第21話 本告琴子が重すぎる
第一印象は、『軽薄そうな、品の無い男』だった。
突然、礼華お嬢様が部活に来なくなるものだから、その原因調査を進めている内に、1人の男に辿り着いた。
「こんな庶民の低俗なお店に行っているなんてお母様の耳に入ったら……私が怒られるんですよ」
「へへ……いや、なに。どこをどう判断して、『ここは庶民の低俗なお店』と言い切ったのか気になりましてね?」
変な奴だった。
しかし務めている店の味は本物で。
初めてそのお店の紅茶を飲んだ時、はっきりと『美味しい』と思ってしまった。
悔しいけれど、このお店に罪はない。私が悪かったと反省して、その日は引き上げることに。
……けれど、あいつ個人の話となれば別。
あいつと私の攻防は長く続いた。
「いい加減礼華お嬢様から離れてもらえないかしら……!」
「いやだから別に俺からくっついてるわけじゃないですって!」
私は、礼華お嬢様と一緒にバレーボールをするのが好きだった。
誰よりもカッコ良く、誰よりも輝く礼華お嬢様に、トスを上げるのが好きだった。
もちろんセッターを務めるからには全員に等しく決まりやすい状況を作る。
それでも、礼華お嬢様に上げる時の嬉しさ、そして隣でその勇姿を見られることは、何よりも嬉しかった。
だからこそ。
そんな部活動をサボってまで、この男に執着する意味が分からなかった。
そんな価値が、こんな男にあるとは到底思えなかった。
「ふふん、どうでしたか?今日の試合は。礼華お嬢様の素晴らしさが分かったでしょう?」
「いや本当にカッコ良かったです。感動しました」
どうにかしてあいつを礼華様から離れさせたくて、バレー部の試合を見に来るように言いつけた。
礼華様の素晴らしさを見れば、きっと自分がバレーから離れさせたことへの罪深さを理解することができると思ったから。
「分かったなら貴方は早く礼華様から――」
「っていうか本告先輩も凄いんですね!」
「……は?」
「いや、は?って言われましても。セッターってカッコ良いですね!本告先輩がどこにトス上げるのか~とか、あ、あとあのツーアタック?って言うんですか?相手の虚をつくみたいなのカッコ良すぎて鳥肌立ちましたよ!」
……変な男だった。
私を見てくれなんて一言も言ってない。
礼華様だけを見てれば良かったのに。
それからも、あいつと私の腐れ縁は続いた。
「そろそろ離れる気になった?」
「いやだから俺からは無理ですって……」
「なんで委員会の仕事しに来たら貴方がいるのよ」
「へへへ……すいやせん、仕事押し付けられました……」
「あ、お店には自分から来るんすね」
「み、店に罪はないでしょ。紅茶、淹れなさいよ」
礼華様から言われた「彼を知れば、きっと貴方も気に入る」と。
その意味が、少しずつ分かるようになっていた。
「本告先輩は、礼華さんの事が好きなんですね」
「当たり前じゃない。それが何?」
「いや、素敵な関係性だなって!」
「……変な男」
……少しずつ、あいつの存在を許し始めている自分がいた。
礼華様とあいつと私の3人で出かけるような日もあって。
むしろ、礼華様が本当に幼い頃のような笑顔を取り戻してくれたことに、段々と感謝するようになっていった。
そして、3年生になったある日。
私にとって転機が訪れてしまう。
「は?何故私がそんな事を?」
「え、えっとほら!礼華さんの頼みなので!」
その日は丁度、家の都合で礼華様がお母様と共に海外に行かれている最中。
特に何もすることが無いので、普通に過ごしていたら。
あいつから、ちょっと出かけるのに付き合って欲しいと言われたのだ。
正直、礼華様がいない間にあいつと2人きりで出かけるなど、礼華様にも悪いのでしたくなかったけれど。
礼華様から頼まれたとあっては断り辛い。
大人しく、あいつについていくことに。
「どこまで行くのよ」
「まだ、もうちょっとです!」
