ると、

「だ、誰か……!」

 助けを求めて叫んだ。

 大声で何度か叫ぶと、使用人たちがかけつけてきた。

 倒れたオルソの目にはフォーク。さらに、その胸に突き刺さった裁ち鋏。そして、オルソのそばに落ちた合鍵の束、食事用のナイフ。そして、わずかながら返り血を浴び、恐怖に震えながら抱き合うレオニーとラウラ。それらを見て、使用人たちはなにが起きたのか、おおよそ察したようだった。

 父は内々で事を収めたかったようだが、人が一人死んでいるのだ。後々のことを考えると、そういうわけにもいないと、家令のベルナールの説得によって騎士団が呼ばれた。そして、数日に渡る長い調査と事情聴取の末に、過剰ではあるが、という但し書きつきで、レオニーとラウラの正当防衛が認められた。

 事情聴取の際に、レオニーは騎士団に日記を提出し、こう証言した。夜中に気配を感じて目を覚ますと、オルソが自分に覆い被さってきた。襲われると思った。だから、身を護るためになにかを握って応戦した。オルソの日頃の言動から身の危険を感じていたので、食事用のナイフとフォークを護身用に持っていた。裁ち鋏は、バザーに出す人形やその洋服を作るために部屋に準備していたものである。周囲にオルソのことを手紙で相談した際に、なにか武器を持っていたほうが良いと勧められたし、婚約者からも短剣を贈られている。よく覚えていないが、とっさにつかんだのが、カトラリーやそのへんにあった裁ち鋏だったのだと思う。怖くて必死だったので、そのときのことはあまり覚えていない。

 ラウラは、レオニーを護るために暴漢の肩を外したことは覚えているが、その後のことは混乱しておりよく覚えていないと話した。そして、オルソのことは、おそらく必死になった自分がそのへんにあった裁ち鋏をつかんで刺したのだと思う、とも供述している。繊細なお嬢様には決してそんなことはできないはずだから、と。

 騎士団は、レオニーの父であるアミエル伯爵や屋敷の使用人たちにも聞き取り調査を行った。すると、

「オルソの態度は、目に余るものがありました。上司である私が、いくら注意しても彼は反省しません。そもそも、自分の態度のなにが悪いのか理解していなかったのではないでしょうか。悪いとも思っていなかった。お嬢様も、いつもオルソに注意していらっしゃいましたが、オルソは聞きませんでした。オルソは旦那様のお気に入りで、それを自覚しており、やりたい放題でした」

「オルソはお嬢様に懸想しており、用もないのにお嬢様の自室のあたりをふらふらしておりました。もちろん、その間、仕事はしておりません。オルソは、隙あらばお嬢様の部屋へ入ろうとし、いつも侍女のラウラや他の使用人たちに阻止されていました」

「お嬢様はオルソさんを嫌っておいででした。正直に申しまして、最初は、あんなにきれいな人に好かれていてなにがご不満なのかと不思議に思っておりましたが、オルソさんの言動を見ていて、いまではお嬢様のお気持ちがよくわかります。好いてもいない男性にしつこくされるのは、恐怖でしかありません。それに、彼は本当に傲慢で無作法で気持ちの悪い男でしたから、いくら顔がきれいでも、あれでは……」

「オルソはお嬢様も自分を好いていると、なぜか勘違いしておりました。お嬢様には相思相愛のご婚約者様がいらっしゃる上に、お嬢様ご自身にもあんなに拒絶されているのに、どうしてあんなふうに信じ込めるのか……理解できず、不気味でした。お嬢様はオルソに怯えておいででしたので、何度もオルソのことで旦那様に抗議されておりました。ですが、旦那様はお嬢様の言葉を聞き入れてはくださらないようで、オルソの言動は変わりませんでした」

「オルソは、明るくていい子だった。レオニーに恋心を抱いていたことは知っていたが、まさか、レオニーを害そうとするなんて思わなかった。なにかの間違いではないのか」

 アミエル伯爵以外にオルソを庇う者が一人もいないという結果になった。

 騎士団はオルソの為人を把握し始めた。オルソの学園での知人などにも聞き取り調査は行われ、オルソが懸想していたレオニーの婚約者であるランベールへの理不尽な暴言などが明らかになっていった。そのつながりで、ランベールにまで調査の手が入ったと聞き、レオニーは申し訳なく思った。

