第25話 澄川葉純が純粋すぎる
高校の夏休みとは長いようで短い。
小学生が放っておいた夏休みの宿題を必死にやる姿が夏の風物詩となりつつあるほどに、夏休みをのんびりと過ごしていると、あっという間に8月後半なんてことはよくある話だ。
なので、悔いのないような夏休みを過ごす。
そう決めた俺が、一体何をしているかというと。
「ごめん智一君2番テーブルにオーダーとりにいってもらえる?!」
「はい~!」
アルバイト三昧である。
ふわははははは!当たり前だろう!
働く事こそ人生の喜びなり!!
無事に期末テストで成績を上げることに成功し、そして始まった夏休みもすぐに篠本さんとのデートという青春イベントを達成できたので。
もうほぼ夏休みの目標は達成したと言っても過言ではない。
であるならば、あとは何をするか。わかりますね?
働きます。
「ケーキセット2つで、チーズケーキとチョコレートケーキ、飲み物はどちらもアイスコーヒーでお願いしま~す」
「かしこまりました!」
注文内容をメモに記して、店長の元へと持っていく。
幸いうちの店はそこまで大きな店ではないので、俺と店長の2人体制でも十分に回すことができる。
まあ、流石に休日とかはそれだと手が回らないので、他のアルバイトさんとかもいたりするんだけどね。
今日は夏休みとはいえ平日。
店内には2、3組のお客さんしかいないので、十分に2人で捌くことができる。
「みさきち店長アイスコーヒー2つです!」
「はい~!智一君ケーキお願いね!」
「おっけーです!」
ドリンク系は店長に任せて、俺は用意されているケーキをとりわけて出す準備を……と思ったところで。
からん、と店のドアを開ける音がする。お客さんが来店した合図だ。
ケーキを取り出す手を一度止めて、俺は来たお客さんの対応に向かうことに。
「いらっしゃいませ!……って」
入口の方まで向かうと、そこには見知った女の子2人組。
「こんにちは!智一君!」
「葉純ちゃんに有紀音じゃん、どしたの」
夏らしい水色のワンピースに身を包んだ葉純ちゃんと、外に出る際によく被るキャップを装着した妹の有紀音が並んで立っていた。
「智一君が頑張って働いていると聞いたので、売り上げに貢献しにきました!」
「ただここの美味しい紅茶を飲んでみたかっただけともいう」
「そ、そんなこと言ってないよ!」
「はは、嬉しいよ、ありがとう。じゃあ席案内するね」
ここ最近は喫茶店に来る知り合いといえば礼華さんくらいだったので、ちょっと新鮮な気分だ。
「あら、有紀音ちゃんじゃない!隣の子はお友達?」
「はい!澄川葉純といいます。以後お見知りおきください!」
「あら、丁寧にありがと!」
葉純ちゃんがみさきち店長に対して頭を下げた。
本当にこの辺りは礼儀正しいんだよな、この子。
「お兄」
「ん?どした?」
従業員用のエプロンをぐい、と軽く引っ張られたので振り返ると、ちょっとしおらしくなった有紀音が。
……やっぱりここ来るとこうなるのか……。
なんとなく、言われそうな言葉に予想がつきながら、膝に手をついて有紀音と視線を合わせる。
「……カッコ良い……」
「ふふふ、そうだろう。お兄ちゃんはカッコ良いんだぞ!」
ぽんぽん、と頭を撫でてやる。
「はわわ……ゆ、ゆきちゃん?」
「はあ、お兄人類史上一番最高にカッコ良い……」
家とは全く違う態度の有紀音に、葉純ちゃんが困惑している。いやそりゃそうだよね……いつものツンツン有紀音しか知らなったらそうなるよね……。
……まあ、俺も理論はよくわからないのだが、この喫茶店でバイトしている時だけは、有紀音からの愛情表現が過激になるのだ。
店を出てこの従業員スタイルじゃなくなった瞬間にツンツンし始める。どういう精神状態なわけ??
