第9話 夢の終わり
グループ展開催中には自粛を求める動画配信者等の突撃や、ネット上でのプチ炎上などの問題もありはしたが、出展作品に対する問い合わせも多く、会期はつつがなく終わりそうだった。
ただ、件の『一番好きな作品への人気投票』が、グループの中に一波乱を巻き起こした。いやこんな表現をしては語弊があるだろう。この『人気投票』の結果を一番気にしたのは私であり、私の中で大きな問題になったというだけだ。
はじめ、巧のネームバリューによって集まった客が大半だったこともあり、スマホでの投票結果も、高岸巧作『祭礼の中止』が人気を博した。
彼は秩父という土地に惹かれたようで、その後も何度か訪問し、地域に対する知見を広めていた。『祭礼の中止』は、コロナ禍により伝統的な祭礼『秩父夜祭』が中止されたことにショックを受けた巧が、関東圏の同様の事例を収集し、一枚の絵画にその悲哀、そして人の命がある限り、また祭礼は復古できるものというメッセージを託した作品である。
流行病による人間の営みの阻害を描いたそれは、すでに売買交渉も終わり、今回のギャラリーの使用料を余裕で担保できる値段がついていた。
だが、一般客が多い状況での人気投票であれば、難解な作品より、わかりやすい作品の人気が勝つ場合も多い。私の作品『武蔵国/故地巡礼』は、秩父への旅で、建築物の表現を巧に賞賛されたことをきっかけに、以降、自分の強みを磨いて作りあげたものだった。また、小雪を通じて学びを得た、日本画の『線』を重視する技法も取り入れているのもあり、鑑賞者に対して技巧を直接的に示せる作品であった。
「あら、上手」
「うわあ、めちゃくちゃ細かいな」
「すごい、どれだけ時間かけたんだろう」
私の作品の前に立った多くの人々が、作品に感嘆の声を上げた。
三峯神社の手水舎をきっかけに、私は旧武蔵国の範囲にある社寺の彫刻の事例を収集していた。それらの図像を再構築し、架空の建築物を油画で表現したのである。神社仏閣の普遍性に、人の営みがどのような社会不安を経ても続くことを仮託したこの作品は、多くの来場者の目に留まった。
デジタルアンケートを管理するデザイン科の松本に聞くと、私の作品と巧の作品の人気は一位の座を争いかなりの接戦になっているらしかった。一日のうちにその人気が逆転することもあるという。
その事実を松本に聞かされた時、私は、藝大に入学してから一番の興奮を覚えた。
例えこれが大きなコンクールでなくても、また審査員に専門家が少なくとも、巧がいる限り常に次席以下に甘んじてきた身として、彼を追い越せる瞬間があるというのは純粋に嬉しいものがあった。
私はこの時、自分の身に起きた幸福に浮かれ、会場内に起きつつある異変を見逃していた。
会期七日目のこと、最終日ということもあって、ほとんどの学生が在廊したがったが、時折入場制限があることも考えると、在廊者は入れ替えることにした。
とりあえず、私と巧と松本、小雪が在廊したのだが、その時に問題は起きた。
ギャラリーの中に怒号が響いた。声の主が巧であるのはすぐわかった。松本と一緒に受付にいた私は、すぐさま巧の声がした方へと駆けた。
奥のスペースにたどり着くと、そこには、仁王立ちした巧に庇われる小雪と、恐怖に慄き、腰を抜かした一人の来場者がいた。まじまじと観察してみれば、その顔には見覚えがあった。会期の途中から、連日来場している客の一人である。
巧から聞いてみれば、いま床に倒れている男はここ数日、小雪に付き纏っていた、いわゆるギャラリーストーカーというやつだった。
女性アーティスト(正確に言えば男性アーティストにもだが)にストーカー行為をする輩というのは古くから存在していたが、この時、特に問題視されるようになっていた。小雪の美貌に魅せられた男は、ここ数日作品ではなく彼女を見るため、そして会って会話するために来場していたらしい。私は、すっかり巧との勝負に気を取られ、そんな異物の存在には気づいてなかったのである。
「鬱陶しいんだよアンタ、作品を見ないなら早く出て行ってくれないか」
巧は喚きたてる男を一瞥し、片手で男を吊り上げて床に転がる体を簡単に立たせてしまった。男は最初反論ないし、反撃を考えていたようだが、巧の怪力に恐れをなし、何も言わずギャラリーを後にした。
