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5.お帰りなさいませ、お母様

「そろそろかしら……」

「ドルチェ様、何かおっしゃいました?」


 二回目だったおかげで、朝よりも早くオーブンに入れることが出来たケーキ。焼き上がりを待っている間に洗い物を済ませてしまおうとシンクに運んでいたら、意識の隅に何かがふっと触れた。


「お母様は、そろそろお戻りになるかしらと思ったの」


 それは嫌なものではなく、どちらかといえば慣れ親しんだ感じのもの。だとしたら、きっとお母様だろう。そう思って首を傾げて不思議そうにしているコック長に告げてみたら、苦笑いを返されてしまう。


「さすがに早すぎませんかね。奥様の馬の腕を疑っているわけではありませんけど……」

「ドルチェ様、こちらにいらっしゃったのですね。どうぞ身支度を。奥様がまもなくお戻りになられます」

「分かりました。すぐに向かいます」


 確かに早すぎると、自分で言っておいて自分の言葉に苦笑いを浮かべそうになったタイミングで、キッチンにルターが顔を出した。

 嘘だろうと言わんばかりに目を丸くしているコック長に、ルターが一瞬だけ視線を向けたけれどそのまま踵を返す。きっとお母様があまりにも早くお戻りになったから屋敷の中の指示出しも追いついていないのだろう。

 そのままお出迎えをするつもりだったけれど、身支度をと言われたのだからと視線を下に向けると、ルターの言いたいことが良く分かった。飛ばしていないつもりだった粉もケーキの生地も、エプロンからはみ出て汚れてしまっている。あれだけ急いで戻っていたルターの様子を見るに、身支度といっても湯浴みをするだけの時間はないはずだ。


「コック長、ごめんなさい。後片付け、お願いできるかしら?」

「もちろんですよ。ケーキも切り分けておきますから、ドルチェ様はどうぞご準備を」

「ありがとう。よろしくお願いします」


 シンクを示してからどんと胸を叩いて任せろと全身で表現してくれたコック長に、深く頭を下げてから、私は自室へと向かう。すれ違う使用人たちも慌ただしく動き回っているから、お母様がこんなに早くお戻りになってくるとは考えてなかったのだろう。そんななかで私の準備に手を取らせてしまうのは申し訳ないと思ったけれど、一人で準備をするよりも早く終わるだろうから途中で声をかけて自室に付き合ってもらうことにした。


「さすがに偶然だよな……?」




「お帰りなさいませ、お母様!」


 メイドの手も借りて、急いで準備をしたからお母様のお迎えにはギリギリで滑り込めた。すました顔をして共にお迎えをしたルターの額にも、少しだけ汗が光っている。

 屋敷の中で手の空いている者は集まっているのに、お父様とお兄様たちの姿は、見えない。


「ただいま戻りました。ドルチェ、お迎えありがとう」

「あの、お父様とお兄様たちは……」

「いいのよ、ドルチェ。分かっているわ」


 私が退出した後に、お父様たちはきっと何か大切な話をしているのだろう。ケーキを頼まれたのは、私を除け者にしたわけではないという意味をこめてくれたのだと思っている。

 だからこそ、お母様にはお父様たちがお迎えに間に合わなかったことの理由をきちんと伝えないといけないと思う気持ちだけが早まってしまって、上手く言葉にならない。

 旅の疲れもあるはずなのに、お母様はそんなものを微塵も感じさせない穏やかな笑みを浮かべてくれた。


「レジェーナ、遅くなってすまない!」

「母上、申し訳ありません」


 久しぶりのお母様の笑顔を見てふわっと気持ちが舞い上がった時に、珍しくドタドタとした足音が響く。焦った顔を出したのは、お父様。二歩ほど遅れて到着したフェルヴェお兄様は、深く腰を折った。


「ヴィーゴ様に、フェルヴェ。ロラントはいないのね?」

「ロラントは、馬の手入れに行かせたよ。レジェーナだったら無茶な扱いなどしないと分かっているが、念のためにな」

「そうですか。無理はさせていないはずですが、ロラントが見てくれるなら安心できるわ」


 ホッとしたように表情を明るくしたお母様は、王都から共に駆けてきた馬の事を気にかけていたようだ。無理をさせていないと思っていても、馬たちは私達の事を好いてくれているので多少頑張りすぎてしまう傾向がある。馬房にいる調教師だってきちんとしたお世話をしてくれるし、馬の事をとてもよく理解してくれているけれど、ロラントお兄様もその人たちに負けていない。


「夕食の準備はもうすぐ出来るそうです。母上のお支度が終わったら、話を聞かせてくださいませんか」

「もちろんよ。すぐに済ませるので、先に食堂で待っていてくださいな」


 フェルヴェお兄様の嬉しそうな顔を見て、お母様ももちろんだと頷いている。お出迎えに遅れてしまったことを改めて謝罪をしたフェルヴェお兄様は、お父様と一緒に食堂へと向かっていく。

 私もそのまま向かうつもりだったけれど、切り分けてもらっているはずのケーキに少しだけ手を加えたかったので先にキッチンに顔を出すことにした。



「あら、デザートはもう頂いたと思ったのですが」


 ロラントお兄様も揃っての夕食は、いつも以上に賑やかなものになった。話題の中心は、もちろんお母様だけれど、私達に質問をされることが多かった。不在の間でも私達の事を心配していてくれていたのか、家に関することを聞かれるのがほとんどだった。私がお兄様たちと手合わせをした時の話は興味を持たれたようで、あれこれと質問が飛んで来たのは少しだけ以外だったけれど、とても楽しく話をすることが出来た。