なので逆に家での態度を知らないみさきち店長は有紀音のことを超絶ブラコン妹だと思っている。
「えっと、葉純ちゃん、俺がここで働いている時の有紀音は状態異常みたいなもんだからあんまり気にしすぎず……」
「じょ、状態異常?!ゆきちゃんどっか身体悪いんですか?!」
「全然平気だから」
メニュー表を渡して、席を後にする。他のお客さんの対応もあるしね。
有紀音に関しては、おそらく普段は言いにくい感謝とかを、この働いている時の俺を別人格だと思い込んで伝えてるとかそんなところだと推測してる。
普段は素直になれない可愛い妹め。
他のお客さんに対応したのち、少し時間的余裕もできたので、再び妹たちの席へ。
「注文、決まった?」
「はい!ケーキセットで、フルーツタルトとカタラーナ、ドリンクは『本日のおススメ紅茶』を2つでお願いいたします!」
「かしこまりました」
ふむ、きっと有紀音におススメ紅茶を勧められたかな。
あの子はここの紅茶大好きだからね。
注文をとってキッチンの方へ戻るとき、「はあ、カッコ良い……」「ゆきちゃん本当にゆきちゃん?」という会話が後ろから聞こえてきた。
妹よ、それ友達の前でもやるんか……。
お兄ちゃんちょっと恥ずかしいよ……。
その後、お会計があったりでバタバタとしていると、どうやら店長が妹たちに提供を済ませてくれたようだった。
1組お客さんが帰ったこともあり、少し時間ができたので、妹たちの様子を見に行くことに。
「お、おいしいです……!」
「それは良かった。家でも良く淹れる紅茶はさっきの店長から淹れ方とか諸々教わってるんだよ」
「そうだったのですね……!宮家の秘伝はここにありましたか……!」
「そんな秘伝なんてものでもないけど……」
ちらりとカウンターの方を見ると、みさきち店長が俺のことを手で制してくる。
「まだそこにいて良いよ」ってことだろう。ありがたく、お言葉に甘えようかな。
「ケーキはどうしてこんなに完成度が高いのでしょうか……他店、特にチェーンのお店では見たことのないクオリティです」
「なんかみさきち店長が色々修行してた時にパティシエの知り合い?がいて、その人のお店から仕入れさせてもらってるらしい」
「はえ~……ではレシピを聞くのは難しそうですね……」
熱心にフルーツタルトを眺めている葉純ちゃん。
家事スキルが高い葉純ちゃんからすると、是非とも習得したいのかもしれない。
うちの店はケーキのレベルも高いからね……。みさきち店長様様である。
「紅茶、お兄が淹れたの?」
「おん、今日は俺が淹れたよ~」
2人が『本日のおススメ紅茶』を頼んだので、先ほど俺が淹れたのだ。
みさきち店長クラスとまではいかないまでも、俺もそこそこやれるようになってきたんだぜ……。
「お兄」
「ん?」
大好物のカタラーナを早々に食べ終わり、うっとりとした様子で紅茶を飲んでいた有紀音が、こちらを見上げる。
なんかちょっと嫌な予感が。
「抱いて」
「それはどう考えてもまずいだろ」
とんでもねーこと言うんじゃねえ!ダメでしょ女の子が簡単にそんなこと言ったら!!
お兄ちゃん許しませんよ!!
「?抱く?ってなんですか?ハグのことでしょうか!」
「うん、そうそう、葉純ちゃんはそう思ってて大丈夫だからねー」
デレるにしたって限度があるだろ!
ツンデレってレベルじゃねえぞ!
有紀音の今後と、葉純ちゃんへの悪影響が心配になりつつ。
「そこはかとなく智一君からバカにされている気がします!ゆきちゃん説明を求めます」
「今度ね……」
……それにしても、有紀音は明るくなったなと思う。
正直、前まではあまり笑顔を見ることが少なかった。なんとか楽しく生きてほしいとは思っていたものの、それは俺一人ではどうしようもなくて。
この変化は、間違いなく葉純ちゃんのおかげ。
できれば、有紀音とこれからも仲良くしてほしいなと、兄目線では思わずにはいられなかった。
「みさきち店長今日はありがとうございました」
「いえいえ~相変わらずお兄ちゃん大好きな有紀音ちゃんだね」
「いやほんとそれここでだけなんですって」
有紀音と葉純ちゃんも帰った後。
夕日も沈み、外を見れば街には街灯が点き始めている。
俺は清掃等の締め業務を終えて、俺は最後に店長へ感謝を伝えに来ていた。
「葉純ちゃんだっけ?あの子も良い子だね~ケーキのレシピ聞かれたから今度りえにレシピもらっとくね」
「何から何まですみません」
うちのお店レベルを再現するのは難しそうだけど……葉純ちゃんもなかなか根気強い子だからな。挑戦はするだろう。
「有紀音ちゃんさ、明るくなったね」
「……はい、おかげさまです」
「私は何もしてないよ」
あっけらかんと、みさきち店長が笑う。
俺と有紀音が暮らしていけるのも、みさきち店長のおかげだ。本当に感謝してもしきれない。
「智一君もさ、明るくなったよ」
「え?俺ですか?」
「うん。なんか最近は、イキイキしてる感じ」
「そう、ですかね」
たしかに、と思い当たる節はある。
俺は別に、有紀音が高校を無事に卒業できるまで、育てることができれば良いと思っていたし、今までは特に学校生活も楽しいとまでは思っていなかった。
けれど、高校生になって。
最初こそ不思議な始まり方だったけれど、1学期を終えてみて、確かにそんなに悪くない学校生活を送れているかもしれない。
それは、間違いなく周りの人たちのおかげで。
「前から思ってたけどさ、智一君はもうちょっと、楽しんでも良いんじゃない?」
「楽しむ……ですか」
「そうそう、せっかくの高校生活なんだから。青春しな!」
ぽんぽん、と肩を叩かれて、みさきち店長は「じゃあまたね!」と言って去っていく。
「楽しむ、か」
1人その場に取り残されてから、夜に足を踏み入れた、街を眺める。
ちょっと路地裏を見れば、黒いスーツを着た男性と、きらびやかな衣装を着た女の人。
ガールズバーの客引きのために、過激な恰好をしている女の人。
そんな景色を見て……思い出すのは、あの父親の言葉。
『お前は俺の子供だからな。同じ血が通ってんだよ』
……じんわりと汗が浮かんだ、手のひらを見る。
「……俺にそんな資格、無いですよ」
……ちょっとだけ、沈んだ心を切り替えて。
あくまで、有紀音のために。
俺は家への道を一人歩き出すのだった。
「だ、抱くってそういう……!?」
「そうだよ。もう葉純も良い年なんだからそれくらいは分からないと」
「それを智一君に言ったの?え、えっちすぎるよゆきちゃん……!」
「は?私がお兄にそんなこと言うわけないじゃん」
「記憶喪失してる?!」