 レオニーがかねてから、オルソが自分に無体を働くのではないかと危惧していたこと。父に言っても聞き入れてもらえないため、そのことを婚約者のランベールを含め、周囲に相談していたこと。屋敷の使用人たちも、オルソの目に余る言動を知って危惧し、できる範囲で気をつけていたこと。レオニーがいつもオルソのなれなれしい態度やつきまといを嫌がり、注意していたこと。それらの状況を考慮すると、当日のオルソの目的はレオニーを害することで間違いないという結論になった。そのため、レオニーの身を護るための反撃には正当性が認められた。なにより、レオニーがランベールから贈られた護身用の短剣を所持していながら、それを使用しておらず、殺傷能力の低いカトラリーや、部屋にたまたまあった裁ち鋏を使用していたことから、オルソを殺害したのはとっさの行動の結果そうなっただけで、殺意はなかったと判断された。


「良かったではないですか、一人娘が傷物にならずに済んで」

 数日に渡る騎士団の調査が終わり、父の書斎で、レオニーは投げやりに言った。

「どうされました? たったひとりの娘が無事だったのですよ? よろこんでくださらないの?」

 父は顔色を悪くし、疲労のにじんだ様子で項垂れている。父親として、レオニーを気遣う言葉をかけることもしない。

「それとも、お父様は私がオルソに汚され、傷物になることを望んでいらしたのですか?」

 父は黙ったままだ。

「なによ、それ。悪魔みたいな父親ね」

 沈黙を肯定と受け取ったレオニーは、吐き捨てるように言う。

「違う。オルソがおまえに乱暴しようとするなんて思わなくて……どうしてこんなことに。きっとなにかの間違いだ」

「まだそんなことをおっしゃるの? 私、何度もお父様に申し上げましたよね? アレの言動を逐一報告して、抗議しておりましたよね? なにかの間違いだなんて、お父様は、アレのなにを見てそう思い込んでいたのです? アレは日頃からなにか良くないことをやらかしそうな気配のぷんぷんする危険人物でしたわ」

「そんなことは」

「騎士団の聞き取り調査の結果を聞きまして? 使用人たちも同意見でした」

「しかし、オルソは、まだなにもしていなかったではないか。それなのに、あんなふうに殺すなんて……」

「まだ? まだってなんです? まさになにかされそうになったから反撃したのです。なにかされてしまってからでは遅いのですよ?」

 父は黙ってしまった。

「確かに、私たちは、結果的にアレを殺してしまいました。身を護るために仕方がなかったのです。そうしないと、死ぬよりもつらい、おぞましい目に遭うところだったのですもの」

 レオニーはぶるりと震え、自分の二の腕を両手でかき抱く。

「だけど、こうなったのは、お父様たちにも責任があります」

「……どいういうことだ」

 父は弱々しく問い返す。

「どうしてこんなことに、と、おっしゃいましたね。教えて差し上げます。オルソの死は、お父様たちのせいよ。幼いころからアレを甘やかすだけ甘やかして、私に嫌われているという現実を教えることをしなかった。それとは別に、雇い主の娘にべたべたさわって無礼な態度をとっても問題ないと教えたのもそう。使用人がそんな態度で許されたなんて成功体験を、アレにさせたのはあなたたちよ。だから、アレは勘違いして調子に乗って、私に乱暴しようとしたんじゃない。確かに手を下したのは私たちですが、お父様やラビヨン家の方々がアレを甘やかしたせいでもあります。あなたたちのその甘さが、アレを死に追いやったのよ」

 一息吐き、

「それだけは、ちゃんと自覚なさってね」

 レオニーは父の目をしっかりと見てそう言った。

「妹に、アルマに、なんと言えばいいんだ……」

 レオニーから目をそらして嘆く父に、

「そのままの事実をお伝えしたらいいのではなくて? アレが娘を強姦しようとしたのだと。そのせいで反撃されて殺されたのだと。あなたの天使ちゃんは強姦魔だと。アルマ叔母様やラビヨン家の方々は事実を知る必要があるわ」

