第6話 二条院礼華が常連すぎる
いよいよ、宮様のいる学校生活が始まった。
1年間準備をしていたからこそ、絶対にここから先は失敗したくない。
授業が終わって、私は手に持っていた手帳を閉じた。
彼の行動パターンは大体把握している。
この後はあの喫茶店でのアルバイトのはず……。
「礼華お嬢様」
「……琴子ですか」
教室を出ようとした際に、扉の前に現れたのは、隣のクラスに所属する、本告琴子。私の付き人であり……。
何故か、私と共にタイムスリップをしてしまった子。
タイムスリップをした日、琴子も記憶が残っていることが分かって驚いた。
急いで支度をする中、様々な考察が頭をよぎる。
私と琴子が同じ症状ということは、もしかすると、クラス全員……?と思ったけれど、当然そうではなくて。
それから1年間、琴子とも様々な考察を交わしながら、この現象について考えた。それでも結局答えは出ない。
ひとつ、気になることはあったけれど、それも確信には至らず。
結局、私と琴子との共通点すら分からずじまいで、1年間を過ごしてしまった。
「今日も宮の所へ行くんですか」
「それ以外になにかあるの?」
「……部活、戻る気はないんですね」
「言ったでしょう?私はもう2度とバレーはやらないの」
元々、私はバレー部だった。琴子も同じ。
けれど、この2周目は私は当然入っていない。宮様との時間の方が大切ですもの。
「……分かりました。では予定が終わるころにお迎えにあがります」
「貴方までバレーを辞めることは無かったのではなくて?琴子」
「……礼華お嬢様のいないバレー部にいる意味はありませんから」
「そう」
それだけ言い残すと、琴子は「では」と言い残して去っていく。
前回の3年生の頃にはあの子も笑顔が増えたと思ったのだけれど。どうしてかこの二周目はまた少し暗くなってしまった気がする。
……あの子ももっと、自分の人生を生きて良いと思うのだけど。なかなか難しいものですね。
昼下がりの校舎は、帰宅する生徒や部活動へ向かう生徒で賑わっている。
階段を降りていると、踊り場に設置された窓からは、日差しが差し込んでいる。
春らしい陽気で煩わしい暑さのようなものは感じられない。
私は階段を降りた先、1年生の教室が並ぶ廊下で、大きな男とその隣を歩く華奢な少女の2人を見つけた。
……懐かしい。彼も好ましい人でしたね。
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」
「うお?2年生の先輩?なんか用ですか?」
小暮純一郎様。そしてその彼女の横木渚沙様。
この高校で宮様の唯一の友人。高校生活後半では、彼ともとても仲良くさせていただいたのを覚えている。
「宮智一様という方を探しているのですが、どちらかご存知ですか?」
「とっつぁんを探してるんですか?珍しいこともあるもんすね!」
宮様と彼は非常に仲が良い。
打算的な考えになって申し訳ないけれど、小暮様と仲良くなっておけば今後も必ず良い方向に動くはず。
まあ、そうでなくとも小暮様は大変面白くて素敵な方ですけれど。
「?そうですか?宮様は大変人柄の良いお方だと思っているんですけれど」
「……へえ、見る目あるっすね、先輩」
にやり、と笑う小暮様。隣の横木様もうっすらと笑みを浮かべているあたり、2人とも宮様のことが好きなのが伝わってくる。
素晴らしい友愛ですわ。
「多分とっつぁんはまだ教室いると思いますよ。あ、でももしかしたらアルバイトに行ってるかも?」
「へえ、アルバイトされているんですね?」
「そっすね、喫茶店でバイトしてるんで、部活忙しいとこは入れねえって言ってましたし」
「なるほど、ありがとうございました」
これで、言質は獲得。
心置きなく彼の元へと向かえますね。
いきなり喫茶店を知っていたら怪しまれてしまいますから、小暮様の言葉は必要だった。
2人と別れを告げ、私は学校を出る。
歩きやすい春の陽気を感じながら、歩きなれた道を進んでいく。
何度通ったかわからない。
この街路樹が立ち並ぶ道も、彼と一緒に歩いたことをよく覚えている。
そんな思い出がたくさんあるからこそ、昼間特有の喧騒も気にならなかった。
歩くこと15分ほど。
彼の働いている喫茶店についた。
派手なお店が比較的多いなかで、お店自体もそこまで大きくはなく、素朴な外装。
目的地をここに設定しなければ、なかなか入ることができないような佇まいが、この店の特徴だった。
扉を開ければ、カランコロンという鈴の音が響く。
店内は少し薄暗い、変わらぬアンティーク調で統一された内装。
カウンター席に通されて、彼を待っていると、また懐かしい人に出会うことに。
