第17話 篠本紗奈が先生すぎる
林間学校、中間テストと2つの行事を終え、1年生達も学校生活にある程度慣れてきたある日の事。
「お~い、宮ちょっと来い」
「はい?」
授業が終わって、今日はボドゲ部の活動も無いし、帰ろうかなと思っていたら、担任の青柳先生から声をかけられた。
「なんでっしゃろ」
「いや、中間テストの結果なんだけど……」
「ぎく」
「お前……勉強ちゃんとやってるか?」
「あー……」
まあ、やってないですね、ハイ。
俺の高校生活の目標はあくまで卒業することであり……別にそんな成績良くして良い大学行きたい!とか、良い就職先見つけたい!みたいな気持ちがないせいで、どうしても勉強をしようという気持ちにならないのである。
高校というのは案外優しいもので、よっぽど成績が悪くない限りは、救済措置というか、補講だったり、追試だったりで、なんだかんだ進級、卒業までできると思ってしまっているし。
なら、そんなことを気にするよりは今有紀音をちゃんと生活させるためにバイトや親の手伝いを優先したいというか……。
そんなこんなでこの前の中間テストの出来も相当悪かったので、青柳先生が心配してくれたのだろう。
「……まあ、宮の事情はある程度分かってるつもりだし、無理にとは言わないけどさ、卒業できなくなるのは、困るだろ?」
「そう、ですね」
青柳先生は良い先生だ。
こんな俺の話もちゃんと聞いてくれるし、全生徒を分け隔てなく見ている。
中学の時はなんとなく扱いにくい俺を露骨に避けるような先生もいたし。そうでなくても、お気に入りの生徒が露骨な人だっていた。
青柳先生はそういうのが少なくとも表面上は感じられないから好感が持てる。
出席簿を持った小柄な青柳先生が、がしがしと頭を掻く。
「まあなんだ、あまりにも成績悪いと私もフォローしきれなくなるかもしれないし、なるべく赤点は回避して欲しいんだよ」
「……ぜ、善処します」
「頼むぜ~?」
ぱし、と俺の背中を軽く叩いてから、青柳先生が教室を出て行った。
……どうしたものか。いや、俺が悪いんだけど。
中学の時から一応知ってもらっているとはいえ、こんな良くしてくれている先生を困らせるのは、本意では無いし……。
「話は聞かせてもらいました!」
「うおわあ?!」
急に後ろから声をかけられて、飛び跳ねる。
最近こんなのばっかりだね?!
「し、篠本さん?」
「はい、篠本紗奈です」
後ろに立っていたのは、もう既に学年で人気者の位置を確保しつつある、篠本さんだった。
ボドゲ部の活動で話すことはあれど、如何せん人気者すぎて教室で言葉を交わすことは少ない。
「ちょっと、お時間ありますか?」
「え、えーっと……」
「話を聞いていた」という篠本さんからこの流れで、何をさせられるかは容易に想像ができる。
できるからこそ、「はい」と言いにくいというか……。
「お時間、ありますか?」
「……アリマス」
今日はたまたま、喫茶店のアルバイトも無い日。
それなのに、予定があるとはとても言える雰囲気でもなく。
俺はそのまま笑顔を崩さない篠本さんにボドゲ部の部室へと連行されるのだった。
「では、改めて智一君専用勉強会を始めます!」
「ア、ハイ……」
ボドゲ部の部室。
有無を言わさず連行された俺は、そのまま部室……つまりは旧校舎教室の椅子に座らされていた。
目の前には、どこから取り出したのか黒ぶちの眼鏡をかけた篠本さん。
