7.昔があるから今がある
「手紙、ですか。もしかして送り主は……」
「そう。ニアマト王国で、いつの間にか即位していたランディ陛下からだったの。ヴィーゴ様も私もびっくりしたわ」
手紙が送られてきただけでもびっくりするのに、ランディ陛下が即位していた事にも驚いたはずだ。でも、お父様が辺境伯を賜ったころだったら、隣国との交流は今よりも活発だったのかもしれない。お母様の話を聞く限りでしか分からないけれど、前王陛下もランディ陛下との面識はあったはずだし。
「そこからよ。前王陛下とランディ陛下が密かに交流を始めたのは」
「前王陛下とお父様はご学友であったと聞いていますけれど、ランディ陛下とは交流がなかったのですか?」
「いえ、どちらかといえばよく一緒にいた方よ。密かに、とは言い方が違ったわね。隣国の王同士ですから、当たり障りのないやり取りは交わしていたわ。国の状況が忙しない日々が続いていたから、個人的なやり取りをする余裕などないと思われていたのでしょうね」
表向きは国の王として、裏では学生からの縁を繋げ、個人的な交流を続けていたのだろう。国を背負い王冠を戴く者同士、他の人には話せない悩みなどもあったのかもしれない。それを吐き出せる場があるというのは、きっとどちらにとっても助けとなっていたはずだ。
「仲介を担ったのはヴィーゴ様よ。国の目を、自分に向けるという意味合いもあったの。前王陛下は、小国ゆえに閉鎖的になりがちな我が国を少しでも良くしようと改革を進めていたから」
ニアマト王国と違って、我が国、コーランド王国は三方を険しい山脈に囲まれた小国だ。ある程度を自国で賄えるとはいえ、どうしても交易に頼らねばならないものが出てくる。
事実、前王陛下の時には我が国では獲れない海産物などは比較的流通量が安定していたけれど、今は不安定になっていると聞く。隣国であるニアマト王国との関係は良好を保っている方がいろいろと助かるのに。
今の国王陛下は、そうはお考えではないのだろうかと思うと、少し胸が苦しくなる。苦労をするのは、私達ではなくて生活を支えてくれている平民の皆様なのに。
「お父様が、派手に動けば国の注目が集まる。その間に、国の悪いところを改善しようとなさっていたのですか?」
「その通りですよ。ドルチェ、この間持って行った本をよく読んでいるようですね」
「ロラントお兄様!」
カチャリと静かな音を立てて入ってきたのは、少し疲れた様子のロラントお兄様。ちょうど借りたばかりの本で学んだところの話だったうえに、褒められたことが嬉しくて声が大きくなってしまった。
気付いて赤面する私の頭をポンポンと優しく撫でてくれたロラントお兄様は、きゅっと口を引き結ぶとお母様に向かって腰を折った。
「お話に割り入ってしまって申し訳ありません。母上、読み通りあのお方が戻ってきましたが」
「あらあら。思っていたよりもだいぶお早いお戻りですこと。仕方ありません、王都までの手土産を用意しなければ」
「そちらは父上とフェル兄さんがつつがなく。途中の町までは護衛に兵も派遣してあります」
戻ってきた、というのは今朝がたこの地を発った貴族の方でしょう。ニアマト王国に抜ける道は確かに整っているけれど、それでも国境なのだ。両国からの警備だって出ているし、向こうはすぐに街があるわけではない。まだ日も高いのにどこを視察してきたのだろうか。
それに、ロラントお兄様の感じだともうこの地にもいないようだ。王都まで三日かかる道のりなのだから、少しでも体を休めてから旅立った方が楽だと思うのだけれど。
「そこまで準備しておいて、何が不満だったのかしら?」
コツコツとテーブルを指で叩いているお母様の顔には、明らかに不機嫌だと書いてある。自分から王のために隣国の視察に向かうのだと意気込んでいたのに、この短時間で戻ってきたのだったらそうなるのも無理はないと思う。
私だってニアマト王国の兵士の方に協力してもらって、視察という名の訓練に付き合ってもらった時は、もう少し長く向こうの国にいたというのに。
「ニアマト……隣国との装備の差になにやら思うところがあるようですが。金属を寄付しているのにこの程度か、と仰っておりましたから」
「それは私達ではなく、国王に進言して欲しいものだわ。物資など、一向に届きもしないのに」
王都からは国境争いのように思われているのは、実際のところ演習でしかない。それは、お父様とランディ陛下、そして前王陛下も関わって決めたことだったはずだ。
今の国王陛下には伝わっていないのだろうか、隣国と争っているはずのこの地には、王都からの救援物資や兵士の増援などもないのだ。だから、お母様が口にされたことには思わず頷いてしまった。
「兵の装備については、私からヴィーゴ様に相談しましょう。ランディ陛下にも伝えなければならないでしょうから」
「よろしくお願いいたします、母上」
現状、ランディ陛下と直接連絡を取れる手段を持っているのはお父様だけだ。私達は、お父様が連絡できるということを知っているだけ。兵の装備については、ニアマト王国がどんな物を兵士たちに支給しているのかも確認しなくてはならないのだから。