「おまえはそれでいいのか。おまえにとっても醜聞になるのだぞ」

「あら、いまさら私の心配をしてくださるの?」

 レオニーはわざとらしく驚いてみせる。

「違うわね。お父様は、家の評判を気にしているのでしょう。醜聞なんてどうってことないわ。どうせ、すぐに噂になるでしょうし、強姦魔にいいようにされたなんて醜聞より何倍もマシよ」

 吐き捨てるように言い、

「でも、お父様には感謝していることもあります。ランベール様との婚約を解消せず、そのままにしていてくださったでしょう。解消して、オルソと無理に婚約を結ぶようなことはしなかった。それに、ラウラのことも。辞めさせたりなんてしなかった。きっと、オルソにいろいろ我儘を言われていたでしょうに。そのふたつのことだけは、素直に、ありがとうって思っております」

 レオニーは淡々と、父に感謝を伝える。父は、驚いたようにレオニーを見た。

「レオニー……」

「もう、よろしいわよね。私、疲れているのです」

 言いたいことは伝えた。なにか言いたげな父を無視し、レオニーは書斎を出た。

 オルソの遺体は、目にフォークが刺さったあの状態のまま、騎士団に引き取られたらしい。騎士団に呼ばれたラビヨン男爵がオルソの遺体と対面したとき、きっとショックだったでしょうね。レオニーは他人事のようにそう思った。

 そんなことを考えていたら、ラビヨン男爵家から、アミエル伯爵家と騎士団に抗議があったという。要約すると、「オルソがそんなことをするはずがない」ということらしい。

 しかし、騎士団の調査結果や、使用人やオルソの知人たちの証言、それにレオニーの日記や手紙などから、オルソの言動は騎士団に把握されており、オルソはレオニーを害そうとしたと結論づけられていたので、抗議は却下された。

 父はどう出るのだろう、とレオニーはやはり他人事で思っていたが、父はラビヨン男爵家からの抗議を突っぱねたという。娘を害そうとしたのはオルソだ。だからこうなったのはオルソの自業自得だ、と返事をしたらしい。家令のベルナールがこっそりと教えてくれた。

 唐突な手のひら返しに、ラビヨン男爵家の方々は驚いたのではないかしら。そう思いながら、レオニーも驚いている。

 まさか、オルソがいなくなって、初めて娘の大切さに気づいたとでも言うのかしら。レオニーはそう思ったが、それってなんだか変よね、とも思う。レオニーがいなくなって初めてレオニーの大切さに気づいたのならまだ理解できるが、オルソがいなくなって気づくなんて、どういうことなの。やはり、父のことも理解できない。考えるのが面倒になったレオニーは、忘れることにした。父の手のひら返しが、自分に害をなすわけではなさそうだったので、まあいいか、と思ったのだ。

 しばらくして、アルマ叔母は心を病んでしまい屋敷に引きこもっているらしいと噂で聞いた。いくら父がアルマ叔母を溺愛していても、今後、ラビヨン男爵家とは疎遠となるだろう。最初から、オルソさえいなければこんなことにはならなかったのに、とレオニーは思った。


 しっかりと休んで、身の回りが落ち着いてきたころに、レオニーは、ランベールをアミエルの屋敷に招待した。

「このたびは、カルネ侯爵家の皆様や、ランベール様にまでご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

