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41.君の歌を聞かせて

これにて完結です。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました!

「しばらく滞在なされるとのことでしたので、我が家の客間で一番広い部屋をご用意しておりますわ。

 前回よりも、過ごしやすいかと思います」

「それは、気を遣わせてしまったのではないだろか」

「そんなことはありません。部屋の指示はフェルヴェお兄様がしましたもの」


 王都からの視察としか聞いていなかった前回よりも、今回用意した部屋のほうが質は少しだけ落ちるけれど、広さは一番だ。というのも、どれだけの期間の滞在になるのかが分からなかったので、荷物の多さも分からなかったから。

 シェイド殿下がやってきたことで、使用人たちが胸をなでおろしていたのは、内緒にしておこう。滞在するだろう人に、何を言われるのか冷や冷やしながら準備を進めていたから。


「ヴィーゴ殿が、視察のために各地を巡っているとは聞いていたが。フェルヴェ殿も大変だろうな」

「あの兄ですから、私たちにそのような素振りは見せませんけれど。ですが、毎日体は動かしておりますから、ストレスは溜まっていないはずです」


 実際のところ、領地の経営にあまり難しいことはしていないはずだ。他の領地はどうだか分からないが、この地の住人は、自分の力で物事を解決しようとする傾向がある。それは、隣国であったニアマト王国との領地の奪い合いという名の演習をしていた時から。

 その時の経験があるからこそ、フェルヴェお兄様に十分な引継ぎもされないまま、お父様が不在でも成り立っているのだけれど。

 心配していたフェルヴェお兄様の心労も、今のところ兵たちと組み手をして体を動かすことで上手く発散できているようだし。


「……そのことで、少し相談があるのだが」

「はい、何でしょうか」


 何かを考えている素振りを見せていたシェイド殿下が、ふっと顔を上げた。フェルヴェお兄様のご負担を少しでも減らせるような考えが、シェイド殿下にはあるのだろうか。


「僕と、手合わせをしてもらえないだろうか」

「王都でも、兄たちが稽古をつけていたのでしたよね。おそらく断ることはしないでしょうが、確認させていただきますね」


 私の考えていたことと、シェイド殿下が口にした言葉は少し違ったけれど、体を動かせるような提案はありがたかった。兵たちも、だんだんとフェルヴェお兄様に付き合うことへの疲れが見え始めていたから。

 ロラントお兄様が上手く隊ごとの調整をしてくれているのに、フェルヴェお兄様の体力がそれを上回ってしまったのだ。


「いや、違うんだ。僕が手合わせをしたいのは、君だ。ドルチェ嬢」


 これもまた、予想外。けれど、私と手合わせしたいと聞いて思い当たることがひとつだけあった。それは、少し前の記憶。


「それは、いつか仰っていた私に勝ったら、の手合わせと思ってもよろしいのでしょうか」

「そのつもりだ。そのために、フェルヴェ殿にもロラント殿にも協力してもらったのだから」

「かしこまりました。それでは、着替えをしてから中庭でよろしいでしょうか」

「ああ。よろしく頼む」


 部屋に入っていくシェイド殿下を確認してから、私も自室へと向かう。近頃は兵たちと手合わせをすることが多かったから、常に動きやすい恰好はしている。けれど、シェイド殿下との手合わせだとしたらいろいろと準備が必要だろう。自分の準備は手早く済ませてから、タオルや水分の用意をして中庭へ向かう。

 どこから聞きつけたのか、すでにギャラリーが集まっていた。そのなかには、お兄様たちの姿もある。


「お兄様たちが、立ち合いなさるのですか?」

「シェイド殿下もそうだが、ドルチェの成長も確認したいからな」

「よろしくお願いいたします。シェイド殿下」

「あ、ああ。考えていたよりもギャラリーが多いが……全力を尽くそう。負けるつもりはないぞ、ドルチェ嬢」

「それはこちらも同じですわ、シェイド殿下」


 フェルヴェお兄様も、ロラントお兄様も立ち合いを譲るつもりはないらしい。その迫力に少しだけ、シェイド殿下がたじろいでいた。けれど、シェイド殿下もお兄様たちが立ち合いをすることに意義はないらしい。


「負けを認めたとき、もしくはこれ以上続行は不可能だと判断した場合のみ、我らが止める。双方、異論はないな?

