37.後始末
「本当、なのですね?」
「ええ。その様子だと、ランディ陛下から聞きましたね。さっきの変な雰囲気はそれが原因かな」
「ええ、まあ」
その雰囲気を作ったランディ陛下は、素知らぬ顔でお菓子を摘まんでいる。突然の来訪で用意が出来なかったのも分かる。けれど、今ランディ陛下が口に運ぼうとしているのは私が手慰みで作ったクッキーだ。それも、近所の子供たちの不安を紛らわせるために一緒に作ったもの。
不格好なクッキーを見て、何か思ったのだろうか。ランディ陛下がふふっと小さく口元を緩ませているけれど、私は内心ヒヤヒヤしている。お母様は私が作ったものだと分かっているはずなのに、止めるそぶりもないし。毒とかそのあたりを心配しなくて済む分、手間が省けるとか考えていそうだ。
そんなことを考えていたからか、グラディオン殿下への返答がやや歯切れの悪いものになってしまった。けれど、グラディオン殿下は私の考えているものと違う意味で取ったようだ。
「不安にさせてしまったね。けれど、この国の民たちに何か不利益があるような事にはならないよ。
そうですよね、ランディ陛下」
「もちろんだ。長年中断していたリカート殿との話を進めるんだからな。多少、あの頃思い描いていたものとは違った形になってしまったが」
「それは、父の行いが招いた結果です。祖父との約束を覚えていてくださったこと、感謝いたします」
あの頃、というのは前にお父様から聞いた、この国をより良くしようと前王陛下が動いていた時の事だろう。
ランディ陛下は留学生としてだけれど父と同じ学園に通っていた。ならば、きっと年代は同じ。日の下にいることが多い父の方が歳を重ねたようにも見えるけれど。
父と比べるようにちらりとランディ陛下に視線を巡らせれば、私が何を考えているのか分かったかのように袖元をぐいと捲ってくれた。その肌は父よりも母に近い色合いだったが、腕に残る傷は父と負けていないように見える。にんまりと笑って袖を戻すランディ陛下の態度は、王というよりも遠縁のおじ様のように感じてしまう。その態度があるから、あまり年齢を感じさせないのだろう。
「リカート、私達が前王陛下と呼ぶ友人は、ニアマト王国と同盟を組もうとしていた。それは、志半ばで潰えてしまったが」
「ですが、ランディ陛下とプレシフ家が繋いでくれた。きっと祖父も喜んでいます」
お父様の言葉に、グラディオン殿下は嬉しそうに頷いた。自分の父の事を国王陛下と呼んでいたグラディオン殿下が、前王陛下の事を祖父と言っている。直接触れ合った時間は短かったはずなのに、距離は近かったのだろう。
そこまで考えてから、はっとした。ニアマト王国に攻め入って領土を拡げられれば前王陛下を超えられると思っていた、国王陛下は今回の事を認めているのだろうか。ランディ陛下とグラディオン殿下が共にいるということが、答えのような気もするけれど。
「経緯は、理解いたしましたわ。ですが、それは国王陛下がご納得されているのでしょうか」
「納得しましたよ。そして、了承もしています」
あれほどニアマト王国に、戴く王冠に執着していた国王陛下。いったいどのようにして納得させたのだろうか。
穏やかに笑うグラディオン殿下は、これ以上ないと思っていた驚愕の発言をいとも簡単に覆してくれた。
「今、コーランド王国の王は僕ですから」
「え!?」
思わず声を上げてしまった私を、咎める声はなかった。それどころか、いたずらが成功した子供のようにランディ陛下が笑いだす。
属国になるということだって予想外だったのに、王の代替わりまであるだなんて。国の中心である王都に攻め入られたのだから間違いなく被害があるとは考えていたけれど、これは私が想像できる範囲をはるかに超えている。
鈍く痛む頭を押さえていると、説明しても良いかとグラディオン殿下の控えめな声が聞こえた。もちろん、こちらからお願いしてでも説明していただきたい事だ。
私の退席を促していたお母様は、難しい顔をしているけれど。
「属国になるのだから、王は立てずに良いとは言ったのですが。指揮するものがランディ陛下だけでは、大変だと押し切られてしまいまして。
なにせ、馬で三日以上かけて辿り着かなければなりませんから。その間に状況も変わってしまうでしょうし」
「今はコーランド王国を従える形になるけど、いずれは再独立するって手もあるんだ。王がいるという体制は崩さない方がいい。
なにより、その距離を定期的に移動する俺が大変だろうに」