「変な所連れて行ったら承知しないわよ。電話すればすぐ家の人間が突き止めて貴方を捕まえることくらい容易なんだからね」
「怖い事言わないでくださいよ?!」
夜といって差し支えない時間になっていたこともあり、辺りはもう暗く。
いつも通っている学校からは離れた駅から歩いていたこともあって、不信感が募る。
おそらく、宮を知ってから日が浅ければ、こんなのすぐに帰っていただろう。
というか、2人で出かけるなんてことを許すはずも無かった。
……そう思うと不思議だった。宮と2人で歩いているというこの時間が。
「着きました!」
「……ここは」
少し階段と坂道を登った先。
公園に入って、そこからまた少し歩くと辿り着く場所。
そこから見えたのは、都心から少し離れたからこそ見える、綺麗な星空だった。
――最高の景色だった。
都内でこんなに綺麗に星空を見る事ができるなんて、知らなかった。
……しばらく、その景色に目を奪われていると。
「本告先輩、誕生日、おめでとうございます」
「……っ!なんで」
「礼華さんから言われたんです『あの子の誕生日、私は国内にいられないから、祝ってあげてくれないか』って」
「……っ。な、なんでこの場所」
「礼華さんから教えてもらいました。礼華さん、沢山聞かせてくれるんですよ、本告先輩のこと。星空が好きだって、言ってました」
言葉が、出なかった。
「ごめんなさい、俺あんまりお金とか無いし、多分プレゼントとか用意しても大した物買えないなと思ったので。俺が知ってる、星空が綺麗に見える場所に、連れて行ったら喜んでもらえるかなって」
……ダメ。
絶対にダメ。
「……バカじゃないの」
「へ?」
「わ、私は、貴方を礼華様から離そうとして!邪魔をした人間なのよ!?なんでこんな」
感情がぐちゃぐちゃになって、声が大きくなってしまう。
自分の気持ちが、分からなくなる。
「ん~……まあ最初はそうだったかもしれないですけど。別に俺、本告先輩のこと全然嫌いじゃないですし」
「……」
「礼華さんから、沢山本告先輩の良い話聞いたし。俺自身も、本告先輩とそれなりに話したし」
ダメだから。
お願いだから、やめて。
「本告先輩に喜んで欲しいって思うのは、今の俺からしたら普通なんですよね」
――やめてよ。
「……変な奴」
「ええ~!……じゃあまあ、変な奴でも良いですよ」
変な奴。
変な奴すぎる。
胸の内に湧き上がった感情。
その名前は、絶対に口にしては、考えてはダメ。
「……帰る」
「ええ!ちょっと待って下さいよ!」
顔を見られるわけにはいかなくて、早歩きで来た道を戻る。
後ろから追いかけてくるあいつのことは、絶対に振り返らずに。
その日、私は決めた。
この気持ちは、私の中だけに留めようと。
気の迷いで、許されないから。
私は、二条院礼華様の付き人。
これは、心の奥底に、ずっと秘めておこうと。
――卒業式の日。
「じゃあ、いってきますわね」
「はい」
今日、礼華様があいつに告白する。
成功して欲しい。
礼華様の笑顔を取り戻してくれた、あいつなのだ。
きっとこれからも楽しくなるだろう。
家庭環境が少し複雑らしいけれど、ならば二条院家で囲ってしまえば良いだろう。
その方が、あいつも助かるのだし。
……告白しに向かった、礼華様のその姿を、見送ってから。
私の足は、礼華様を追いかけていた。
追いかけて、しまっていた。
講堂の中に、礼華様と、あいつが向き合っている。
荘厳な内装も相まって、それは映画のワンシーンのようだった。
姿は見られないように、私は席の影に隠れて、体育座りで縮こまる。
『もう、分かっているかもしれないけれど』
声が聞こえる。
私が幼い頃から一緒にいて、大好きな礼華様。
『え~っと……』
それに対して、この期に及んで気の抜けた返事をしているあいつ。
大嫌いで、けれど悪い奴じゃなくて。
私はあいつが、礼華様の恋人になるなら、悪くないかと、この2年間でそう思えたのに。
――頬を伝う、この涙は一体なんだろう?
