第18話 二条院礼華がお姉さんすぎる
「ようこそいらっしゃいまし、宮様!」
「……お、お邪魔します……」
今の俺の気持ちを喩えるならば、間違えて超高級時計店に入ってしまった学生、といったところだろうか。
はい、現在礼華先輩からのお誘いで、二条院邸に来ています。
いやね?指定された駅に行って改札から出て見たら、いかにも高級車って感じの車の前で礼華先輩が手を振っていて。
私服にも圧倒された。
ふわりとした水色のロングスカートは、気品が溢れており。白のブラウスが清楚感を増している。お嬢様とはこういう人を言うんだというのを体現したかのような礼華先輩の出で立ちはこっちが怖気づくには十分過ぎる理由になった。
けれどいつまでもそうしているわけにもいかず、あれよあれよと家まで連れて行ってもらい、今に至るわけですよ。
もう震えることしかできないよ僕ちんは。
「そう固くならずに、ご自身の家だと思ってくつろいでくださいまし?」
「それは絶対に無理ありますよねえ?!」
こんな大豪邸を、どう自分の家だと思えというのか。
俺の家なんて有紀音に不自由させたくないからという理由一点で妹の部屋こそ用意したものの、見た目はボロアパートぞ。
キョロキョロと辺りを見渡しても、全ての家具が光り輝いている気すらしてきて、安易に触れすらしない。
「そこに座ってもらって大丈夫ですわ」
「はい……」
礼華先輩に促されるまま、大きなテーブルに設置された椅子に腰かける。
あ、そうだ忘れてた。
「あ、これ、つまらないものですが……」
「まあ!」
流石に大豪邸にお招きいただくのはまずくないかと思い、午前中に用意したお菓子を渡す。
いやほんと、こんなお家からしたらなんのお世辞もなくつまらない物ではあるんだけど。
「琴子!」
「はい」
呼ばれてすぐ、奥の方から出てきたのは、一度見た事のある本告先輩だった。
「宮様がお土産を下さったから、後で紅茶と一緒にお出しして頂戴」
「かしこまりました」
俺が持ってきたお菓子を持って、下がっていく本告先輩。
彼女は礼華先輩の付き人ということだし、やっぱりこのお家に住んでいるのだろうか。
「では、早速勉強していきましょうか。宮様は何の勉強をしたいとかありますか?」
「えーっと……中間の復習から、とかでも良いでしょうか?」
「良いですわね!まずは地盤を固めなければ、その上に積み木は重なりませんから」
正直、中間テストからダメダメだったこともあり、復習からやった方が良いのかもしれないと思い、今日は中間テストを持ってきた。
こんなみっともない点数を礼華先輩に見せるのは少々……いやかなり恥ずかしいけれど。背に腹は代えられぬ。
俺が差し出したテスト用紙を、真剣な様子で眺める礼華先輩。
……俺は経験無いけれど、親にテストを見られるってこういう気分なんだろうか。
「分かりました。短期記憶に入れられそうな箇所はもう少しテストが近づいてからやるとして……地盤を固められる数学から行きましょうか」
「はい!」
礼華先輩が真剣に勉強を教えてくれようとしているのは伝わるので、せめて姿勢だけはしっかりせねばと思い。
気を引き締めて、俺は机と向き合うのだった。
礼華先輩の教えは、篠本さんに比べて厳しめだった。
「いくつかのセオリーがあるので、それは抑えておく必要がありますわ」
「必要に応じて、適切に当てはめる。焦りはケアレスミスを誘発しますので」
「問題を解き終わったら安心するのではなく、検算を」
的確に飛んでくる指示を、しっかりと抑えつつ。
言われたことを忘れないために、メモをとることも忘れず。
2時間ほどで、脳は一瞬にしてキャパオーバーになりかけたその時。
「では、少し休憩に致しましょうか!」
「はい~……」
狙ったように休憩を挟んでくれるのだから、こっちの気持ちを見透かしているよう。
礼華先輩といると本当に考えていることも全部分かってるんじゃないかという気持ちになってくる。
「琴子」
「はい」
後ろを振り向いて礼華先輩が呼びかければ、また本告先輩が顔を出した。
ずっと控えてるの……?