 庭に準備したテーブルセットに、使用人たちがお茶とお菓子の仕度をしてくれた。オルソがいないので、安心してランベールとの会話を楽しめる。レオニーの心は軽い。

「それは全然かまわないんだけど、どうして事前に相談してくれなかったんだい?」

 事件の真相をなんとなく察しているらしいランベールは、少しだけ不満をにじませてそう言った。

「相談したら、ランベール様は、私を止めましたでしょう?」

「それはそうだよ。きみにそんな危ないことはさせられない」

「だから、具体的なことはなにも。ラウラと私だけの秘密にしておりましたの」

「きみとラウラは仲良しだよね。僕だけ仲間外れだよ」

 ランベールの拗ねた様子がかわいくて、レオニーは笑ってしまう。

「ランベール様。私は人を殺してしまいました」

 そして、真剣な表情でランベールに打ち明ける。

「きみは、自分で自分を護っただけじゃないか。被害者だよ。きみが相談の手紙を送った人たちも、皆、きみのことを心配し、きみが被害者だと思っているはずだよ」

 ランベールも真剣な表情で、言葉を尽くしてくれる。

「僕の両親だって、きみの身を案じていた。そして、自分の身を護ったきみと、主人を護ったラウラのことを勇気があると褒めていた」

 それを聞いて、レオニーはほっとした。ランベールを人殺しとは結婚させられないと言われるかもしれないことを、どこかで覚悟はしていたのだ。それでも、表面上はレオニーは法が認めた被害者であるので、なにかと理由をつけて婚約の解消などには応じないつもりではあったのだが。

「だけど、僕との約束を破ったね。危険なことはしないという約束だったじゃないか」

 ランベールが少し声を低くして言った。

「ごめんなさい。あいつが生きていたほうが、よっぽど危険だと思ってしまったの」

 レオニーは素直に謝る。約束を破ってしまったのは事実なのだ。

「そこは否定できないのがつらいけど。でも、思い切ったことをしたわりには、僕が贈った短剣を使わなかったらしいじゃないか。どうして?」

「だって、ランベール様からの贈りものを、アレの血で汚したくなかったんですもの」

「きみの身を護るために贈ったものだ。有効に使ってほしかったよ」

「でもでも、だって、大切な宝物なんですもの。使えません」

 いやいやをするように首を振ると、

「まったく、きみって人は」

 ランベールは呆れたように微笑んだ。

「いいかい。短剣なんかより、きみ自身のほうがはるかに大切な存在なんだよ。短剣はあくまで道具で、替えがきく。だけど、きみはこの世でたったひとりだ」

 そして真剣な表情で、レオニーを叱ってくれる。

「短剣も使ってもらえなかったなんて、これでは、本当に僕は役立たずだ」

 そう言って、しょんぼりとしてしまったランベールに、

「そんなことはありません。初めてお会いしたときに、ランベール様のかけてくださったお言葉が、私に勇気をくれました」

 レオニーは、ランベールの言葉に励まされたことを伝えようと、口を開く。

「どの言葉? きみがかわいいってことかな?」

「きみがブスだなんて、そんなことを言うやつの目玉はフォークでくり抜いてやるといい。ランベール様はそう言ってくださいました」

「ああ、確かに言った」

「だから、私、フォークであいつの目を突き刺してやりましたの」

「本当にやるなんて思ってなかったな」

 ランベールは情けない顔で力なく笑い、「レオニー、怖かっただろう」と、レオニーを心配してくれる。そして、「本当に、きみが無事でよかった」と、今度は泣き出しそうな顔で呟いた。その顔が愛しくてたまらなくて、レオニーの胸は締めつけられる。

「もうないとは思うけど、今後こういうことをするときは、必ず僕にも相談してほしい。もう二度と、きみの手を汚させるようなことはしないから」

 ランベールは力強く言い、

「あ、いまのは言葉の綾で、きみの手はいつだって美しいけどね」

 照れ隠しなのか冗談めかしてそう続けると、いつものほのぼのとした笑顔を見せてくれた。

「もう、ランベール様ったら」

 レオニーは、晴れやかな気持ちで幸せを噛みしめる。

「結婚して、仕事の引継ぎが終わったら、きみの父君にはすぐにでも療養に入ってもらおう」

「うれしい。待ち遠しいわ」

 ふたりは微笑み合い、安寧を確かめる。これで、安心して結婚の準備も進められる。

 ランベールがいて、オルソがいない。レオニーの未来は明るい。


   *


 なんでなんだ。

 いままでいた世界が遠ざかっていくような感覚の中で、オルソ・ラビヨンの意識を占めているのは、その言葉だけだった。


 幼いころ、母に連れられて行ったアミエル伯爵家の屋敷で初めて会ったレオニーは、かわいらしい女の子だった。そのはちみつ色の髪の毛を美しいとオルソは思った。だけど、どうやってそれを伝えればいいのかわからず、ついからかうようなことを言ってしまった。

