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39.これから隣で

 呆れたような物言いだったけれど、穏やかな笑みを浮かべていたシェイド殿下。フェルヴェお兄様がすぐに近づいて、視察の時と何一つ変わらない接し方で迎え入れていた。


「すまない、予定していた時間よりも早かったものでな」

「そうですね。丁度いい頃合いになるよう、食事の準備を進めてはおりますが」


 変わらない、と思っていたのは私だけだったようだ。フェルヴェお兄様からはあまり感じないけれど、ロラントお兄様の言葉には明らかなトゲがある。

 いつもだったらそのようにあからさまな言葉選びをしないロラントお兄様に少し疑問は残ったけれど、来客がシェイド殿下であることに間違いなさそうだ。


「申し訳ありません、シェイド殿下。お客様をお待たせしてしまうなどこちらの不手際です」

「いや、客の扱いは不要と伝えたのはこちら……ドルチェ嬢?」


 私が王都に行った以来、見ていなかったその紅は、不思議そうにこちらを見ている。頭を下げた私が、中途半端なところで動きを止めてしまったからだろう。

 記憶力は、良い方だと思っている。国境に集った兵たちの名前と顔を一致させようと頑張った結果なのだけれど、おかげで人の気配まで一致させるのが得意になったから頑張ってよかったと思っている。

 その、私の記憶では。シェイド殿下に目線を向けるときの私の体の角度が、視察や王都の時とは違うと告げている。


「シェイド殿下、あの……不躾な質問をお許しいただけますでしょうか」

「答えられるものならば、答えよう」

「背丈が、お伸びになられましたか?」


 ビシッと動きを止めたのはシェイド殿下で、ロラントお兄様は思わず顔をそむけた。笑っている顔を、見られたくないのだろう。豪快に笑いだしたフェルヴェお兄様に、シェイド殿下の意識は向いているようだけれど。

 しばらくして、笑いを抑え込んだロラントお兄様が、目じりを拭いながら問いかけてきた。


「ドルチェ、どうしてそう思ったのかな」

「視察にいらっしゃったときにはわずかに視線を下げていたのですが、今はそうですね。お兄様たちと同じ感覚、と言えばいいのでしょうか」


 お兄様たちほどまで目線を上げなくても、シェイド殿下と目を合わせることは出来そうだけれど、今までの感覚よりは上を見ないとちゃんとに顔を見ることが出来ない。

 この短期間で背が伸びるだなんて、なんて羨ましいのだろう。


「だ、そうですよ。シェイド殿下。良かったじゃないですか」

「ロラントお兄様は理由をご存じなのですか」

「フェル兄さんも知っているはずだよ。そうですよね?」

「ああ、王都に残ったのは鍛錬を見るためでもあったからな」


 ロラントお兄様は当たり前だとばかりにフェルヴェお兄様に話を振って、これまた当然のような顔で頷かれてしまった。それにしても、王都に残ったのは何かを見極めるためだとか言っていなかっただろうか。シェイド殿下の鍛錬もそこに含まれていたのだとしたら、きっと上出来なのだと思う。


「あれから毎日続けている。フェルヴェ殿の監督がなくなって、きちんと出来ているのか不安だったのだが」

「結果は出ているのではないでしょうか。私達の予想よりも早くここにも着いたことですし」

「ロラント殿からもそう言ってもらえるのなら、安心したな」


 安心したように表情を緩めたシェイド殿下と同じように、穏やかな顔をしているロラントお兄様を見て、初めの会話にあったトゲはわざとだったのだと気が付いた。

 それから、私達は一緒に屋敷に帰る。お兄様たちとの道も楽しいけれど、久しぶりに会ったシェイド殿下を交えての会話に、沈黙が訪れることはなかった。



「さて、今回の来訪の件ですが」

「当初に伝えていた通りだ。陛下から、預かってきている」


 ロラントお兄様の言っていた通り、屋敷に着いて身支度を整えたらちょうど食事が出来たと案内があった。本当なら、この時間にシェイド殿下が到着していたらしいので、どうやら馬を操る技術は視察に来た時よりもかなり上達したようだ。

 すっと差し出された書類はフェルヴェお兄様がさらりと目を通したあと、ロラントお兄様に手渡される。フェルヴェお兄様の何倍もの時間をかけて書類を読み切ったロラントお兄様は、後ろに控えていたルターに書類を預けていた。