「いらっしゃいませ、こちらメニューになります」
喫茶店の店主である御崎様。
この方にも大変お世話になった。その記憶が彼女に無い、というのが一抹の寂しさを感じさせますが、これから沢山ここに来ますし。
また1から積み重ねれば良いだけ。
「あの、ここで宮智一様が働いていると聞いたのですが」
「あ、はい!働いてますよ!……え、もしかしてとし君に会いに来たんですか?!」
「ええ実はそうでして」
御崎様は、宮様に会いに来たと伝えると、先ほどまでの接客用の笑顔から、途端に無邪気な嬉しそうな表情になる。
以前から、御崎様は宮様を大切にされていましたね。
本当に、素敵な空間。
「え~とし君に!そうなんだへえ~こんな可愛い子が、ねえ」
「ふふふ、可愛いだなんて、光栄ですわ」
「ちょっと待ってね!そろそろ来るはずだから!」
嬉しそうに、カウンターの奥へと戻っていく御崎様。
……久しぶりに、宮様の喫茶店制服を見られるのですね……。
そう思うだけで、気分が高揚する。
「お待たせ!」
御崎様がそう言いながら裏から出て来て……その後ろに、彼の影が見える。
宮様が、お店の裏側から顔を見せてくれた。
ああ。何度も見た、喫茶店の制服を着た宮様。
エプロンが似合っていて、本当に格好良い……。
目をまん丸にして驚く宮様に対して、挨拶。
「宮様!ご機嫌うるわしゅう」
またこうして、彼の働いている姿を見る事ができる。
それだけでわたくし、とっても幸せですの。
「……本日のオススメ紅茶です。フルーティーな香りが特徴的なフレーバーティーになっております」
「まあ!ありがとうございます」
少し、ワガママを言って宮様に淹れてもらった紅茶。
本当に久しぶりだ。宮様の淹れた紅茶を飲むのは。
およそ1年振り、だろうか。
初めて琴子がここに来た日、その時は御崎様に紅茶を淹れてもらったのだけれど。
私にとっては、宮様の淹れる紅茶が好きだった。
これはもちろん宮様のことが好きだから、というのもあるかもしれないけれど。
次第に淹れるのが上手くなっていく宮様の紅茶を楽しむのは、それはそれで格別の嬉しさがあったものだ。
また、この紅茶を飲める、日々が始まると思うと、嬉しい気持ちがわきあがってくる。
意を決して、一口。
心の芯が、温められていくような、優しい味。
確かに、彼が高校2年生の最後の方は、淹れ方が洗練されて、美味しい紅茶を淹れられるようになっていた。
それに比べたら、少々荒い所はあるかもしれない。
けれど。そんなこと以上に。
宮様の心の温かみを感じられるこの味を、久しぶりに感じて。
何度も……何度も何度も味わった感覚が身体を抜けていって……ふいに、肩の力が抜けてしまった。
その結果――全く気が付かずに、私の目から涙が零れていた。
「お気に召しませんでしたか?!」
「い、いえごめんなさい。そういうわけでは、無いのです。本当に、申し訳ありませんわ」
私としたことが、失態だ。
変に思われてしまった?
ここまでは完璧な動きをしているはずなので、あまり変なことはしたくなかったけど……。
これも、宮様の淹れてくれた紅茶が、素晴らしすぎるのがいけないということで。
……どうかひとつ。
「それでは、わたくしはこれで」
少しイレギュラーはあったが、無事宮様の喫茶店での初邂逅ができたので、とりあえず良しとしよう。
これからは、彼がアルバイトの日は全て来る、ということで。
もちろん、会えるのはこの場所だけではありませんが、わたくしにとって思い出深いこの場所での、宮様を堪能できるのは格別。
「あ、あの礼華さん」
お会計を終えて、帰ろうとすると、宮様が私の名前を呼んでくれた。
その事実は嬉しく思いつつ、もちろん、前回の1周目ではこんなイベントは無かったから、何を言われるのだろうと少し不安になりながら。
けれど、その不安は一気に払拭されることに。
「えっと……良かったら、また来てください」
私の中で、熱い何かが駆け巡るのが分かった。
ああ、本当に。
私はこの1年間、この言葉を聞くために、準備してきたのだと。
自分のやってきたことは間違っていなかったと、確信できて。
遠慮がちにはにかむ、宮様の表情が、胸の内を熱く焦がす。
今すぐめちゃくちゃに抱きしめたくなる気持ちをぐっと、堪えて。
「ええ、もちろん、毎日」
「ま、毎日は僕いませんよ?!」
手を振って、別れを告げて。
彼の笑顔を、胸に刻んで。
店を出た。
変わらない、春の陽気。
けれど何故だか、気温は上がっている気がする。
それは、喫茶店内が涼しかっただけなのか、それとも。
ガードレールに止まっていた小鳥が4羽、空に羽ばたいていく。
――さぁ、最高の2年間にしましょうね、智一様……。