38.新たな道を
グラディオン殿下を見送り、そして王都までの帰りの護衛を果たしてから。
コーランド王国はゆるやかに、けれど確実に変わっていった。手始めに、武器や防具を作るために集めていた金属類を、王都の民たちに返還した。集めるだけ集めた調理器具に楽器、他にも案内用の標識などはそのままの形で、王城の倉庫に眠っていたそうだ。
ニアマト王国と戦うために、と集められたのに使われていなかったことが露呈したことも、グラディオン殿下、ではなかった。
王都に戻ってから正式な発表をされたグラディオン陛下の言葉を信じる方向へ上手く背中を押した。それを、狙っていたのだとは思うけれど、きっとグラディオン陛下は笑顔を見せるだけではっきりとした答えを出してはくれないだろう。
「ドルチェ、今大丈夫かな」
「はい、何でしょうかロラントお兄様」
王都で何かお仕事を任されていたフェルヴェお兄様と、ロラントお兄様もほどなくして領地に戻ってきた。怪我をしている様子もなく、見た目には何も変わっていなかったことに安心したのを覚えている。
けれど、それからフェルヴェお兄様がこれからプレシフ領を担うとお父様が発表した。と同時に、お母様と共に旅立ってしまったので実質、今の領主はフェルヴェお兄様だ。
お父様の近くで執務をこなしている姿を見ていたし、実際に携わっていたけれど自分が中心で動くというのは、全然違うのだと毎日ぼやいているフェルヴェお兄様。それを支えているのはもちろん、ロラントお兄様だ。
「フェル兄さんがどこかに行ってしまってね。探すのを、手伝ってもらえないかな」
「まあ、昨日も同じことを聞かれたような気がしますわ」
「息抜きなのは分かっているんだが、今日はそんな余裕がないんだ。来客があるとルターからも伝えてもらったはずなのに」
「それは急いで見つけなければなりませんね。お任せください」
「頼もしい妹だ」
いきなり、領主としてこの地を治めろだなんて、お父様の無茶が過ぎるのではないだろうか。フェルヴェお兄様は体で覚えるタイプだから、やらせてみたらいいとアドバイスしたのはお母様のようだけれど。私にだけこっそり届く手紙、それはお母様たちの居場所を教えてくれるだけでなく、私が領地の様子を伝えるために役立っている。気付いているだろうロラントお兄様が何も言ってこないし、フェルヴェお兄様にも伝えていないのは、お母様と同意見だからなのだろう。
お二人とも笑顔で厳しめの課題を出すけれど、その人がどこまでだったら出来るのかを理解しているから。
「フェルヴェお兄様、見つけましたわよ。今日は来客の予定がおありなのでしょう?」
「ドルチェか」
「……何を、見ていらっしゃるのですか」
そんな事を考えながらも、私の足はフェルヴェお兄様の気配を見失ったりしない。辿り着いたのは、屋敷の裏にある林。そのなかでも一番高い樹に登り、遠くを見つめているフェルヴェお兄様は私に気が付くとふっと表情を和らげた。
フェルヴェお兄様が見ている先にあるものが気になったので問いかけてみたら、おいでと手招きをされたのでスカートの裾を引っかけないようにゆっくりと登っていく。
「ここは、父上から教えてもらった場所なんだ。プレシフ領が良く見える」
そう言って穏やかに微笑んでいるフェルヴェお兄様と同じ方へ視線を向ける。一面に広がっているのは山と森、それから街の様子。屋敷から見える景色とは似ているけれど、それよりももっと広く見通せるこの場所は、私も知らなかった。
「この景色を守るために剣を取り、体を鍛えているのだと。幼かったころに見た景色と、父上の背中は忘れられない」
フェルヴェお兄様が時々、ふらりとこの裏にある林に姿を消していることは知っていた。居場所が分かっているならいいとお父様は笑っていたけれど、きっとこの樹に登らなければ見れない景色のなか、一人で考える時間を過ごしているのだと分かっていたのだ。
私は林の中で素振りや体を動かして、気分を切り替えているのだと思っていたけれど。この景色を内緒にしていたフェルヴェお兄様に、少しだけずるいという気持ちがわいてしまった。
「大変素晴らしい思い出ですがね、フェル兄さん。来客は待ってくれないんですよ」
「なんだロラント。もう少し浸らせてくれてもいいだろうに」
並んで座り、その景色を楽しんでいたらふっと意識の端っこに人の気配を感じた。それは、とても慣れ親しんだ気配。
フェルヴェお兄様も誰なのかすぐに分かったようで、目線を下げることなくその気配の主に声をかけた。ほんのわずか、ふてくされたような声色にふふと笑ってしまったことにフェルヴェお兄様は首を傾げ、ロラントお兄様から指摘もされなかった。
「そうやって時間を稼ごうとしても無駄です。さ、降りてきてください」
「全く、手厳しい弟だ」
「良い弟を持てて、幸せでしょうに」
「そうだな。おまけに歌もうまくて気遣いのできる妹もいるんだ。俺は、果報者だよ」
言っていることは厳しいのに、ロラントお兄様の表情は柔らかい。それを受けたフェルヴェお兄様も、しょうがないといった様子を隠そうとしないのは、ロラントお兄様の気持ちを理解しているからだろう。
いきなり、領主になったフェルヴェお兄様を、誰よりも心配しているのはロラントお兄様なのだから。
樹から降りて、スカートを汚していないか確かめていると、肩をぎゅっと抱かれた。温かなその感覚に身を預けていると、反対側にも同じように温もりがやってくる。
お兄様たちに挟まれた私が伸ばした手は、お二人の肩には届かなかったので、背中にそっと触れるだけになってしまったけれど。
「そうだドルチェ。一曲、歌ってくれないか」
「ですが、これからお客様が……」
「大丈夫だ。まだ約束まで時間はある。それに、お前の歌を聞いてからの方が穏やかに接することが出来るだろうし」
「そういう事でしたら、喜んで」
すうっと息を吸い込んで、思い切り声を出す。
グラディオン殿下が即位してから変わったことは、たくさんある。そのうちのひとつは、金属を集めるために禁止になっていた音楽を、再び楽しめるようになったこと。
王都で音楽が禁止されて職を失った方々は、新たな道を歩もうとしていた。それでも、他に立ち回れる器用な方ばかりではなかったので、まだ音楽の禁止や金属の献上があまり浸透していなかった地方へと向かい、そこでひっそりと生活をしていたそうだ。
グラディオン陛下が行ったのは、金属の献上で職を失った方々への補填。それは、音楽家だけでなく日常に欠かせない道具を作る職人へも等しく行われた。
フェルヴェお兄様が忙しくしているのは、急に領主となったからではない。コーランド王国とニアマト王国の関係が変わったことで、私達も今後の身の振り方を考えなければならないからだ。
今日の来客も、そこに関係しているのだとは聞いている。国境を守るために集まってくれた兵たち、今までの労に報いることが出来るように話を進めていくのが、プレシフ家の課題だ。
「来訪の知らせは、送ってあったと思ったのだが」
「シェイド殿下!?」
そうして迎えた客人は、良く見知った人物だった。