「ニアマト王国のランディ陛下も、この程度ならと了承をいただいている。つまりは、おおむね描いていた筋通りになったというわけだ」

「おおむね、ですか。どこか不備がありましたか」


 にっこりと笑っているはずなのに、声色は感情を感じさせないほどに冷たい。けれど、それはどこかシェイド殿下を焚きつけているようにも感じた。


「いや、少々取り巻き気取りのやつらが騒いでいたが、兄上……陛下が上手くかわしていた。ランディ陛下から書状をもらっていたことが大きいな」

「プレシフ家がニアマト王国と連絡を取っていた、と話が上がるのは想像通りでしたからね。それで、どう対応したのですか?」


 さっきから、初耳なことばかり。声を上げないようにして、話を折らないようにするためにひたすらに手を動かして食事を進めているけれど、何をどう食べたのかはあまり覚えていられない。

 涼しい顔をして私のように手を動かしているフェルヴェお兄様は、きっとこの話を前から知っていたのだろう。自分は必要な時だけ役割を果たせればいいと思っているから、この場をロラントお兄様に任せている。


「これについては、ランディ陛下の言葉に甘えさせてもらった。プレシフ家との演習をしていたのは事実だが、その装備を見てコーランド王国の内情を探っていたと。

 物資や人材の嘆願が王のもとに届いていたのは事実だからな。そして、それが長らく見なかったことにされていたことで、逆に王や取り巻きどもの信用を失う材料になったわけだが」


 何度も、王城に手紙を送った。お母様が社交シーズンに王都に向かうたびにいろんなものを買い集めてきてくれていた。その姿は、王都の貴族の方々からは嘲笑の的だったようだけれど。

 うちの兵たちにあまり良い装備を支給できずに、ニアマト王国から融通してもらっていたのも事実。けれどそうさせた原因は、国王陛下にあったとの証拠になったわけだ。


「父上と母上がプレシフ領を離れたのは、一応お詫びのために各地に出向くとなっていたはずだが」

「そうなのですか?」

「母上がドルチェに話をすると聞いていたのだが、その様子だと聞いていないな」

「何か私に黙っていることがあるとは感じておりましたけれど、そのような話はなにも……」


 黙っているつもりだったのに、思わず声を上げてしまった。私のそんな様子を見て、フェルヴェお兄様は痛いものをこらえるように頭を押さえている。ロラントお兄様も同じような仕草を見せているから、シェイド殿下が戸惑っている。

 ひとまず、シェイド殿下にはルターから飲み物ののお代わりを勧めてくれた。流れで私にも温かい紅茶を淹れてくれたので、一息つく。


「面白がっていたのか、父上との旅行が楽しみだったか。フェル兄さんはどちらだと思う?」

「旅行が楽しみだったのだろう。だからといって、ドルチェへの説明を忘れるような母上だとは思わんが」

「まあ、それは母上がお戻りになったら聞かせていただきましょうか。ここまでは想定内でしたが、他に問題になるようなことはありましたか」


 お詫び、と言いつつも気分的には旅行なのだろう。いわれてみたら確かにお母様は楽しそうに支度をしていたし、お父様も同じようなものだった。顔に出ないのに、兵たちへの鍛錬がいつもよりもかなり優しくなっていたから、逆に怖がられていたのだけれど。

 旅立つ前のお父様とお母様の様子を思い浮かべて、ロラントお兄様に頷いて返した。お母様らしからぬミスだけれど、あの調子だったら忘れ物の一つや二つ、するだろうなあと感じたので。


「国境を守っていたのも事実。だが、国に黙ってニアマト王国と連絡を取り合っていたのもまた事実」


 かたり、と小さな音を立ててカトラリーを置いたシェイド殿下に、私達も姿勢を正す。もちろん、何の咎めもないとは思っていない。

 国境を守っていたのだって、演習の側面が強かったのだから。奇襲があったり、どんな攻撃をするかの相談をしていたわけではないけれど、そんなものはプレシフ領以外から見たら言い訳にしかならない。


「なので、プレシフ領には見張りのための人員を派遣することとなった」

「なるほど。監視がいれば勝手なまねはできないと。その話のために、わざわざシェイド殿下がこんな端っこの領地までやって来たのですか?」


 確かに、妙だ。ロラントお兄様の言葉を借りるのであれば、この端っこの領地までわざわざ、馬を飛ばしてやって来たのは王族であるシェイド殿下。

 前に手紙のやり取りをしたことがあるのだから、今回だってその手を思いつかなかったはずがない。それは、グラディオン陛下だって同じはずだ。ならば、どうしてまたシェイド殿下がこの端で境目にある領地までやって来たのだろうか。


「……プレシフ領に滞在することになったのは、僕だ」


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