「さきほどの頂いたお菓子と、いつもお客様にお出ししているケーキを。あと紅茶も淹れてもらえる?」
「そう思って、すでに用意しております」
「流石琴子」
さっ、とまた後ろに戻っていく本告先輩を眺めて、礼華先輩が誇らしげに口を開いた。
「琴子は本当に優秀ですの」
「なんかもう伝わってきます、優秀さが」
「宮様も分かって下さると、嬉しいですわ」
本告先輩の事を褒めると、礼華先輩が嬉しそうになる。
それだけで、2人の関係性が良好なものであることが伺えた。
それは、本当に喜ばしいことではあるんだけど。
前から本告先輩には、思っていることがあって。
しばらくして、本告先輩がお菓子と紅茶を運んできてくれた。
「ありがとう、琴子」
「いえ」
そのまま、本告先輩が下がろうとするので。
「あの」
俺は思わず、本告先輩に声をかけていた。
「……何か」
「あ、えっと、一緒にどうですか?ここのお菓子、結構美味しいって妹が言ってたので」
せっかく一緒にいるのに、一緒に食べないのは勿体ないし。
なにより有紀音の勧めで買ってきたお菓子を、本告先輩にも食べてほしかったから、そう声をかけてみたのだけれど。
「……結構です」
「そ、そうです、か」
けれど、断られてしまった。
以前もそうだったけれど、何故か、本告先輩には避けられている気がする。
そのまま後ろに下がってしまった本告先輩を見届けてから。
「申し訳ありません。琴子は、あまりコミュニケーションが得意ではないのです」
「そう、ですか」
コミュニケーションが得意ではない。それももちろん、嘘ではないと思う。
けれど、本告先輩は意図的に俺を避けているような気がして。
本告先輩が淹れてくれた、紅茶をひとくち飲んでみる。
「めちゃくちゃ、美味しいですね」
「ええ。……それは、ある意味当然なのかもしれませんわ」
「……?」
礼華先輩の言葉の意味はよく分からなかったけれど。
本告先輩の淹れた紅茶は、お菓子の甘さを緩和するのに適した、甘さの少ない、すっきりとした後味で。
……それは自分が大好きな、御崎店長の淹れる紅茶の味によく似ていた。
「それでは後半戦も頑張りましょうか!」
「はい~」
休憩を終えて。
あの厳しい授業時間がもう一度あるのかと思うと、少し気が滅入るけれど。
礼華先輩が俺のことを思ってやってくれているのは間違いないので、気合を入れ直す。
「では後半は国語から。やっていきましょうか」
「はい」
懸命に、礼華先輩の教えについていく。
ただ、やっぱり俺の基礎力が足りなくてつまずく部分はあって。
「えっと……これは」
「……ふむ、ちょっと、失礼致しますわね」
「え?」
読みがわからなくて少し手間取っていると、礼華先輩が席を立って、俺の後ろへやって来た。
「ここは、こちらにかかっていますの。なので意味としては――」
ふわっ、と華やかな香りが鼻腔をくすぐる。
後ろから至近距離で覆いかぶさるように、教えてくれる礼華さんの優しい声が、耳を撫でた。
あ、あのあのあのあの。
これはちょっとお刺激の方が強すぎるのではないでしょうか?!
このめちゃフローラルで華やぐような香りは礼華先輩の髪から?それとも服?もう存在そのもの?
「宮様?」
「ひゃい?!」
「どうかされましたか?」
「い、いえいえ、なんでもないです、ハイ」
まずい。こんなことで興奮しているのがバレたら終わりだ。
せっかく良い感じの関係性を築けているはずなのに、急に好感度が地に落ちる事だってあり得る。
心頭滅却。ここは落ち着かねば……!
