第5話 三峯の境内にて
ラビューの旅は快適そのもので、まさしくあっという間に西武秩父駅まで到着した。飯能駅で電車がスイッチバックしたあたりで、四人席の方が一瞬異様に盛り上がったものの、私と小雪は大変だった課題や学内のイベント、好きな画家に関して静かに意見を交換するに留まった。
美術館を想起させる車内に、隣の座席には美術品の美しさを持つ同級生がいたことから、正直もう少し長居したい気持ちもあった。だが、巧たち四人がすっかり盛り上がっていることもあり、余韻もなく車外へと出ることになった。
西武秩父駅を出ると、左手にすぐ温泉があったので、女性たち(と潤一郎)は盛り上がりを見せたていたが、巧だけは様子が違った。彼は、私に近づいてくると、それが一時間半にも満たない別離とは思えないほど、再会を喜んだ。
「なあ、みんな、温泉も良いが、やはりここは三峯神社が楽しみじゃないか」
私としばし会話を楽しんだ後、いやに溌溂と巧が言った。桑島と水野は何とも言えない様子だったが、小雪だけは明るい反応を見せた。
「あ、あの狛犬が狼になっているところでしょ。行きたいね」
満面の笑みで小雪が言うと、私や潤一郎などはついつられて顔が綻んでしまうものであるが、巧は人によって態度を変えることはなかった。
「ああ、良く知っているね西元寺。狛犬はまあ犬といっても獅子と獅子形の架空の生き物の像で、邪気を払い神前を守護する意味があるんだが、三峰神社などの一部の神社では、その神社固有の神の使いが、狛犬の役割を担うことがあるんだ。三峰なら『オイヌサマ』、つまり狼だね」
巧は相手が誰であろうと、いつもの調子で知識を語った。バス停に向かいながらも彼は、その向学心のままに調べた文献の内容をかみ砕いて説明する。
三峯神社の由緒や、飛鳥時代から明治時代の神仏分離までは、修験道や仏教色が強かったことなどを、巧は滞りなく語った。
途中、話は三峯神社のみならず、秩父三社にも及んだ。宝登山神社も三峯神社と同様に、日本武尊にまつわる由緒を持ち、その縁起には山の神の御眷属である山犬(狼)が登場するらしい。また、秩父神社に奉納された刀が、国宝として埼玉の県立博物館が所蔵していることや、秩父神社の宮司が神道界ではとてつもない大物であるという、えらくマニアックな解説もあった。
最初、桑島と水野は興味のなさそうな素振りをしていたが、巧の語りがうまく、またその声が美しかったので、彼女たちも次第に引き込まれていったようだった。
「江戸時代以降、治安や生活が安定したからか、庶民の間でも遠方への社寺参詣が人気になってね、例えば関東で言えば神奈川の大山講や群馬の榛名講あたりの代参講は有名で、南関東に住んでいるみんなの御先祖様もお世話になったんじゃないかな。特に三峯は作神でもあると同時に、盗賊除けの神様として有名だったから、関東以外からも参詣者が来たらしいよ」
標高約一一〇〇mに鎮座する三峯神社まで、バスで一時間二〇分ほどの旅路であったが、巧は時折、皆の歓談の邪魔にならない程度に知識を披露することがあった。特に水野はバスに酔いやすい体質であったらしいが、巧の語りに魅せられているようで、彼が話す度に目を輝かせた。私の横の席に座る小雪もまた、少し巧を見る視線が変わってきたような気がした。
実際神社までのバス乗車時間は、特急に乗っているよりも長かったが、私と潤一郎以外が都会育ちで山道が物珍しいものであったことと、巧のガイドが卓越していたこともあり、道中は楽しいものであった。
私は旅を楽しみながらも、山道の険しいところを見るたびに、巧の解説の中に出てきた、代参講というものに思いを馳せた。交通機関がない時代に、三峯の御利益を得るため、この山道を登った人々の苦労が偲ばれた。
神社のバス停で下車した私たちは、参道の茶屋で昼食をとり、往路の疲れを多少癒したあと参拝へと向かった。ラビューから小雪とは席が近く、私はずっと浮かれてしまっていたが、やはり真横に憧れの美女がいようとも、巧や潤一郎、桑島や水野の様子も気にかかった。とりわけ、巧の才覚に惚れたものとして、彼が意図した旅路になっているかが気になってしまった。
「なあ、そろそろ、描きに散らないか」
一度拝殿で参拝し、特徴的な三ツ鳥居へと戻った時のことだった。巧が本来の目的の写生を提案した。先ほどまで旅行を楽しんでいたメンバーではあったが、さすがに皆画学生ということもあり、各々作品づくりに向き合いたい思いがあった。
「そうだよなあ、旅行も楽しいが、これだけ見どころがあれば、描きたいよな」