 では、始め!」


 フェルヴェお兄様の合図とともに、私は思い切り踏み込んだ。初めてシェイド殿下と手合わせしたときだっただろうか、同じことをした。あの時は反応ができずにいたけれど、お兄様たちから手ほどきを受けた今だと、どう返してくるのか。それが知りたくて、あえて同じことをした。

 おそらく、シェイド殿下も予想していたのだろう。もしくは、私の動きを見て自分の手を変えられるだけの瞬発力を得たか。私の初手は、いとも簡単に防がれてしまった。


「さすがに、そう何度も同じ手は効かないぞ」

「ええ、そのようですわね!」


 競り合った剣から一瞬だけ力を抜き、わずかに勢いをつけてから袖口に仕込んだナイフを飛ばす。練習用に刃を潰してあるけれど、顔の近くをナイフが通るのは恐怖を生み出すはずだ。そう思っていたのに、シェイド殿下はわずかに顔をそらすだけでナイフを避けて見せた。ほんの少し見せた笑みには、まだ余裕があると伝えるのには十分だ。


「こちらも、予想済みでしたか」

「ドルチェ嬢だったら、この距離で外しはしないという確信もな!」

「あら、それは信頼いただいて嬉しいですわね」


 ガッと鈍い音を立てて、剣から振動が伝わってくる。相変わらず力では負けてしまうけれど、私だって王都から戻ってきてから遊んでいたわけではない。正面から力で押し込まれてしまった時の対処は、いろんな体格の人たちに相手をしてもらったのだから。

 フェルヴェお兄様とロラントお兄様に稽古をつけてもらっていたシェイド殿下だって、きっと知識としては知っているはず。けれど、実践の回数ならば私のほうが間違いなく上だから。負けられない。負けたく、ない。


「勝者、ドルチェ!」


 結果として、私はまだシェイド殿下に勝つことができた。けれど、今回は終わってすぐにシェイド殿下が倒れることもないし、しばらく経ってからとはいえ自分の足で歩くことができている。肩はかなり激しく上下に動いているけれど、ギャラリーからかけられた声に返事ができるだけの余力もあるようだ。


「さすがお嬢だな。シェイド殿下もかなり頑張っていたみたいだけど」

「ええ。お兄様たちが稽古をつけていらっしゃたのが良く分かる筋でした」


 本当に、悔しいくらい私の動きを知っている人が稽古をつけたのだと分かる剣捌きを見せてくれたものだ。私だって王都から戻ってきたフェルヴェお兄様に手ほどきを受けていたというのに。

 髪の毛は高い位置で結わいているのに汗で張り付いているし、砂が混じってざらついた感触になっている。どうにか息を整えているけれど、まだはあはあと荒い呼吸の音が響いている。しゃがみこんだ拍子に、額から滴っていた汗が顎を伝って地面に吸い込まれていった。


「ドルチェが膝をつくほどの手合わせなど、珍しいのではないか。シェイド殿下、良く鍛錬なされたのですね」

「フェルヴェ殿と、ロラント殿に……恥じない程度には、出来ただろうか」

「ええ。成果はとてもよく出ておりましたよ。この短い期間でよくぞそこまで身につけましたね」


 それから、私とシェイド殿下は湯あみをすることにした。手合わせを見たギャラリーが盛り上がって、そのまま兵たちでのトーナメントをしていたらしく、わあわあという歓声がいつまでも聞こえていた。


 夕食も済ませて、火照った体を冷やそうとバルコニーに出たら、そこには同じように寛ごうとしていたシェイド殿下がいた。


「失礼いたしました。どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」

「いや、その……ドルチェ嬢がよければ。少しだけ、話せないだろうか」


 夜になっても輝きを失わない紅が、私を見ている。いつの間にかくるくると感情を表すようになった瞳に、私は頷くだけ。

 長椅子に一人分のスペースを空けて座り、お互いに視線を空へと向ける。今日も、星がきれいに瞬いている。


「本当は、手合わせに勝ってから伝えたかったんだ。負けたままで告げるのは、格好悪いとずっと思っていた」


 いつかの約束。それは、シェイド殿下自らが私に勝った時に告げると言っていたこと。その言葉を聞くのが楽しみで、だけど少しだけ怖くもあって。だからこそ、私は王都から戻ってきたときに今以上に強くなろうと思った。

