第6話 消えゆく想い
秩父への小旅行を終えた数日後、慌ただしく二年次の授業が始まった。ともに行ったメンバーとは距離が縮まり、特に小雪とはそれから良く会話をするようになった。
私が芸術の道を志したのは、それが当時の私にとって、永用の家の呪縛から逃れられる唯一の手段だったからに他ならないが、その過程で、いつの間にか画業というものに本当の愛着を抱いていた。私は、脱出のための手段によって正常な人間関係を構築できたことに歓喜した。
時代も令和に移り変わった大学二年次の夏、私は小雪と交際することになった。様々な、細かい努力をした結果、何とか夢を叶えたわけである。振り返ってみれば、極めて浅い、それこそデートを何回かしただけの関係だったが、私の記憶の中で、たしかに一番美しい恋人であったため、今でもその思い出たちは鮮明に思い出せる。
横浜のみなとみらいや、いくつかの動物園、いわゆる定番のデートスポットに出かけることもあれば、気になる美術館の展覧会にも行った。また、お互いをモデルに絵を描いてみたこともあった。
憧れの女性を描き、一緒に展覧会を巡る。その夢が叶ったのは鎌倉においてである。あれは、神奈川の県立美術館の鎌倉別館がリニューアルした時のことだから、二〇一九年の十月後半、いや、小雪がよく似合う白いコートを着ていたので、十一月だったかもしれない。
私たちは、鶴岡八幡宮で互いをモデルに次作の構想を練り、そのあと鎌倉別館の展示を鑑賞した。お互い好きな作家が見られたこともあり、楽しい旅路であったが、小雪の美しさを表現しきれない自分の腕には腹が立ったことも覚えている。
「ねえ、隼人君はなんでこっちの道に進もうと思ったの? ほら、美術ってよく就職ないって言われるじゃない?」
予定していたデートコースを堪能し、カフェで休憩している時のことだった。思い立ったように彼女がそんなことを言った。
当時、私は、この手の問いに体裁を取り繕った、いわゆる『余所行き』の答えを持っていた。しかし、彼女の曇りのない眼を前にして、直感的に嘘をつきたくないと思ってしまった。
「……ああ、それは」
私の中で、永用隼人という像に罅が入ったような気がした。社会生活を送るために作りあげていた、田舎育ちで争いが苦手な画学生という仮初の姿が、彼女の素朴な疑問で危機を迎えたのが分かった。
「うん、まあ絵が好きだったんだ、私には、それしかなかったから」
それまで小雪の前で演じてきた全てが瓦解するのではないかと、私は心配のあまりしどろもどろな回答をしてしまった。
「……隼人君、意外と秘密主義だよね。高岸君や辻君くらいにしか心を開いてないんじゃない?」
冗談めかして小雪は笑ったが、彼女の推察は半ば当たっていた。人間としての弱みを、巧と潤一郎にだけは打ち明けることができていたからだ。とはいえ、それは巧も潤一郎も人生において、私とは別種の労苦を背負ってきた同種の人間だからというのが大きな理由だった。この時点で、小雪が都会で何不自由なく育ってきたことは知っていたので、やはりどこか交流を深めるにあたり遠慮をしてしまったのである。
そもそも千葉のテーマパークのホテルに、横浜住まいだから両親が宿をとってくれないことを親との軋轢と表現する彼女に対し、ノルマを達成しなければ母には絶食を強要され、父には打擲される環境を語ることなどできるはずもない。
私はかつて永用の家にいた時のように、自己の感情を完全に抑圧して笑みを作った。美しい彼女の笑みと対比したのなら、酷く醜いものであろうが、この人間感情のエピゴーネンのような『笑顔の仮面』は、かつて幼く弱かった私の命を繋いでくれた信頼のおける防具であった。
私はその場をごまかすと、次回の『関根正二展』に一緒に来ようと小雪に約束し、美術展を後にした。横浜駅で別れる時に彼女からされた口づけは、ある意味では餞別のようなものだったのかもしれない。
その後お互いの課題や制作が忙しくなり、小雪とは疎遠になってしまった。私は寂しい思いを抱えていたが、結局他者に対して適切な距離を保つことは得意でも、距離の縮め方は分からなかった。そうこうしているうちに、世の中はコロナ禍を迎え、小雪との約束を含めて、たいていの予定というものが履行されなくなってしまった。
彼女と行く予定だった『関根正二展』は感染症の拡大防止を理由に、会期の途中で休館、そのまま再開することなく終了してしまった。
ちょうどその時の私や小雪と同じ年齢で亡くなった夭折の天才、関根のことを考えれば、我が不幸も取り立てるほどのものではないとは思う。しかしながら、愛する女性との用事が「行けなくて残念だったね」という短いメッセージで消えてしまったのには、さすがに寂寞の念を覚えたものである。
私はこのまま彼女との関係が終わることを予感、というより悟っていたのだが、具体的な対策を取れなかった。私の思考はいつの間にか、それを運命として受け入れるようになっていた。