SIDE コンラッド6
「シャル、部屋に入っていろ! 火を焚いて煙を出せ!」
森から熊が出たと叫ぶ声が聞こえて、俺は剣と弓矢を持って飛び出した。畑の焚き火に火を付けて、家に近寄らせないようにする。まだ夕暮れ頃。熊が現れるのは早朝が多かったが、餌が見付からなかったのか、こんな時間に現れた。
畑仕事をしていた人たちが、一斉に家に入り込むのが見えた。どこにいるのか、森の中を見やれば、思ったよりでかい熊がのっそりと茂みから顔を出す。
俺は火を持ってそれを振り回した。大抵の熊はこれで逃げていくが、なぜかこちらに歩んでくる。
俺は火を放り投げた。熊が突進してきたからだ。
「くそっ!」
熊が俺の前で両手を上げた。すぐに避けて、剣で足を切り付ける。しかしほとんど効いていない。後退すると茂みの中に隠れる。しかし、走っているのがわかる。別の場所から飛び出してきて、俺の右手から突進してきた。両手を上げて覆い被ってこようとする熊を避けて、再び切り付ける。
ガタイがいい上に、頭が良さそうだ。両手を振り上げる時、俺は剣で腹を切り付けた。しかし、おののくことがない。逃げないのか。
熊が両手を広げて、両足で立ち上がる。
「コンラッド! 避けて!」
呼ばれた瞬間、俺は横に転がった。
ギャアッと熊が咆哮した。俺はその隙を逃さず、背中を切り付けた。熊はもう一度雄叫びを上げると、首を振りながら走り去った。
「コンラッド! 大丈夫!?」
弓を持ったシャルリーヌが走ってくる。いつの間にか外に出ていたシャルリーヌが、弓を使い、熊の目を目掛けて矢を射ったのだ。それは命中し、熊の眼球に突き刺さった。あの距離で、当てるか? 熊が両手を上げて静止した時を狙ったのだ。
「はは。我が妻は、なんでもできるな」
「ほら、この生活は私に合っているでしょう?」
シャルリーヌがくったくなく笑う。
「ああ。ああ。よく合っている」
「まあね。旦那様、立てるかしら? 私が手を貸してあげましょうか?」
シャルリーヌが手を伸ばしてくる。
俺の気持ちを見透かすように、そんな風に手を伸ばすのか。
ずっと、後悔しているのではないかと、不安があった。この土地に来て体調を崩した。医者はいるが、来るまでに時間が掛かる。俺が一走りして連れてくるまで、シャルリーヌは不安の中苦しまなければならない。そんな不便な土地に、連れてきた。それもエヴァリスト様の協力あってこそ。俺はなんの役にも立てない。俺が助けられないことが多い。申し訳なさに、涙が流れそうだ。
そんな心を、見透かされていた。
シャルリーヌは弱い人ではない。弱いのは俺の心の方だ。
俺はその手を取った。
この人との出会いを感謝したい。こうして、子供も授かって、生きていくために協力し合える相手が隣にいる。
「シャルリーヌ。ここに来る時に、言おうと思っていたことがあって」
「なあに?」
「結婚式を、しないか?」
「コンラッド?」
「その、身重だったし、色々あって、できなかったから」
シャルリーヌはみるみる目を赤くさせると、俺に抱きついてきた。
エヴァリスト様との婚約中、シャルリーヌは花嫁衣装は着たいと言っていた。俺と一緒に、誓いを立てたいと言っていた。だから、どうにかそれを可能にできないか、ずっと考えていたのだ。
ここに来る前に、エヴァリスト様にも聞いていた。結婚式をするとしたら、場所はあるだろうかと。
近くの大きめな村なら、行える場所があるかもしれない。それだけ聞いて、安堵した。落ち着いたら、その村を調べてみると。だから俺は、その村のことも調べておいた。シャルリーヌが着る衣装も作れるかどうか。貴族の令嬢のように、豪華な結婚式はできないが、二人で誓えるならそれでいい。
子供にも衣装を縫って、俺たちは結婚式を挙げることにした。
村人たちも集まってくれた。この人を一生愛すると誓いをたてて、俺たちは外に出る。人々から花びらをかけられて、祝いの言葉を聞いた。
「おめでとう!」
「おめでとう!!」
ありがとう。何度もそう言って返して、シャルリーヌと微笑みあった。
「私、ここに来て良かったわ」
「ああ。来て良かった」
本当に来て良かった。
「あら、どうかしたのかしら」
少し離れた道に、馬車が停まった。車輪でも壊れたのか、御者が中にいる人に声を掛ける。
「馬車が壊れたのかしら」
「領主様のところに訪れた貴族かな。見たことがない紋章だ」
馬車から男性が降りてくると、もう一人、帽子を被った女性が馬車の中に見えた。
「あ……」
シャルリーヌのか細い声が聞こえた。
帽子を被った女性が、少しだけその帽子を上げた。
「お姉様……」
二人はそこから動かない。気になった村人が声を掛けにいった。馬車が壊れていたら手伝うつもりだ。けれど少し話してすぐに戻ってくる。
「体調が悪くて少し停まったんだと」
「そりゃまた、大丈夫かねえ」
馬車はまだそこにいる。動かずに、そこに停まっている。
「おいで、ほら」
俺は急いで老夫婦に預けていた子供に声を掛けると、自分で抱っこをした。
「ほら、手を振ってごらん。ディア、ばいばいーって」
まだ赤ん坊のディアに、彼らを記憶することはないだろう。けれど、見てほしい。お母さんの、大切なお姉さんだ。お前の名前は、あのお姉さんからもらったんだ。
「あいあー」
「そう。ばいばーい」
シャルリーヌは持っていた花束で涙を隠した。
二人に見えただろうか。俺たちの子供が。ディアが。
エヴァリスト様が馬車に乗り込む。馬車はゆっくりと動き出した。
遠のいていく馬車を、俺たちはずっと見つめていた。
シャルリーヌの肩を抱いて、ディアを抱きしめて。
「ありがとうございます」
俺は呟く。
二人のおかげで、俺たちは幸せです。
幸せに暮らしています。
これからも、ずっと。