第41話 二条院礼華が近すぎる
非常に今更ではあるが、礼華先輩はどこにでも現れる。
「おはようございます!宮様!」
「おはようございます……」
冬の冷え込む朝。いつものように親父の店へゴミ出しをしていた後に、礼華先輩は平然と現れた。
なんならもうあんまり驚かなくなってきたよ。
「朝は非常に冷え込みますね、宮様ご自愛くださいまし」
「こっちのセリフですよ礼華先輩」
礼華先輩の家はきっと遠いというのに……。
わざわざ俺に挨拶に来てくれるんだから律義な人である。
……律義で済ませて良いのか分からないけど。
礼華先輩としばらく歩いて行く。
だいたい朝に礼華先輩が現れる時は、朝の駅前を2人で少し歩いて、バスロータリーでお別れしている。だいたいそこに、シルバーに輝く高級車が止まっているのだ。
「もうすぐ年末ですわね、宮様は年末のご予定などあるんですか?」
「え~いや、全然ないっすね、有紀音と2人で、のんびり過ごしますよ」
「それはとっても素敵ですわ」
帰るような実家も無いし。
俺と有紀音は毎年だらだらと年越しを過ごしている。去年は葉純ちゃんが遊びに来たっけ?
今年もそんな感じになる気がしている。
ゴミ袋を運んでいたからか、指先が少し痛む。寒さもあいまって、右手の人差し指と中指が赤みを帯びていた。
「あら、宮様少し指が……」
「ちょっと寒いですから。貸してくださいまし」
「え?」
そう言うと、礼華先輩は俺の手を取って。
自らが嵌めていた手袋を外しはじめる。そこで、なんとなくしてくれようとしていることが分かったから。
「そんな、悪いですよ」
「遠慮なさらないでくださいまし。わたくしはどうせ、車で帰るだけですので」
礼華先輩がつけていた黒のシックな手袋が、俺の手に嵌められる。
と同時に思わず、あらわになった礼華先輩のしなやかな指先に少し見惚れてしまう。
「はい、これで少しは暖かいと思いますわ」
「ありがとう、ございます」
なんというか、されるがままである。
礼華先輩にはいつも、主導権を握られっぱなしだ。
「それでは、また部活動で。その時に返してくださいな」
「はい!必ず」
いつものバスロータリーについて、礼華先輩と別れる。
こんなに朝早いのに、運転手さんも大変だな……(他人事)。
礼華先輩が乗った車が見えなくなるまで見送って、俺も帰路に着く。
温もりが残っている手袋が、冷え込んだ朝の空気にありがたかった。
そしてあっという間に、学校での予定は終わり、アルバイトをするために喫茶店へ。
「おはようございまーす」
「おはよ!常連さん、もう来てるわよ~」
「はやいって」
喫茶店について裏で着替えようと思ったら、みさきち店長から先にそう言われてしまう。
店長があんなにやにやしながら俺に言ってくる常連さんなんて一人しかいない。
「ごきげんよう!宮様!」
「はい、いらっしゃいませ礼華先輩」
案の定、ホールに出るといつものカウンター席に笑顔のお嬢様。
来るのが早いよとか、朝も会いましたよね、とか、言いたいことは沢山出てくるのだけど、礼華先輩のとびっきりの笑顔を見ると毒気も抜かれてしまう。
「今日はご注文どうされますか?」
「そうですね……この新作のタルトタタン、少し気になっていましたの。これをお願いできますか?」
「はい、もちろんです。お飲み物は?」
「それはもう、いつも通り宮様の淹れてくださるオススメ紅茶が良いですわ」
「……かしこまりました」
こう言われてしまうと、俺としても悪い気はしない。
「店長タルトタタン1つお願いします」
「は~い!紅茶は、自分で頑張ってね?」
「……言われなくても、です」
正直俺が淹れるより店長が淹れた方が美味しいとは未だに思っているけれど。
礼華先輩に出す紅茶は頑張って自分で淹れている。
ま、まあ?成長しなきゃいけないですしね?
紅茶を淹れる作業はしっかりと集中しつつ、キッチンからカウンター席は距離として離れてはいないので、礼華先輩に声をかける。
「でも礼華先輩、流石にこんなに来てもらってたら飽きないです?」
純粋な疑問だった。
ケーキは期間限定の品もあるけれど、レギュラーで置いてある商品には限りがあるし。
流石に紅茶だってそりゃ『オススメ紅茶』なので違う茶葉を出してはいるけれど、ずっと紅茶だと飽きがくる。
そう思ったのだけれど。
「……ふふふ」
「え、なにコワイ」
笑顔なんだけど目が笑ってなくてコワイ。
「飽きるなんて、あり得ませんわ」
「そ、そうなんです?」
「ええ、それに……ちゃんと、毎回味が違いますし……」
礼華先輩はこちらを見ながら、頬杖をついて。
「毎回宮様から感じる愛情が違いますもの」
「急に恥ずかしいな?!」
あ、愛情?