 話が弾みながらの食事はあっという間に終わって、落ち着いていたはずなのに、またデザートプレートが出てきたところでお母様が不思議そうに見ている。


「ドルチェに頼んだのだ。久しぶりに、ゆっくり話せるのだから」

「そうなの。ではゆっくり味わわせてもらいましょう」


 ドライフルーツをたっぷり混ぜ込んだケーキに、ホイップとチョコソースでデコレーションしたプレートは、王都でいろんなものを見てきているお母様でも楽しんでいただけたようだ。

 夕食作りの間を見て一緒に考えてくれたコック長にも、あとでお礼を伝えないと。


「王都の様子はどうであった?」

「一年というものは、何かを変えるのには十分すぎるほどでした。王都では、子供でも兵士を称えております」

「母上、子供というのはどの程度の」

「我が領では、読み書きを教えている年頃よ。親しい家の子にも聞いてきたけれど、私塾でも教養よりも兵士を称え、武器を取ることを教えているのですって」


 質問をしたお父様の一番聞きたいことを、的確に読んだお母様のお答えだったのに、ピリッとした空気が走る。ふっと視線を上げただけのロラントお兄様とは違って、フェルヴェお兄様は一瞬体を揺らした。お父様の友人だった前王陛下とは違い、今の国王陛下は国の領土を広げたいとお考えだとは聞いていた。我が領に国王陛下の騎士が来ることもないのだから絵空事だと思っていたけれど、どうやら本気でそう思っていらっしゃるようだ。


「その家の方との関係は、お変わりなかったのでしょうか」

「もちろんよ、ロラント。そうでなければ我が家と付き合っていくなど出来ないでしょう。子供は家庭教師に変更するそうだから、私の伝手を紹介したわ」


 お父様の補佐として、親しくしていただいている家との交流を担当しているロラントお兄様は、そっと控えている使用人を呼んでいる。今の話は今後の関わりの中で書き留めておかねばならないことだと判断されたのだろう。きっとお母様からも後ほど、詳しく書き記したものが渡されるはずだ。

 家族の中で、私だけがまだ、何もお役に立てていない。成人前だからと言われるけれど、甲も忙しくしている姿を日々見ていると、何か出来ることはあるのではないかと思ってしまう。

 少し不甲斐ない気持ちでケーキを口に運んでいると、不意にお母様のダークモカの瞳が私に向いた。


「ドルチェ、ごめんなさいね」

「お母様、どうしたのですか?」


 まっすぐに私を見ているお母様の瞳は、同じ色。キラキラと活力に満ちて輝いている瞳が、今はどうしてか迷っているように見えた。


「来年、成人を迎えるあなたを、本当だったら王都に連れているつもりだったのよ。フェルヴェもロラントも、同じ年に王都を見たわ」


 お兄様たちに視線を向けると、戸惑った様子だったけれど頷いて返してくれた。そうか、家族中で王都の地を踏んだことがないのは、私だけということに引け目を感じているのだろうか。


「けれど、今の王都にあなたを連れていくことは難しいと思ったの。私と、ヴィーゴ様の判断だけで決めてしまったけれど」


 当主であるお父様と、ずっと支えているお母様の判断だったら、きっと正しい。お兄様たちは私を申し訳なさそうに見ているけれど、そんなに気にしなくても大丈夫だとは、ちょっと言いづらい。だって、確かにずるいなあと思う気持ちは浮かんでしまったのだから。


「少々羨ましいという気持ちがないとは言えませんが、私の事を考えてくださったのでしょう?

 王都に行きたいとは申しませんが、その代わりにたくさんお話を聞かせてくださいますか?」


 正直を言えば、行ってみたい。この国の中心、一番栄えている場所だ。物語に出てくるような華やかな街並みだって、見てみたい。

 けれど、お母様の話を聞いただけでも、王都では兵士たちを称えて戦いに人と武器を集めているのだと分かったのだから、そのタイミングで慣れない私を連れ出すわけにもいかなかったのだろう。

 辺境伯の娘という肩書は、それなりに利用価値がある。例え襲われたとて一人で切り抜けられるお兄様たちと違って、私がそのような状況に陥ったら無事に家に帰れるほどの力量があるとは思えないのだ。


「優しい子に、育ってくれて母は嬉しいわ。ドルチェ、自慢の娘よ」


 席を立って、ぎゅっと抱きしめてくれるお母様の温もりは久しぶりで、ふんわりと鼻をくすぐる香りに、なんだか安心して胸の奥からじんわりと気持ちがあふれてくる。少しだけ滲んだ目元を隠そうとしてお母様の肩に顔をうずめていたら、背後にそわそわとした気配を感じ取った。


「母上、俺たちはいかがですか?」

「もちろん、あなたたちも自慢よ。フェルヴェは強くなったわ。お父様と打ち合えるほどに。

 ロラントは周りをよく見れる視野を持っている。努力したのでしょう?」

「母上、ありがとうございます」


 やって来たのはお兄様たちで、私の肩に手を添えて、もう片方の手でお母様の手を取っている。私を抱きしめてくれていたお母様の温もりがすっと離れてしまったことに寂しさを覚えたけれど、その代わりとばかりに肩に置かれたお兄様たちの手から伝わってくるのも、温かさ。


「あらあら。大きな甘えっ子だこと。ねえ、ドルチェ。母のお願いを聞いてくれないかしら」

「もちろんですわ。何でしょうか」

「久しぶりに、あなたの歌を聞きたいわ。こんな星が綺麗な夜にぴったりの歌をお願いできる?」


 私達を微笑ましいではなく、羨ましいと思っているに違いないお父様からの視線を黙殺して、もう一度ぎゅっとお母様を抱きしめてからそっと離れる。

 いつの間にか、空にはたくさんの星が瞬いていた。穏やかな時間、温かい家族。そこに私がいることが嬉しくなって、思いを空へと届けるように口を開いた。


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