 レオニーに興味を持ってほしくて、会うたびにからかったり、いたずらをしたりした。はちみつ色の髪の毛に触れたくて、手を伸ばすと、レオニーはいつも逃げるのでついつい引っ張ってしまったりもした。

 レオニーに逃げられないようにするにはどうすればいいのか、とオルソは考えた。気づかれると逃げられるのだと考えたオルソは、気配を殺してこっそりとレオニーに近づき、そのはちみつ色の髪の毛を一房つかんで、そこにキスをした。父であるラビヨン男爵がときどき母にしているのを見て真似たのだ。母は、父にそうされると幸せいっぱいの笑顔で、父の頬にキスをするのだ。レオニーも、当然、そうしてくれるものだと思っていた。

 しかし、オルソがレオニーの髪にキスをすると、レオニーは悪魔のような形相になり、「やめてよ!」と悲鳴のように言うと、オルソを振り切って走って逃げていった。オルソは、なぜレオニーがそんな反応をするのかわからず、ぽかんとしてしまった。

 後日、顔を合わせたレオニーの髪の毛はとても短くなっていて残念に思ったものだ。

「なんで髪を切っちゃったんだよ」

 きれいだったのに。不満を口にすると、「あなたの唾液がついたからよ。だって汚いじゃない」とレオニーが言った。

「なんで、なんで、なんで、そんなこと言うんだよう」

 オルソが泣くと、母と伯父が慰めてくれた。レオニーは伯父に叱られていたが、ふてぶてしい顔をしており、決してオルソに謝ることはなかった。

「かわいそうに、私の天使ちゃん。レオニーちゃんは、きっとあなたの気を引きたかったのね」

 母の言葉に、なるほどそうか、とオルソは納得した。

「子どものころは、好きな子に意地悪をしたくなっちゃうこともあるのよ」

 レオニーがオルソにそっけないのも、オルソが触ると悪魔の形相で嫌がるのも、オルソの気を引きたいからなのだ。その気持ちは、オルソにもよくわかった。自分が、そうだからだ。

 オルソも、レオニーに対して、いままでたくさんの意地悪やいたずらをしてきた。それもこれも、レオニーの気を引きたかったからだ。オルソがなにもしなければ、レオニーはオルソがそこにいないようなそぶりで、オルソのことを無視する。オルソがレオニーに意地悪をすると、レオニーはやっとその目にオルソを映してくれるのだ。レオニーも、自分と同じなのだ。オルソにわざと意地の悪いことを言って気を引こうとする。素直になれない者同士、自分たちはお似合いだ、と、母の言葉を受けてオルソは思った。

 しかし、ある日、レオニーが婚約したという。青天の霹靂だった。

 もしかして、レオニーはオルソを高根の花だとあきらめ、他の手に入りやすい男で妥協したのかもしれない。オルソはそんなふうに考え、それ以来、レオニーに対して、寄り添い気遣うよう心がけた。レオニーは相変わらず、オルソの気を引こうと意地悪なことばかりを言うが、レオニーは自分より年下でまだ子供なのだから自分が大人にならなくてはいけない、とオルソは心を入れ替えることを誓った。

 それに、母親の決めた男と無理やり結婚させられるなんて、レオニーがかわいそうだ。気丈に振る舞ってはいるが、きっとオルソに助けを求めているはずだ。

 俺が助けてやる。オルソはそう決意し、学園で同学年だったランベールに、苦言を呈しては、レオニーを開放するよう訴えたがうまくいかなかった。

 学園を卒業したオルソは、レオニーをそばで助けたい一心で、執事見習いとしてアミエル家の屋敷に入った。母に頼んだら、簡単だった。

 なるべくレオニーのそばにいてやろうと会いに行くのだが、いつもレオニーを見張っている侍女や、他の使用人たちに邪魔されてうまくいかない。レオニーをよろこばせようと、ドレスや髪飾りを褒めたりもしたけれど、レオニーは意地を張っていて、いつもオルソに憎まれ口を叩くのだ。