まあ、美味しく飲んで欲しいとは思ってるけど、それは愛情なんだろうか。
「はい、こちらタルトタタンと……本日のオススメ紅茶になります」
「わあ、とっても美味しそうですわ」
できた紅茶と、店長に用意してもらったケーキを持って、礼華先輩の元へ。
「ん~!やっぱりわたくしの目に狂いはありませんでしたわ、タルトタタン、とっても美味しい」
「それは、良かったです」
本当に礼華先輩は美味しそうに食べてくれるからこちらも思わず笑顔になってしまう。
キッチンに戻って、他の仕事へ戻ろうとすると、最後に礼華先輩が紅茶を飲む姿が目に入って。
「……♪」
昼下がりの喫茶店、金の艶やかな髪が揺れる。
『愛情が違いますもの』
……紅茶を飲む姿が、なんだか妙に色っぽく感じてしまって。
慌てて他の仕事に没頭するのだった。
あの後、俺が退勤する少し前に、礼華先輩はお店を後にした。
本当に不思議な人である。
「ただいま~」
時刻は19時過ぎ、また家で腹ペコあおむしが待っていると思ったので、すぐご飯を作らねば、と思っていたのだけれど。
家に着いて感じる、食欲をそそる、香辛料の香り。
靴を脱ごうとしていた動きが止まる。
有紀音は基本料理は作れない。だから、これは有紀音の仕業ではない。
それと同時に見つける、玄関に置いてある小さくて、綺麗なローファー。
嫌な予感が……。
半ば確信しつつ、居間へと繋がる扉を開くと。
「あ、お兄おかえり~」
「宮様!おかえりなさいまし!」
「またかよ!!」
居間のテーブルでもしゃもしゃと何かを食べている有紀音と。
その奥では制服にエプロン姿で料理をしている礼華先輩。
「有紀音、あのな、なんで礼華先輩が家にいるんだ?」
「だって……美味しいフィナンシェを持ってきてくれたっていうから……」
「餌付けされとるやないかい」
もしゃもしゃと有紀音が食べていた物の正体はフィナンシェだった。
いや夕飯の前に食うなよ!
「お口に合ったようでなによりですわ♪」
「そういう問題じゃないんですよ礼華先輩……」
もう最近はうちに誰かが入りこんで来ることが日常茶飯事になりつつある。
「宮様がお忙しそうだったので……少しでもお手伝いできれば、と思いまして」
「いやありがたいですけど……」
キッチンを見渡せば、コーンスープはほぼ完成しており、主食であろうカレーも、もうほとんど出来上がっている。
「あの、お金とか……」
「いりませんわ、わたくしが好きでやっていることですので」
「いや、そういうわけにも……ああ、もう」
もうこのやり取りも何回目かわからないので、急いで手を洗って、料理を手伝う準備をする。
「ほら有紀音!いつまでも食ってないで運ぶの手伝う!」
「え~、は~い」
「ふふふ」
本当に申し訳ないなと思いながらも、こうして日常に礼華先輩がいる生活が、悪くないなと思ってしまっているのも事実だった。
「本当にすいません今日も……」
「いえいえ、お気になさらず。いつも宮様の美味しい紅茶を頂いているお返しですわ」
夕飯も追えて、礼華先輩をいつものバスロータリーまで送ることに。
きっと今頃家では腹ペコあおむしがせっせとお皿を洗っていることだろう。
もうすっかり暗くなり、街灯が照らす道で、ふと、隣を歩く礼華先輩に対して思う。
それはもしかしたら、もっと早く疑問に思っても良かったことかもしれないけれど。
というか、疑問に思いつつ……聞くのが怖かっただけなのかもしれない。
「礼華先輩はどうして、ここまで色々俺にしてくれるんですか?」
好奇心に負けて聞いてしまったけれど。
聞いたらダメなことのような気もして。
「あ、いや、なんか言いたくなかったら、全然言わなくても大丈夫なんすけど。入学時からすごい気にかけてくれてるから、なんでなんだろうなって」
俺にとっては、手の届かない人だった。
関わることだって無いと思っていた人だったから。
やっぱり気になってしまうのだった。
「どうしてだと、思いますか?」
「え」
ちらり、とこちらを見た礼華先輩の瞳が、少し潤んでいるように見える。
言葉に、詰まってしまった。
合っていた視線が、礼華先輩が前を向いたことによって逸らされる。
「……理由は、いつかお話しますわ」
「は、はい」
不思議な感覚だった。
言いたい言葉を、礼華先輩が飲み込んだように感じたから。
「だからそれまで……宮様もわたくしに、たくさん色んなことを教えてくださいまし」
「それは、俺の話で良ければ、もちろん」
礼華先輩から避けられない限りは、これからも仲良くさせて欲しいと思っている。
それは噓偽りない本音。
いつものバスロータリーに着いた。
やはりそこには、見慣れたシルバーの車。
「それでは、これで」
「あ、はい。ごちそうさまでした」
頭を下げようとすると、両手をふわっと握られる。
「また明日、ですわ」
「……!」
呆気にとられたまま、車へと乗りこんでいく礼華先輩を見送る。
……本当は、ちょっと分かってはいるつもりだ。
ここまで、礼華先輩が会いに来てくれるなんて、普通に考えたらそれくらいしかあり得なくて。
でも、俺はそんなに礼華先輩に思ってもらえるほどのことをした覚えが無くて。
「……あ、手袋返すの忘れてた……」
いつか、聞ける日が来るのだろうか。
そんなことを思いながら、星が綺麗な12月の空を見上げるのだった。