優等生の彼女だからなのもあるかもしれないが、眼鏡も似合う……。ってそんなことを考えている場合ではなくて。
「良いんですか?篠本さん確か学年主席だったような……?」
「はい!なのでどんと頼ってもらって大丈夫だよ!」
いや、言いたいのはそういうことではないのだけど……。
どちらかというと篠本さんの日々の努力の邪魔になってませんか、という心配なんだけど……。
るんるんな様子で俺に勉強を教える気満々の篠本さんに、今更気をそぐようなことも言えず。
まあ、今日はバイトも無かったし、2,3時間ほど余裕があるのは確かなので、お言葉に甘えて勉強を教えてもらうことにしよう。
期末テストの内容になるであろう、範囲に絞って行われる篠本さんからの緊急授業は、それはそれは的確だった。
頭が良いからといって教えるのも上手かと聞かれると、普通は違うと思うけれど、篠本さんの教え方は非常に分かりやすくて。
いつもボドゲ部での活動をしている時みたいに、あっという間に時間が過ぎていく。
窓から差し込んで来る日差しが、オレンジ色になっていることに気付いたのは、全ての教科のまとめを聞き終わった後だった。
すんなりと頭に入って来るし、無理な詰め込み方ではないからか、無理なくノートに要点をまとめることができたように思う。
「うん、こんな感じかな!全教科満遍なく教えたから、どうしても漏れはあるけど、この辺りを抑えて、これからの授業をちゃんと聞いておけば平均点ぐらいは取れると思う!」
「あ、ありがとうございました……!」
あまりにもありがたすぎる授業だった。
この前の中間テストのように、なんとなく教科書を開いて、テスト範囲に指定された部分を読んでいるだけでは、そりゃ点数取れるわけないよなと思う。
あとは俺がこのノートに記した内容を、短期記憶でも良いからとにかくぶち込むだけ。
それなら家のことが終わった後の短い時間でも、できる気がする。
「よし、じゃあそろそろ帰ろうか!」
やりきった、という感じで眼鏡を外してケースにしまう篠本さん。
……正直、ある種当然の疑問があるので、篠本さんに尋ねてみる。
「なんで、そんな教えてくれるの?」
「……なんで、か」
「だって、どう考えても篠本さんにメリットないし。俺はありがたいけどさ」
篠本さんが俺の事を悪しからず思ってくれていることくらいは、なんとなく分かる。
秘密押し付けてきたし?一緒にボドゲ部入ったし?
……それにしても、ここまでする理由にはならない気がして。
篠本さんは、なぜかちょっと困ったように、眉を下げた。
そんなことあるはずないのに、ちょっと寂しそうな表情に見えて。
……けれど、それも一瞬。
一度目を閉じて、「それはね」と仕切り直してから。
「乙女の秘密です!」
ウィンクしながら、人差し指を唇に当てて。
そう言って笑う篠本さんに、どきっとしない男子なんて、多分いないだろうな、なんて。
自分の気持ちを誤魔化しながら、俺はそんなことを思った。
篠本さんから授業を受けた、また次の週。
いつも通り今日も朝から親の手伝いをして、家に一度帰ってから、登校していた。
今日の天気は雨。
最近は梅雨に入りかけということもあって、悪天候な日も増えてきた。
まだ人もまばらな教室に入り、席へと向かう。
「ねえ」
「あ、おはよう泉さん」
「……はよ」
最近は珍しくもなくなった、隣席の泉さんからの先制攻撃「ねえ」を受けて、朝の挨拶で返す。
むしろ最近は朝の挨拶をしないと催促されるのだ。……仲良く、なれてるってことで良いのか?