「まったく、あの手の輩には本当困るぜ」
巧は主催者自らの手によって、グループ展の障害を排除してみせた。
最終日に一つトラブルがあったものの、こうして会期は終わりを迎えた。当日は片付けがあったため即打ち上げとはいかなかったものの、後日また全員が集まって、祝いの席が設けられることとなった。
感染防止のパーテーション越しとはいえ、久々に集まった私たちだったが、やはり話の中心となったのは巧であった。巧は最終日の出来事に関して同級生たちから質問を受けていた。
「いや、単純に俺の作品じゃなくて生身の人間に見惚れる客にイラついたんだよ」
巧の言葉は照れ隠しなどではなく、本気で言っているように聞こえた。
私はこの事件以降、小雪の視線の先に巧がいることが増えたのに気づいた。また、会期の途中で話していた二人で会うという約束も、もはや意味がなくなったことを察した。
アンケートにおける作品の人気投票の結果も、デジタル分の集計に関しては接戦だったものの、紙のアンケートを含めると、巧には遠く及ばなかった。私の完敗だった。
出展した『武蔵国/故地巡礼』は高値で売れたものの、私の中にまた、一つの虚しさが残った。
グループ展を終えた私たちは、その後卒業制作へと取りかかり、画学生としての集大成の作品を完成させていった。それからの時間の進みは嘘のように早かった。瞬く間に卒業・修了作品展が終わり、卒業の日が来てしまった気さえした。
藝大では卒業生の作品を買い上げる制度があったが、油画では当然のように巧が選ばれた。
卒業式では様々な同級生と言葉を交わしたものの、やはり最終的にはいつもの三人が何となく集まった。もちろん、巧は、まとわりつく教授や同級生を回避しつつわざわざ私と潤一郎のとこに来たのではあるが。
「いやあ、しかしお前たちともお別れか……、巧はもう一端の画家で卒業と同時に海外で活動、隼人は大学院に進学、まあ隼人なら案外すぐこいつに追いついてしまうかもな」
式を終え、咲き誇る桜を見上げて潤一郎が言った。巧は潤一郎の言説に満足そうに頷いている。
「まあ、私とて努力を怠る気持ちはないけど、巧に追いつけるかと言うと自信がないな」
この時私は、それまでの学生生活を振り返り、自分の能力を最大限に過大評価してみても、彼に追いつけるビジョンを持てなかった。
「ま、自信は要らないかもな。お前の絵の良さは、俺のこの眼が保障する」
巧は自分の審美眼に絶対の自負があることを伝え、端的に私の才能と成功を保証した。
「そうそう、巧の言う通り、隼人の絵もたいしたものさ。巧の方はもうお得意さんがいるから難しいかもしれんが、二人には、これからうちのギャラリーにガンガン新作を卸して貰わないとな」
潤一郎はピアスを外した耳を撫でて笑った。彼は卒業後、ギャラリーに就職することが決まっていた。グループ展を行った時、彼の働きぶりを見ていた画廊主が彼をスカウトしたのである。
「いや、潤一郎が働くギャラリーなら、新作を描いてもいいぞ。ただ条件がある――」
巧にしては珍しく、潤一郎の言うことを素直に聞いたかに見えたが、後付けでさらっと対価を要求する。
「なんだよ、昔は飯くらい奢ってやったが、どう考えても僕よりお前のが収入あるだろうに。いや待て、冷静に考えたらあの時もすでにお前、賞とかでそれなりに金あっただろう」
潤一郎は臆せず言った。明るく頼れる彼がいなければ、私も巧も、もう少し心細い学生生活を送っていたことだろう。巧は、私と二人きりになると、潤一郎へ感謝の言葉を述べることがあった。
「……潤一郎さんの新作と交換で頼む、俺、貴方の作品が好きなんだ」
巧は少しだけ間を置くと、一切躊躇うことなく、自分の真意を伝えた。
ギャラリーという美術に関する就職先といえども、卒業すれば制作の機会というのは必然的に少なくなってしまうものだ。巧は、友が制作から遠ざかるのを恐れていた。
巧なりの声援に、思わず感涙する潤一郎の様子に、私もまたつられて泣きそうになった。
私が普通の環境に生まれ育っていたのなら、涙の卒業式になっていたことだろう。