煩悩を全て焼き払った俺は、ただ礼華先輩の言葉の意味のみを咀嚼するマシーンと化した。
結果、なんとかうまくいって。
「あ、なるほど……じゃあこうすれば良いんですね」
「そうですわ!流石宮様ですわね」
よ、よかった。
なんとか礼華先輩の猛攻(?)を凌ぎきった。
これでこの問題は終わりなので、礼華先輩が席に戻ってくれる。
そう思っていると。
頭に、感触。
「素晴らしいですわ宮様。こんなにも飲み込みが早いだなんて。偉すぎますわ」
「……えーっと……」
優しくそう声をかけられながら、ぽんぽんと、頭を撫でられて。
急にまた、顔が熱くなる。
顔が良すぎる人にこんなことされたら頭おかしくなっちゃうよお!
……けれど、人生で一度も、そんなことをされたことは無かったので。
されたことのなかった行為だったけれど、嫌な気持ちはせず。
……むしろ、なんか嬉しかった。
でも数秒もすれば流石に羞恥心が勝って。
「あ、礼華先輩流石に、恥ずかしいです」
「あら、申し訳ありません。戻りますね」
最後にぽん、と頭に手をのせてから、礼華先輩が席に戻る。
……ちょっと名残惜しいと思ってしまう俺は、かなりヤバイ奴かもしれない。
そして戻り際、礼華先輩が耳に手を当てて小声で。
「またいつでも、撫でて差し上げますね」
「……!」
ふふふ、と笑う礼華先輩。
……この人には、一生敵う気がしなかった。
「いやはや……とんでもない一日だった」
礼華先輩との勉強会を終えて。
辺りも暗くなりかけの時間帯に、俺は帰路に着いていた。
駅までまた送ると言ってくれたのだけれど、別にそこまでの距離ではないし、駅でちょっと買い物をしたかったのもあり、歩いて帰ることにしたのだ。
礼華先輩は本当に俺の事を何から何まで把握しているような気がして怖いよ。
そしてそれなのに、嫌な感じは全くせず、むしろこっちが嬉しいことばかりしてくれるから困る。
「さて……確か、この辺だったような」
人通りが少し多くなってきた繁華街。
俺のお目当ては、お気に入りな紅茶の茶葉の購入だった。
お店でも使っている茶葉が、ここの駅近くにある紅茶専門店に売っているのだ。
あんまり来ることないし、来た時に買っておこうという算段である。
家にある茶葉、ちょっと少なくなってたんだよね。
お目当ての店を発見し、店の中へ。
ちょっと知る人ぞ知る場所にひっそりとあるのが、このお店の特徴なんだよね。
扉を開ければ、紅茶の良い香りが、店中に広がっていた。
「……あれ」
その店内。
見知った顔がいたので、驚く。
というより、今日の日中に会った、人。
「本告先輩……?」
「……っ!」
後ろから声をかけると、本告先輩は驚いたように振り返った。
「さっきぶりですね。今日はありがとうございました」
「……」
思わず声をかけてしまったが、ちょっと避けられているかもと思っている人に声をかけるのはまずかっただろうか。
少しやっちゃったかも、とは思いつつ、目に入ったのは、本告先輩が持っている茶葉。
「あ、それ買うんですか?良いですよね。僕も好きなんです」
「……そう」
「セカンドフラッシュ特有の甘味のある香りがして好きなんですよね」
「……すみません、私はこれで」
し、しまった。紅茶オタク過ぎただろうか。
持っていた茶葉を買わずに置いて店を出て行ってしまう本告先輩。
あ!
言い忘れたことがあったので、俺も本告先輩を追って店を出る。
「本告先輩!」
「……なんですか」
「あ、あの、今日淹れてくれた紅茶、美味しかったです」
「……!」
「あ、それだけです、じゃあ」
今日頂いた紅茶の感想を、言えていなかったので。
こういうのは、言ってもらうと嬉しいものなのだ。
自分が淹れる側になるからこそ、分かる。
「……」
本告先輩は、そのまま何も言わず立ち去ってしまった。
……うーん、なんで避けられているんだろう。
「嫌われてる、のかなあ」
やがて、本告先輩の背が見えなくなる。
仕方なく、お店に戻ることに。
……最後、本告先輩を追って声をかけた時。
少しだけこっちを向いた本告先輩の顔が、泣きそうだったのは、なんでなんだろう。
店に戻れば、本告先輩の置いていった、俺も大好きな茶葉が、ぽつん、と。
寂しげに置かれていた。