 負けなければ、その言葉の先を聞くことはないと思っていたから。


「けれど、自分のことをよく見せようとするのはやめようと決めた。だから、あの日の約束とも違えてしまうが、聞いてもらえるだろうか」


 何かを決意している紅の瞳は、真剣な色を宿している。これを見たのに、聞きたくありませんとは言えそうにない。

 きゅっと小さく手を握って、口を引き結ぶ。何を聞いても、令嬢として学んだ微笑みをもって返せるように、表情を作ってからシェイド殿下に向き合った。


「君が好きだ。ドルチェ嬢」

「好き、とは……」

「自分勝手な言い方をするのであれば、愛している。ずっと隣でこれから共に歩んでいきたい。そう思っている」


 嘘じゃ、ないだろうか。聞き間違いではないだろうか。そんな考えがぐるぐる頭の中を巡るのに、私の心は好きだという言葉に、愛しているという想いに舞い上がって早鐘を鳴らしている。

 ぶわりと、令嬢としての微笑みなんて所詮付け焼刃だとばかりに、顔に熱が集まっていくのが分かった。

 その言葉に素直に頷けるなら、どれほどに幸せなことだろうか。私も、お慕いしておりますと返せたのなら。それが出来ないことは、私が一番良く分かっているというのに。


「ですが、私はプレシフ家の長女として、しかるべき方の元へ……」

「もちろん、ドルチェ嬢がそう思って学んでいることを知っている。だから、どうだろうか。僕の元へ来るというのは?」

「私がシェイド殿下の元へ、ですか!?」


 なぜ、こんなにも予想外のことが次々と起こるのだろうか。思わず上げてしまった声に、シェイド殿下は頷いている。そして見えたのは、とても穏やかに、けれど嬉しそうに笑っている横顔。

 王家の色である紅を遮るものは、もうなにもない。


「いずれ正式な発表があるだろうが、僕は王位継承権を放棄する予定だ。兄上を支えたい意思に違いはないから、爵位は頂くだろうが、それなりだろう。あまり堅苦しい身分にはならないと思うから、悪い条件ではないと思うのだが」

「ええ、っと……その、あまりに突然なことで考えが追い付かないのですが」


 本当に、ちょっと待って欲しい。シェイド殿下が私を好いていてくれたことだけでも、まだ感情が追い付いていないというのに、さらに今後の身の振り方まで伝えられては、辺境伯といっても名ばかりである私には、どう答えていいものなのかが分からない。

 後ろのほうから何やら人のざわめきが聞こえたような気がしたけれど、それは一人で慌てふためいている私の空耳かもしれない。


「お申し出は、大変ありがたく思います。その、好きと仰っていただけることも……」

「返事は急がない。どうか、ドルチェ嬢の本音を聞かせて欲しい。そのためだったらいくらでも待つさ」


 年齢はひとつしか違わないはずなのに、ずいぶんと包容力のある態度を見せたシェイド殿下に、不貞腐れたくなった気持ちが少しだけ顔を出す。

 領地にいるときにも、王都で話した時にも、そのような態度をとることはなかったと思ったのに。

 これは、この余裕は一体どこからやってきたものなのか。


「シェイド殿下、印象がお変わりになりましたわ」

「自分のことをよく見せようと思うのをやめた、と言っただろう?」


 やはり余裕のある態度を崩さないシェイド殿下に、少しだけ困らせるつもりで、口を開いた。


「お兄様たちには、もうお話しされましたか?」

「まだ、何も聞いていませんよ」

「ロラントお兄様!?」


 なんともちょうどいいタイミングでやってきたロラントお兄様は、にこにこと笑顔だけれど、背中に吹雪が見える。


「俺の言ったとおりだっただろうが、ロラント」

「フェルヴェお兄様まで」


 どっかりと私とシェイド殿下の間に腰を下ろしたフェルヴェお兄様は、にんまりと笑っている。その様子を見たロラントお兄様は、私の肩を抱きながら、特大の溜息を吐いた。


「よろしいでしょう、ひとまずは婚約者候補とさせていただきます」

「貴殿らに認められるために、精一杯努力しよう。これからの末永い付き合いをお願いしたい。フェルヴェ殿。ロラント殿」


 立ち上がり、深く腰を折ったシェイド殿下の本気を見た私は、歓喜に湧き上がる感情のままに言葉を歌に乗せる。それは、どこまでも届けられるような優しく、美しい旋律だった。





「何を見ているんだ?」

「……あの日のことを、思い出しておりましたの」

「そうか、ならまたあの歌を聞かせてくれないか。ドルチェ」

「もちろんですわ、シェイド様」


それは、遠くない未来のお話。

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