 一度、レオニーの侍女に邪魔をされ暴力を受けた際に、件の侍女をやめさせるよう伯父に頼んだことがある。伯父はオルソの頼みならなんでも聞いてくれるので、今回もそうしてくれるものだと思っていたのだが、

「オルソの頼みは聞いてやりたいが、ラウラはレオニーの気に入りだから、辞めさせられないよ」

 伯父はそう言った。

「あいつは平民でしょう。しかも孤児だ。あいつではなく、ちゃんとした家の令嬢を雇ったほうがいいのでは」

「ラウラは、うちに勤める際に男爵家の養女になっているから、平民ではなく貴族令嬢だよ。ちゃんとした家の娘だ」

 それは知らなかった。しかし、いまはそうでも、元平民で孤児には違いない。

「それに、レオニーはラウラを姉のように慕っているからね。引き離すのはかわいそうだ」

 伯父は言い、「ラウラには、二度と暴力を振るわないようきつく言っておいたから」と、オルソの頼みを聞いてくれなかった。オルソは、あの邪魔な侍女を辞めさせることができず、不満に思う。

 思えば、レオニーのことに関してだけは、昔からうまくいかなかった。

 ずっと昔、レオニーを連れてラビヨンの屋敷に遊びに来てほしいと伯父に願ったことがある。その願いは、ついぞ叶わなかった。

「レオニーが行きたいと言ったら行くよ」

「レオニーは来たいに決まっているよ」

 そんな会話をしたけれど、結局、伯父はレオニーを連れてきてはくれなかった。レオニーに、庭の池にカエルが産んだたくさんの卵を見せてやろうと思っていたのに。

 少し成長し、レオニーと結婚したいと母や伯父に頼んだときも、

「レオニーがオルソと結婚したいと言うならね」

「レオニーは俺と結婚したいに決まっているよ」

 伯父とはそんな会話をしたけれど、レオニーは結局、伯母の決めた他の男と婚約してしまった。そして、その婚約は伯母の死後もまったく解消される気配がない。

 痺れを切らしたオルソは、伯父に改めて、レオニーと結婚させてほしいと頼んだ。

「いくらオルソの頼みでも、それは難しい」

 伯父は困ったようにそう言った。

「なんでですか?」

 その答えを不満に思い、オルソが問い返すと、

「レオニーは、カルネ侯爵のご子息のことを好いているからね。彼との婚約を解消すれば、レオニーは悲しむだろう」

 伯父はそんな勘違いをしていたのだ。

「そんなことないですよ。だって、レオニーが好きなのは、あいつではなく俺だし、俺と結婚できることになれば、レオニーはよろこびます」

 オルソは伯父の勘違いを正そうと、そう説明する。

「私も、オルソとレオニーが結婚してくれればうれしいが、結婚は、レオニーの想う相手とさせてやりたいんだ。結婚するのは、私ではなくレオニーだからね」

 なんだ。伯父も、オルソとレオニーの結婚には賛成なのか。オルソはその言葉を聞いて安心した。

「それが、俺だって言ってるんですよ」

 しかし、伯父は頑なに勘違いを正そうとしない。

「だが、レオニーはそうは思っていないんだ」

「そんなことはありません。レオニーは俺のことが好きです。俺だって、レオニーのことが好きなんです。レオニーを悲しませたくなくて、こうしてそばにいるんだから」

 伯父は、微笑んで黙ってしまった。

 伯父との会話で、レオニーの婚約が簡単に解消されることはなさそうだと理解したオルソは、伯父に見切りをつけ、自分から行動することにした。既成事実をつくれば、伯父だってレオニーの婚約を解消して、自分と婚約を結んでくれるはずだ。そう考えたのだ。

 伯父は、昔から自分の願いならなんでも聞いてくれた。レオニーのことだけはそうではなかったし、現在も伯父は渋っているが、レオニーをちゃんと自分のものにしてしまえば、俺と結婚させてくれるはずだ。オルソは、そう信じていた。


