第2話 高岸巧の思い出
「なあ、二人は理想の死に方ってあるか?」
たしか、大学一年次の後期授業が終了したあとの出来事だった。上野のアメ横の飲み屋にて、高岸巧が唐突にそんなことを言った。
学生時代、私たちはよく三人組で行動していた。高岸巧と辻潤一郎〈つじじゅんいちろう〉という男、私の三人である。入学時二十歳を越えていた潤一郎のみが飲酒ができたので、巧はこの時、素面であったはずだが、我々の中で奇抜な発案をするのは決まって高岸巧であった。
「なんだよ、いきなり」
さきほどまで安酒をちびちび啜っていた潤一郎は、唐突な巧の言葉に気を悪くしたようで、器の中身を一気に飲み干し、巧を睨みつけた。
「……お前たち化け物と違って僕は二浪して何とか藝大に受かったんだ。それだって地元の予備校じゃ天才って言われているんだから、入学そうそう、いきなり死ぬことなんて考えられるかよ」
潤一郎は、アルコールの余韻に浸らず、一息に反論した。彼の耳のピアスが、前のめりなった肉体に合わせて静かに揺れた。
「いやいや、潤一郎、そういう話じゃないさ。それに今の受験システムは間違っているって散々言っているだろう。まあ俺が『化け物』なのは否定しないが」
巧は、実年齢が二つ上の潤一郎に対して、臆することなく続けた。彼の自信家ぶりは入学してから現在まで揺らぐことなく、周囲の学生も常に結果を出し続ける巧に対し、畏敬の念を持つ有様だった。
「ほら、たいてい著名な芸術家っていうのは、死に方も芸術的だろう。ある意味では芸術家の終わり方っていうのは、その後残った作品の印象を左右すると思うんだよな。ゴッホの拳銃自殺は言うまでもないが、九〇歳まで生きた北斎が今際の際にあと、五年、いや十年あれば本当の画家になれたって言ったのもカッコいいよな。実際この二人の死に様の違いは、彼らの作品の印象に大きな影響を残していると思わないか?」
巧は『死』という繊細な話題に対して、さも愉快気に語った。その態度はともかくとして、言わんとすることは分かった。今の時代、画家として食べていくには力量はもちろんだが、ブランディングの力も問われることになる。さきほど巧から語られたゴッホと北斎のエピソードはその最たるもので、多くの現代人にとって、生前評価されなかった悲運のゴッホと、最後まで絵に貪欲だった北斎の印象を決定づけるものであろう。
「まあ、ある意味、彼らの晩年の過ごし方は、後の世の彼らの画家としての印象、ひいては作品の印象を決定したってことだよな」
私は手に持ったウーロン茶を机に置き、巧に向かって意見を述べた。
「そうそう、さすが隼人ちゃん、良くわかっているじゃないの、さすがもう一人の化け物だ」
巧は私の回答を気に入ったようで、思い切り破顔した。端正な顔が、少年のようなあどけなさを帯びた。女子の中で一番人気があるというのも頷ける。彼はその明眸を輝かせ、話を続けた。
「大学なんかどこでも良いんだよ、何回浪人しようが、どこを出ようが関係ないのさ。結局はどう活動を続けてどう残すかが芸術家にとって重要なわけ。ま、俺や隼人が特別なのは間違いないだろうけど」
最後に付け加えた余計な一言が、潤一郎を怒らせたようで、この後また話が拗れた。
日本最難関の大学の一つ、芸大の絵画科油画専攻に、高岸巧と私は現役で合格した。だが、どれほど奢ったとしても、高岸巧と私、永用隼人〈ながようはやと〉の間には厳然たる差が存在した。それは自分でも、いや私だからこそよくわかった。
私は、私をとりまく複雑な家庭環境からいち早く脱するため、速やかに大学に合格する必要があった。常に最良の結果を求められる家庭の檻から脱するべく、私は、常に次に進むコミュニティの研究に腐心し、その結果、現役合格にたどり着いただけの存在だった。
芸術の神に愛されたとしか言いようのない、高岸巧のそれとは、結果は同じでも意味が違うのである。
「まあまあ二人とも、そんなに騒いだら、いくらこの店でも迷惑だから……」
私は興奮する巧と潤一郎を仲裁しつつ、何とか店から出た。最初、間に割って入り険悪な二人を宥めていたが、なぜか二人のケンカを外国人観光客がはやし立てたことで、騒ぎが大きくなった。
巧と潤一郎の言い争いを面白がる三人の外国人に、巧がすぐさま彼らが使う言語で何か言い返した。どうやらけっこうマズイことを言ったようで、巧に対してその中の一人の拳が向かった。
暴力は止めなければという使命感に従い、私が懲りずに間に入ったのが間違いだった。
外国人に肩を打たれた私を見て、巧が激怒してしまったのである。私はずり落ちた眼鏡を直しながらも巧を静止しようとしたが、もう手遅れだった。巧は絵筆をとるための手を固めて、瞬く間に目の前の三人を無力化してしまった。
「いやいや、どうしてこうなる……」
私は、目の前で拡大してしまったトラブルの惨憺たる有様に、思わず絶望の呟きをすることになった。こうなっては焦りのあまり、肩の痛みなど感じなかった。
「おい、二人とも逃げるぞ」
おそらく一番早く冷静になった潤一郎の提案に、私と巧は素直に従った。この場合正当防衛にはならないだろうな、と思いながらも、我々はその場を後にしたのである。
「いやあ、さすが辻さん、見事なご英断です」
現場からしばらく走り、私たちは一息ついた。私の肩の様子を確認してから、巧は潤一郎に対し、急に恭しい態度を取り始めた。
「え、もしかして、これ僕が悪くなっちゃう感じ? たしかに一人だけ成人だよなあ……、っていうか急に年長者扱いやめろ」
この時、まだ成人年齢は二〇歳だったため、確かに刑事事件に発展すれば、成人の潤一郎だけ不利益を被る可能性は高かった。
「うそうそ、冗談だよ。潤一郎さん。何かあったら正直に俺が三人叩きのめしたって言うさ」
巧は観念したように言った。竹を割ったような性格というのは、彼のためにあるような比喩だと感じた。
「いや、もとを辿れば僕がつまらんことで怒ったのが良くなかった。しばらく酒は控えるか……、すまないな隼人、完全に君だけは被害者だ」
潤一郎はすっかり酔いが醒めた様子で、私に向かって頭を下げた。
「いえいえ、気にしないでください。家族の折檻に比べたら大したことはないですから」
多少茶化して言ったが、巧と潤一郎の表情が曇ったことを考えると、どうやら問題発言だったようだ。
「というか、巧、外国人に外国語でケンカ売り返すとかお前、岡倉天心かよ、しかも無駄にケンカ強いし」
藝大の前進である東京美術学校の設立に携わった岡倉天心には、様々な逸話がある。その中でも、渡米した際、アメリカ人に差別的な挑発をされ、すぐに流暢な英語で言い返した話は特に有名である。
「お、潤一郎さんうまい例え、いやあ我らが開祖の一人に、リスペクトをね」
事も無げに巧は笑ったが、彼の危うさが浮き彫りになったはじめての事件でもあった。私、そして潤一郎もまた、この時、高岸巧の圧倒的な画才が、危険な器に入っていることを、より一層認識したのであった。