どちらの意見にも頷けるのに、いささか個人的な感情が漏れているのはランディ陛下。確かに、プレシフ領から王都まで馬で三日、そこからニアマト王国の王都までだってかかる。その距離を移動して指示をしてまた戻って、となるとあまりにも負担が大きい。手紙だとしても、現場の状況を見ないと出せない指示だってあるだろう。
その部分には、納得できた。けれど、一番聞きたかったのはそこではない。
「あの、そうではなくて……」
「ああ。国王陛下は勇敢にもニアマト王国の兵たちと一戦交え、深手を負った。王としての責務を果たせなくなったので、勇退した」
穏やかに笑っていたグラディオン殿下の表情が変わった。凪いだ紅い瞳は、いっそ冷たささえ感じるのに何の感情も読み取れない。
「これが、民たちに流す情報だ。ドルチェ嬢、君の兄たちを借りているのはこれを本当にするため」
「では、真実は違うのですね」
「話せるわけないだろう? ニアマト王国が王都に攻め入ったという情報を聞いてすぐに、我が身可愛さに逃げようとして足を滑らせたなどと」
お兄様たちを王都に残したのは、見極めだと言っていた。それは、作り上げた真実を正しく広められるかを見ているのだろう。ロラントお兄様はその分野を得意としているけれど、フェルヴェお兄様は曲がったものを真っ直ぐだと自分で飲み込めなければ積極的には動かない。
けれど、今回はその心配はないだろう。なにせ、真っ先に逃げ出すなんてうちの兵たちを統括しているフェルヴェお兄様が一番嫌うだろう行為を、国王陛下が犯してしまっているのだから。
「周りにいた貴族たちも、俺たちの兵が捕らえているさ。誰もかれも保身の言葉しか吐かないけどな」
吐き捨てるようなランディ陛下の顔にも、厳しい色がある。同じく国を戴く者として、思うことがあるのだろう。さすがに私も、国王陛下に流される気持ちは浮かんでこない。これでは、何も知らずにニアマト王国に立ち向かった兵たちや、国のためにと苦しい生活を受け入れた民たちに合わせる顔はないだろう。そんなことも思いつかないだろうから、真っ先に逃げ出したのだとは思うけれど。
「だから、残念なことに生きてるよ。これから二度と王城に足を踏み入れることはないけれど」
逃げ出した国王陛下、捕らえたのはグラディオン殿下だったそうだ。第一王子として一番長くその姿を見ていたから、行動を予測するのはあまりにも簡単だったと。
事前に王城にいくつかある隠れ通路を一時的に使えなくして、逃げ道は塞いでいたらしい。
「ずっと熱望していたニアマト王国の領地、そこに幽閉してもよいとランディ陛下が仰ってくれてね」
「万が一、って事もあるからな。まあ、あの周りにいた貴族たちにそこまでの気概がある奴もいないだろうが」
実際の傷は焦って階段から転げ落ち、足の骨を折った程度だそうだ。それでも、痛みに呻いてもうその場から逃げ出す気力も失っていたと。だからこそ、ランディ陛下が王城に着いた頃には全てが終わっていたらしい。
そうして、国王陛下はニアマト王国の兵たちが連れて行った。行先は、治療を受けるための場所ではない。
「ずっと攻めて来ていた山脈だからな。きっと涙を流して喜ぶだろうさ」
誰にも見舞われることなく、これから先の生で見るのは、険しい山脈ばかり。そう思うと悲しいとは思うけれど、同情の言葉を口にしてはならない。
隣国に攻め入って、行く先を誤った王にしてはずいぶんと寛大な最後なのだから。
「ニアマト王国で書類に署名を入れてくるんだ。帰りの護衛をお願いすることになるから、よろしくね」
「うちで署名するまでは、まだ殿下だからな。戻ってきたら、陛下って呼んでやってくれ」
従える王と、属する王。関係だけを見れば険悪な雰囲気だっておかしくはないはずなのに、ランディ陛下とグラディオン殿下の間には、そういった空気はない。
手紙を通じてやり取りしていたというだけあり、お互いの事を多少なりとも知っているというのはあるにしても、だ。まるで息子を見るような扱いをするランディ陛下とそれを受け入れているグラディオン殿下。この関係性が変わらなければ、属国になったとしても私達はきっと大丈夫だろう。そう思ってしまう。
これから、間違いなく忙しくなる。それなのに、グラディオン殿下の顔は前に来た時よりも生き生きとしていた。
本年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
来る年がより良きものとなりますように。