 それをいつ実行に移そうか、と悩んでいたころ、神がオルソの味方をしたかのように、嵐がやってきた。外はひどい雨風と雷で、レオニーがもし声を上げるようなことがあっても、今晩なら大丈夫だろう。そう思い、オルソは急いで計画を実行することにした。

 合鍵の場所は知っていた。家令のベルナールは意地が悪く、まだ早いと言って教えてくれなかったが、伯父がなにかあったときのためにと教えてくれたのだ。

 難なくレオニーの部屋に侵入したオルソは、やっと、レオニーが自分のものになるのだ、と、よろこびで胸がいっぱいになった。しかし、ベッドに近寄り、レオニーの寝顔を覗き込んだ瞬間、なにが起こったのかわからないままに、頬に鋭い痛みが走った。声を上げようとしたが、それは、何者かに床に引き倒されたために敵わなかった。どん、とした衝撃と共に顔になにかが押しつけられ、息ができなくなる。両肩に順番に激痛を感じたときには、もう腕が動かせなくなっていた。両膝にもなにか攻撃が加えられたのがわかった。

 痛い、痛い、痛い。なんで。

 オルソは必死に身をくねらせて声を上げようとするが、くぐもった声しか上げられず、それも外の嵐の音でかき消された。顔に押しつけられていたなにかから解放され、空気を求めて口を開けると、今度は口いっぱいに、布のようなものが押し込まれた。それを押し込んだのがレオニーだとオルソは気づき、文句を言ってやろうとするが、やはり声はくぐもって届かない。

 そのとき、オルソは、レオニーの手に握られているものが雷の閃光で反射するのを見た。そして、その瞬間、片目に衝撃を受ける。

「ぐぅ……」

 悲鳴を上げたつもりだったが、唸り声しか出なかった。あまりの痛みに身体をじたばたと動かすが、動かせば動かすほど、あちこちが痛い。

 なんでなんだ。オルソは、縋るようにレオニーを見た。

「どうしてって顔をしているわね。最後だから教えてあげる」

 珍しく穏やかな様子のレオニーに、こんなときなのにオルソはうれしくなる。

「あなたのことが大嫌いだからよ。あなたが、この世界からいなくなればいいとずっと思ってた。ずっと、あなたのいない世界で生きたいと思っていたわ」

 しかし、次の言葉で、オルソは混乱することになった。レオニーが、オルソの気を引こうとするような言葉を発したからだ。なんだかおかしい、とオルソは考え始めた。自分の気を引くために、レオニーはなぜここまでするのだろうか。ちょっと、やりすぎなのではないだろうか。

「よく聞いて。これは、照れ隠しでも、気を引こうとしているわけでもないわ。そもそも、私は最初からそんなこと、していなかったの。いつも、正直な気持ちをあなたに伝えてきたつもりよ」

 またそんなことを言って。オルソはレオニーに、ここまでしなくてもいい。自分はレオニーのことを愛しているのだから、もうこういうことはやめよう、と訴えようとした。

「私は、あなたが大嫌いだって、言葉や態度でずっと伝えてきたけれど、あなたの目や耳は自分に都合の悪いことは見えないし聞こえないのよね」

 しかし、オルソの気持ちはレオニーには届かない。レオニーはなおもオルソの気を引こうと、ひどい言葉を吐く。

「そんな目なら、なくてもいいわよね」

 オルソの目に刺さったなにかをぐいぐいと動かされ、オルソは悲鳴を上げた。

「あなたにはわからないでしょうけど、話が通じない人間を相手にするのは、本当に疲れるの。あ、そういえばあなたって人間じゃなくて天使だったんだっけ。話が通じないわけよね。馬鹿みたい。雇い主の娘を強姦する天使なんて、いるわけないじゃない。人間の使用人でも珍しいわよ」

 強姦なんかじゃない。そんな言葉を遣うな。おまえだって俺と結ばれることを望んでいるはずだ。それとも、まだ自分でも自分の気持ちに気づいていないのか? オルソは、レオニーの言葉に頭の中で反論する。