すっと立ち上がったお母様は、申し訳なさそうな顔をしていたけれどこの報告を受けたのだったら、仕方がない。
「ドルチェ、話の途中で申し訳ないのだけれど」
「私は大丈夫ですわ、お母様。ロラントお兄様からも本をお借りしていますし、自分で勉強できます」
実をいうと、ロラントお兄様からお借りした本はその日のうちに読み切ってしまったのだけど。お母様から当時の話を聞くことが出来る機会はあまりないから、もう少しいろいろ聞きたかったのが伝わってしまったのだろうか。すっと隣に寄り添うように移動してくれたロラントお兄様から、思いがけない提案をされた。
「ドルチェさえよければ、俺が付き合おうか」
「よろしいのですか? ロラントお兄様だってお忙しいはずなのでは」
「今日の予定はもう、終わってしまったから。体力の余っている兵はフェル兄さんが連れて行ったし、書類も急ぎのものはない。それも、妹と意見を交わす時間以上に大事ではないけれどね」
終わってしまった予定は間違いなく、貴族の方の時間に合わせて取ってあったものだろう。もうこの地にいないのだったら確かにやることはないだろうけれど、ロラントお兄様はお父様の事務仕事の補佐をされているから、仕事がないというはずはない。
けれど、そうやって私の負担を軽くするように話してくれるから、甘えてしまってもいいのではないかという気持ちも湧いてくる。
「ですって。ドルチェ、私の話の続きはロラントにお聞きなさいな。フェルヴェをサポートしてくれているロラントだったら、詳しく教えてくれるわ」
「では、よろしくお願いいたします。ロラントお兄様」
ロラントお兄様が頷いていることを確認したお母様は、足早に部屋を退出された。やりかけの刺繍とレース編みを端に置いてから、ロラントお兄様と向き合って座る。
せっかくなので、先ほどのお二人の会話で気になったことを聞いてみようと思う。
「ロラントお兄様、金属を寄付しているというお話は?」
「ああ、王都でね。武器を調達するために金属を集めているようだ。けれど、我が家にも領にも、武器の補給など来ていないのにね?」
「そう、ですわね……。それでしたら集めた金属はどこにあるのでしょうか」
王都に行ったことのない私では、想像しかできないけれど。王城に武器を集めておいたとしてもそれを使う人が一番多いのは、きっと我が領のはずだ。それなのに物資の補給など年に数えるほどしかないし、量だって国境争いをしているはずの場所に送るにしては全然足りない。
それでも、王都では金属を集めている。何のためなのか、想像がつかなくて首を傾げている私を、ロラントお兄様はただ見ているだけ。
「そう、いったいどこにあるのか。それは、王に聞いてみないと分からない。物資がない中で国境争いをしていると思われている俺たちに出来るのは、限りある資源を大事に使うことだからね」
「それはもちろんです! だからこの間のナイフには糸を付けたのですから」
予想外の方向からナイフが飛んで来たら、気が動転してこちらが有利になるのではないかと考えていたことも本当だけれど。地味に投げナイフの回収は手間だし、使い捨てになってしまうことの問題も解決できると思っていたのに、そう甘くはなかった。
「そうだったのか。偉いね、ドルチェ。そうして自分で考えて行動できることは、きっとお前の力になるよ」
「ありがとうございます、ロラントお兄様。精進しますわ」
フェルヴェお兄様は態度で、ロラントお兄様は言葉で褒めてくれることが多い。どちらも等しく嬉しいけれど、今日はロラントお兄様の言葉がまるで水のようにじわりと体に沁み込んでいくような気がした。
「そうそう。ドルチェの昨日の歌を聞いていた兵がね、夜警でも穏やかに過ごせたと言っていたよ。最近は夜に歌っていなかったのかい?」
「お母様が王都に行っている間は、少し控えておりました。浮き足立っているように見られてしまうかと思いまして」
歌うことは好きだ。だけど、そこにはいつも家族の皆がいた。お母様が王都へ滞在されている間は、多少でもその役目を肩代わりできればと気を張っていたから、あまり歌っていなかった。
どうしても、私を見ながら穏やかに微笑むお母様の姿が思い出されるから、寂しくなってしまうというのもあったのかもしれない。来年には成人を迎えるというのに、こんな気持ちではいけないなあと思うのだけれど。
「楽しみにしているのもいるから、気が向いたらまた聞かせてあげて欲しい。きっと彼らも喜ぶ」
「分かりましたわ。私が役に立つのであれば」
「役に立つから、じゃないよ。ドルチェの歌だから、聞きたいと思うんだ」
「……その言い方は卑怯ですわ、ロラントお兄様」
ふふっと穏やかに笑っているように見えて、実はいたずらっぽい表情を浮かべているロラントお兄様に向けて、せめてもと頬を膨らませてみたけれど、その態度すらもただ楽しませただけだったようだ。
楽しみにしてくれている、喜んでくれるのであれば、また歌おう。この地に住まう誰かの、ひと時の癒しになりますように。