おそらく一番旅行を楽しんでいた潤一郎が、突如画家の顔を覗かせると、他の面々も影響されたようで、一同は賛成の意を示した。私たちは集合時間を決めて、それぞれ境内のあちこちへと別れることにした。
巧は集合時間を聞くや否やすぐに仲間の輪を飛び出した。彼は駆けながらも、すぐにスマホで締め切りのタイマーを設定したようだった。巧がその気になれば、おそらくその手元が暗闇で見えなくなるまでは、容易に集中してしまうだろう。彼は以前それで潤一郎と私を待たせたことがあったので、以後対策するようになっていたのである。
「それじゃ、私たちもいきますか」
私は、弾丸の勢いの巧に触発され、すぐ目星をつけていたモチーフの元へと向かった。小雪のことは当然気にはなるが、一番興味のあるものは別にあった。足早に先刻来た道を引き返す必要があり、私はとにかく急いだ。
「やはり、いいな」
私は目的の手水舎を見て呟いた。手水舎というのは、参拝前や神事に参列する際に、手と口を清めるための場所である。神社によっては簡素な造りのものがあるが、三峰神社のそれは、嘉永六年(一八五三)年に建立された当初の彫刻が残る、極彩色の華美なもので、本殿や拝殿とともに、埼玉県の有形文化財に指定されていた。
参拝の際に、既に手水舎の立体造形物としての完成度に魅せられていた私は、他の参拝客の邪魔にならない位置取りを模索しながら、スケッチを始めた。
欲を言えば、手水舎とともに拝殿なども見える角度が望ましいが、純粋な参拝客の邪魔になってしまうのは私としても本意ではなかった。信仰への敬意と自己の関心に折り合いをつけ、私はだんだんスケッチへと集中していった――
「やっぱりここだったか、隼人」
巧の声でふと我に返った。複雑な形状の手水舎の彫刻は、無事スケッチブック上に二次元の情報に変換されている。画材を抱えながら時間を確認すると、集合時間間近となっていた。
「あ、すまない。完全に忘れていたよ」
巧たちと別れる時に、私は巧の忘我の集中に関して思いを馳せたはずなのだが、自分がその轍を踏んでいたのには、我ながら呆れてしまった。
「お前や潤一郎はよく俺のことを絵のことしか考えてないとか言うが、結局同じ穴の貉なんだよ。絵が一番大事だから、この道を選んだやつらの集まりなんだぜ」
巧は普段と逆の立場になったことで、生き生きと語ったが、私としては反論の余地もないので、恥じ入るばかりであった。私たちは特に示し合わせたわけでもないのに、その場でスケッチブックを交換し、互いの成果を観察しながら、集合場所を目指した。
巧はスケッチブックとクロッキー帳を使い分けているので、実際にはこれ以外にももっと描いてあるはずだが、スケッチブックだけでもかなりの量があった。
高岸巧の強みには、その制作量の多さ、つまり制作の早さがあった。また、早いということは迷いがないということでもあり、物の形状を精確に捉える観察の精度も凄まじいのである。巧の観察眼は明暗を見抜き、色彩の僅かな違いをも識別する。彼はおよそ画家に必要なものを全て備えていた。
参道を歩みながら開いたスケッチブックは、それが一冊の画集であるかのような錯覚さえ起こさせた。境内の様子や、神社の博物館に収蔵されているオオカミの毛皮等、着色はほとんどないのに、巧の目と手の力で描き出した作品は、雄弁にその色を語るのであった。
「へえ、この青い鳥って見たことないなあ、綺麗だ――」
私の発声器官は、半ば自動的に親友を賞賛した。いくつかのモノクロの画材を組み合わせたスケッチが、飛び立つ青い鳥を表現していることはすぐに解った。巧は白と黒の濃淡だけで見た者に色を感じさせる絵を描く。
「ああ、神社も良いが、やっぱり秩父は自然も見所だろ? 思った通り珍しい鳥がけっこう見られたよ、そいつは『ルリビタキ』だな。都内にもいるらしいが、野生のやつは初めて見たよ」
巧は私の質問に短く答えた。彼の目は私の作品に注がれていた。
「それにしても、やっぱり隼人の絵はいいな、無機物を描かせたら俺より良い。特に建築物の細部と全体の調和が絶妙にうまい」
親友が相好を崩した。自信家の彼にとって「俺より良い」というのは、最大限の誉め言葉であるが、やはりその観察眼により、私の人間性の欠落が見抜かれているのではないかと、一抹の不安が脳裡を過った。
私たちはまたバスに乗り三峯神社を後にした。往路と違い、復路は疲れもあるのか、皆静かだった。巧だけはまだ余力があるようで、まどろむ水野に肩を貸しながらも、右手を小さく動かし、クロッキー帳にラフスケッチを量産しているようだった。