「もう一度言うわね。私は、あなたのことが大嫌いなの。昔からずっとよ。好きだったことなんて、一度もないわ。そもそも、あなたの家族と私のお父様以外に、あなたを好きな人なんているの? いないんじゃない? この、勘違いの自惚れ天使」

 レオニーのつらつらと紡がれる言葉に対し、オルソは思わず首を振った。学園の令嬢たちだってオルソに夢中だった。それに、レオニーだって俺のことが好きだろう? そんなに必死になって気を引こうとするのがその証拠じゃないか。もう、いいって。本当に必死すぎ。レオニーの気持ちはわかっている。もう、そんな態度を取らなくてもいい。オルソはそう言って、レオニーを抱きしめてやりたかった。

「あなたの不幸は、美しい顔で生まれてしまったことね。あなたのお兄様たちみたいに、ラビヨン男爵に似て普通のお顔で生まれていれば、変な認知の歪みを植えつけられることもなかったでしょうに。美しい顔で生まれてしまったばっかりに甘やかされて、美しい顔で生まれてしまったばっかりに傲慢に育ってしまった。そう考えれば、あなたも被害者ではあるのよね。かわいそうに」

 レオニーが初めて自分を美しいと褒めてくれたことを、オルソはうれしく思った。なんだ、言わないだけで、そう思っていたんじゃないか。オルソは、レオニーがやっと素直に自分を褒めたことに満足する。

「だからって、許さないわ」

 そして、またレオニーに混乱させらる。どうして、許す許さないの話になるのだろう。

「あなたが、お母様の埋葬のときに言ったひどい言葉を、私は忘れていない」

 そんな言葉、言った覚えはない。泣いているレオニーに、レオニーは笑っているほうがかわいいと伝えただけだ。

「あら、覚えていないのね。すごいわ。あなたって、本当に人間じゃないのかも」

 ああ、そうか。俺がすごいから、ずっと遠慮していたんだな。だけど、俺だってレオニーと同じ人間だ。レオニーが言うように、雲の上の存在じゃない。だから、もう遠慮なんてしなくていんだ。

「あとね。私が愛しているのは、ランベール様だけよ」

 なんで、またそんな嘘を。確かに、あいつは現実的な見た目をしている。俺を手の届かない存在だと思ったレオニーが、あいつで妥協しようとする気持ちもわかる。だけど、俺がレオニーを選んだんだ。誇りに思っていいんだ。

「確かに、親の決めた婚約ではあったけれど、私たちは相思相愛なの。ランベール様以上に素敵な人なんていないわ。それなのに、この幸せをあなたに壊されてたまるものですか」

 なんでなんだ。おまえの幸せは俺と一緒にいることだろう?

「私の幸せに、あなたは邪魔なの」

 なんでなんだ。そんなわけないじゃないか。なんでまだ素直になれないんだ、レオニー。

「これで永遠にさよならね」

 嫌だ、レオニー。離れたくない。一緒にいたい。どうして、わかってくれないんだ。なんで、そんなことを言うんだ。

「やっと、願いが叶うわ」

 なんで。そうか、俺を殺して自分だけのものにしようとしているんだな。気持ちはわかる。だけど、そんなことをしなくても、俺が好きなのはおまえだけなのに。それとも、俺を殺して自分も死ぬつもりなのか。それもいいかもしれない。そうすれば、ずっと一緒だ……。

 意識が途絶える前、オルソが最後に見たのはレオニーの、よろこびに満ちあふれた笑顔だった。

「これで、あなたのいない世界で生きていける」

 レオニー、そんな。なんでなんだ。

 それが、オルソに向けられた初めての笑顔だと、オルソは最後の最後にやっと気がついたのだ。



以前、投稿させていただきました、『追悼のきらめき ~嘘つきな私の本当の話~』のストーリーを考えていた際に、嫌いな人に悩まされた主人公が自分で終わりを選ぶか、相手を消すか、結末をどうしようか迷って自分で終わりを選ぶほうで書いたのですが、相手を消すバージョンももったいないので別の設定で書きたいと思っておりました。それがこちらになります。


読んでくださって、ありがとうございました。

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