泉さんは相変わらず制服のYシャツの上からグレーのセーターを着ていて、袖を少し余らせている。
眠たそうな表情を隠すことも無く、姿勢も猫背なままなのが逆に良い。
ダウナーなクール系美少女って良いよね(n回目)。
そんな泉さんの姿を目に留めつつ、席に着いて授業の準備を進めていると。
「あんた、成績悪いの?」
「え?……あ~まあ、間違いなく下から数えた方が早くは、ありますね?」
青柳先生との会話、聞かれてた?いや、さすがにあの時はいなかったと思うけど……。
まぁでも、泉さんとは入学式の時からずっと隣の席なので、ある程度俺の学力を知られていてもおかしくはない、か。
授業中も基本的に手挙げて答えたりとかするタイプじゃないし。
「……勉強、わかんないとこ、あんの?」
「え?」
「……だから、分からないところ。ほら、英語とかなら多少、分かるから」
こ、れは、教えてくれるという認識で良いのだろうか。
ぶっきらぼうに聞いて来る泉さんに、そういえば先週篠本さんから教わったノートを見ながら勉強していた時に、分からなかった問題が丁度英語であったのを思い出した。
「あ、じゃあこれ、これわかんなかったんですけど」
問題集を取り出して、昨日やっていたページを開く。
「答えみてもなんでこの答えだと不正解なのかわかんなくて」
俺から受け取った問題集を、泉さんが机の上に置いて目を通す。
頬杖をついて眺めるその姿は、思わず見惚れてしまうくらいカッコ良かった。
数秒、時間を使ってから。
「……わかんない」
「あ、そっか」
そ、そっか。分からないならしょうがないか。
少し、無言の間があって。
……な、なんかちょっとこのままだと悪いし、他の箇所も聞いてみようかな。
「あ、じゃあこっち、こっちもさ、別にこれでも合ってる気がするんだけど、不正解判定っぽくて」
再び、問題集を泉さんに渡す。
またまた、泉さんも真面目な表情でその問題を眺めた後。
「……わかんない」
「そ、そっか」
これも、ダメだった。
う、うん、そういうことも、あるよね。
ぷい、と雨粒が滴る窓の方を向いてしまった泉さん。
「……ごめん」
「い、いやいや!こんなの泉さんがわからない問題の方が悪いっていうか、世界が悪いっていうか」
男宮智一、鬼のフォロー。
……そういえば思い出した。
中間テストの時にちらっと見えたテストの点数、俺とあんまり変わらんかった気がする、と。
その日の夜の事。
「あー……これいっつも忘れるなあ」
妹の有紀音も自室でおそらく就寝した後。
一人リビングで篠本さんと勉強した日にとったノートとにらめっこを続けていた。
相変わらず、考え方はあまり変わっていないけれど。
せっかく篠本さんがこうしてノートをまとめてくれて。
泉さんは……まあ、俺の学力を気にしてくれているみたいだし。
明日は珍しく予定もなく、勉強に時間を割けそうだし、期末テストでは赤点くらいは回避したいなと思いながら、勉強に励んでいると。
「ん?」
スマホに着信。
画面を見れば、相手は礼華先輩だった。なんだろうか。
「もしもし」
『もしもし、夜分遅くに申し訳ありません。二条院礼華です』
「いえ、全然大丈夫ですよ。なんでしょう?」
声が有紀音の眠りの妨げにならないよう玄関の方へと移動しつつ、礼華さんとの通話を続ける。
『急で申し訳ないのですが、宮様、明日はなにかご予定ございますか?』
「明日、ですか?」
明日は土曜日。
授業もなければ、特に予定も無い。強いて言うなら、いつもの日課である朝のゴミ出しがあるくらいだ。
「とくには、無いです」
『そうですか!もしよろしければ、一緒に勉強会をするのはいかがでしょうか』
まさか礼華先輩からも勉強に誘ってもらえるとは。
最近ボドゲ部の活動をしていても礼華先輩から「勉学の方は順調ですか?」と聞かれることも増えていたから驚きこそないけれど。
……にしても俺めっちゃバカだと思われてね?いやまあバカではあるんだけど。
明日はちょっと勉強頑張ろうかなと思っていたこともあり、受けても良い気がする。
「えっと、じゃあ、お願いします……?」
『本当ですか!嬉しいですわ』
顔が見えなくても、礼華先輩が笑顔になったのが分かる、そんな声音だった。
『では、明日13時に二条院家にてお待ちしておりますわ。駅まで来ていただければ、お迎えにあがりますので』
「あ、えっと、はい。ありがとうございます……?」
『それでは明日、楽しみにしておりますね、宮様♪』
「あ、はい、僕も、楽しみです……?」
『それでは失礼致しますわ、宮様おやすみなさいませ』
「お、おやすみなさい」
……。
電話を、切ってから。
「……今二条院家って言った?」
なんか礼華先輩の家に行くことになってて草。
……いや草じゃないが?




