たまごを上手く割るためには
コロン様主催『たまご祭り』参加作品
とあるお料理チャンネルにて。
男性料理研究家がメニューを説明している。
「本日のメニューはこちら。海鮮玉子焼きですね。まずはこちらの鶏卵を割ってボールにあけます」
コツン、パリッ、トロリ。
◇◆◇
とある科学実験チャンネルにて。
女性科学系配信者が実験の説明をしている。
「このように発熱します。なんと目玉焼きを焼けるほど高熱を出すんですよ。こちらの卵で試してみましょう」
コツン、パリッ、トロリ。
◇◆◇
とある教育チャンネルにて。
小学校低学年とおぼしきの女の子がクッキーをつくっていた。
「はいっ、こむぎこと、おさとうと、ぎゅうにゅうと、そしてたまごを入れてかきまぜまーすっ」
コツン、パリッ、トロリ。
◇◆◇
ゴツッ、バリ、グジャ。
「なんでじゃあああ!……うう」
一人暮らしのアパートのキッチンで、俺、錫木颯士郎は朝から唸っていた。
目玉焼きをつくろうとたまごを割ったところ、失敗して黄身をつぶしてしまったのだ。
ちなみに3個割って3個全部つぶしてしまった。
これで朝食と弁当のおかずは目玉焼きでも玉子焼きでもない、『目玉焼きの失敗作』になってしまった。
不器用な自覚はあるがそれにしても失敗が多い。
ヒビを入れようとたまごを角に当てたら強すぎてグシャリと割ってしまったり
割る時に殻を入れてしまったり
今日のように黄身を潰してしまったりする。
最初から溶き卵をつくろうとしていたときはまあいいが、目玉焼きが食いたいときにこうなるとちょっと心にダメージが溜まる。
なんか以前より成功率が落ちてないか?
こういうのって下手になることってあるのか?
最近見た動画のたまごを綺麗に割るシーンが頭に浮かぶ。
「なんであんなふうに上手く割れるんだ……」
いや料理研究家が上手いのは分かる。
というかそのくらいできなかったらダメだろう。
しかし俺とさして歳の変わらなさそうな科学系配信者も片手で綺麗に割っていた。
彼女が俺の数百倍のたまご割り経験を積んでるとかいうことはないだろう。
ましてあの小学生が人生でたまごを割った回数なんか、俺がこの春から一人暮らししてから割った回数より絶対少ないはずだ。
なんなら俺がこの1ヶ月で割った回数より少なくてもおかしくない。
そりゃあ撮影だからリテイクとかあったかもしれないがそれにしてもぎこちなさを感じない自然な動作だった。
俺のなにが悪いのか……
「ってやべえ、急がねえと」
俺は出来損ないの朝食をかき込んで残りを弁当箱に詰めると、寝不足でダルい身体に鞭打ってバイトへ向かった。
◇◆◇
バイト先では昼休みには数人ずつ交代でバックヤードに入って昼食を摂る。
ここのバイトは年配の人が多く、今日のシフトも俺を除けば若いのは俺より5歳上の香澄さんという女性だけだった。
その香澄さんの弁当には自分で焼いたらしい綺麗な目玉焼きが入っていた。
と、俺の視線に気付いた香澄さんが尋ねてくる。
「颯士郎君どうしたのー?なにかおかず欲しいー?」
「ああ、いや、そうじゃなくて。美味そうな目玉焼きだなーって。俺も目玉焼きつくろうとしたけどたまごが綺麗に割れなくてこんなふうに失敗しちゃったんですよ。たまごの殻を上手く割るコツとかってないもんですかね」
「うーん、そーねー、たまごを上手く割るためにはねー」
「はい、たまごを上手く割るためには?」
「たまごの声を聞くと良いよー」
「いや、この道三十年の料理人とかじゃないんで無理です」
「無理かー。じゃあそんな颯士郎君がたまごを上手く割るためにはねー」
「はい、たまごを上手く割るためには?」
「颯士郎君の声を聞くと良いよー」
「いやその俺自身がアテにならんから相談してるんですが?」
香澄さんは冗談を言っているのではない。
素でこういう人なのだ。
周囲のバイトの人たちも香澄さんの天然発言には慣れており、今も
『また香澄ちゃんが面白いことを言ってるねえ』
と和み8割苦笑2割といった視線をこちらに向けている。
まったく問題は解決しなかったが、今日も香澄さんのおかげで穏やかに昼休みが過ぎていくのだった。
なんか多少の違和感がないでもなかったが。
◇◆◇
そして翌朝。
俺は今日も冷蔵庫から3個のたまごを取り出す。
「んあ゙〜あ、今朝もダリいなあ……ん?」
唐突に昨日の香澄さんの台詞を思い出す。
「颯士郎君の声を聞くと良いよー」
……俺今『今朝もダリい』って言ったよな?
っていうかここ1〜2ヶ月毎朝そんなこと言ってなかったか?
学校にバイトにゲームにで睡眠時間削っては寝溜めしてを繰り返してたよな?
毎朝寝不足の体調不良で注意力散漫になってたんでたまごを綺麗に割れなかったんじゃないか?
それが全てではなくとも原因の一つではあるかもしれない。
俺はひとまずたまごを置いた。
そしてしっかり目を覚ますためあえて冷水で顔を洗い、濃いめのミルクティーを一杯淹れる。
ミルクティーを飲み干すとカップと手を洗って、フライパンを熱して油を敷いてからたまごを手に取る。
これまで気にしたこともない殻表面の微かなざらつきを感じながらフライパンの縁にたまごを当てる。
コツン、パリッ、トロリ、ジュワッ。
綺麗に卵黄の形が残ったたまごがフライパンに広がる。
続けて残り2個のたまご割りも成功させた。
「香澄さんにお礼言っとかないとな。皆にも今日は成功しましたって報告を……あれ?」
ここで昨日の昼休みに感じた違和感の正体に気付く。
和み8割苦笑2割の皆からの視線。
苦笑2割の視線って香澄さんじゃなくて主に俺に向いてなかったか?
もしかして香澄さん以外の皆は彼女のアドバイスの意味に気付いてたんじゃないか?
昨日皆が思っていたのは
『また香澄ちゃんが面白いこと言ってるねえ』
じゃなくて
『香澄ちゃんのアドバイスが分からんとは颯士郎君はまだまだ若いのう』
というものだったんじゃなかろうか?
……出勤したら昨日お昼一緒だった人に確認しよう。
なんか恥ずかしいから香澄さんに聞かれない所でこっそりと。
そんなことを考えながら俺は仕上げにフライパンにちょっと水を入れてフタをしたのだった。