止まらなかった。
嗚咽を殺すのに必死だった。
私の中で初めて湧き出たこの感情が、今日終わるのだと思うと、涙が止まらなかった。
喜ばしいことのはずなのに、胸の痛みが止んでくれない。
感情の発露が、止まってくれない。
顔を覆った。
許されるはずがない。
だから、今日終わりにしよう。
この気持ちに、これで区切りをつけよう。
■
――あの瞬間、私はそう決めたはずなのに。
「はぁ……!はぁ……!」
雨が身体を濡らす。
二条院家で使っている黒い傘も、喫茶店の傘立てに置いてきてしまった。
どうして、こんなことになるのだろう。
二周目なんて、やりたくなかった。
もうあの日、私の気持ちは終わらせてほしかった。
『あ、えっと、宮智一です』
また顔を合わせて、胸が痛くなった。
バレーを褒めてくれたことも、あの時見せてくれた星空も、もう何も覚えていないのだと思うと、悲しくもなった。
それでも、礼華様の邪魔だけはしたくなくて。
今回のこのファーストコンタクトやり直す計画も、上手くやれたはずだった。
なのに。
『なんで、そんな嘘つくんですか……?』
耐えられなかった。
どうして、どうしてあの時と同じ反応をしてくれないの?
嫌な奴だと印象付けることができれば、この二周目は諦められると思ったのに。
「琴子!」
「……礼華、様」
傘を持った礼華様が、やって来る。
礼華様は私も傘に入れると、心配そうにこちらを覗き込んだ。
そんなこと、してもらう資格もないのに。
「申し訳ありません、礼華お嬢様」
「謝らないで。むしろ、謝らなきゃいけないのはわたくしよ」
そんなことあるはずない。
悪いのは、こんな邪魔な感情を持っている私だ。
「もう良いの。別に、一周目と同じことをする必要が、必ずしもあるわけじゃないのだから。良いの」
「ですが……」
礼華様が、私を優しく抱きしめる。
「礼華様、制服が濡れてしまいます」
「良いの。貴方が風邪を引くより、よっぽどマシだわ」
礼華様の体温は温かかった。
冷えていた心が、溶かされていく。
「戻りましょう、お店に。宮様が美味しい紅茶を淹れてくれるそうよ。貴方も、好きだったでしょう?」
「……はい」
「いらっしゃいませ……ってええ?!みさきち店長!タオルありましたっけ?!」
「平気です、自分で、持っていますので」
お店に戻って。
タオルで濡れた髪や服を拭いた。
上着もいつも持っているので、それを着て。
「申し訳ありません、先ほどは」
「あ、いえいえ……全然大丈夫ですよ……?紅茶、飲みますか?」
「はい。お願い致します」
カウンターの中へ、彼が戻っていく。
その背中を、じっと見つめた。
あの頃と変わらない、全然頼りないくせに、何故か安心感のある彼の背中。
「はい、本日のオススメ紅茶です」
「ありがとうございます」
淹れてもらった紅茶を、静かに口に含む。
温かくて、優しい味わい。
今こうして飲むと、3年生の頃はもっと淹れるのが上手になっていたのだと実感もあった。
「美味しいわね、琴子」
「はい」
隣で笑顔の、礼華様を見て。さらにそんな礼華様を見て笑顔の、宮を見る。
……そして私は再び、心に決めた。
私はこの二周目、宮智一とは極力関わらない、と。
同じ過ちは犯さない。
彼には私はただの他人のまま、卒業式まで行ってもらう。
彼との思い出は、私の胸の内だけで良い。
「店長の淹れる紅茶本当に美味しいんで、また来てくださいね」
「……はい」
にへら、と笑う、彼に応える。
思わず出そうになる、笑顔を殺して。
――今までありがとう、宮智一。
もう、思い出すことはきっとないけれど。
貴方の事が、好きでした。
本作を読んでいただきありがとうございます。
作者の三藤孝太郎です。
ストックが無くなってしまったので、ここからは毎日投稿できるかわかりません!
が、できるところまでは頑張りますので、ぜひ少しでも面白いな、と思ったら評価、レビュー、コメントいただけますと作者の励みになります。
これからも『二周目の彼女達が重すぎる』をよろしくお願い致します。




