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34.終わりの始まり

「そろそろ、準備をしないといけない時間ね」


 手紙は昨日書き終えて、彼に預けた。最近はプレシフ領で少しばかり長く休憩を取っていることをシェイド殿下だけではなく、グラディオン殿下からもちくちくと小言を頂いているらしい。

 お返事を求められているのは嬉しいけれど、そんなに急かさないであげて欲しいと伝えたことのある私としては、彼を含めてこの手紙の運搬に携わっている人たちがあまり怒られないことを願うばかりだ。

 そんな日課となった手紙を書くということも、今日はない。王都に行ったときにフェルヴェお兄様が約束して下さった稽古のために、準備をしようと席を立ったと同時にノックが響いた。


「ドルチェ、今日の稽古は中止だ」

「フェルヴェお兄様」


 入室の声をかける前に部屋に入ってきたのは、焦っているという様子を隠そうともしていないフェルヴェお兄様。珍しいと思うよりも早く、何かあったのではと胸の奥がざわついた。

 フェルヴェお兄様は感情が表に出やすいと思われがちだけれど、実際のところはあまり顔に出すことはない。そんなお兄様の焦った顔を見て、私が感じたのは間違いではなかったのだと、次の言葉で知ることになる。


「王都に、ニアマトの軍が攻め入っているそうだ」


 思わず、視線を窓の外に向けてしまった。けれど、そこにはいつもと変わらない風景がある。歌うことはしていないけれど、夜に星を眺めるのも好きなのでよく外を見ている。ここ最近は毎日だ。

 だから、ニアマト王国の兵たちが通ったのだったら、私は確実に気付ける。それがなかった、ということは。


「この地を通っていないのに、どうして」

「王都の国王陛下が指揮している兵たちが使っている道を、通ったらしい。おかげで王都は混乱していると」

「俺とフェル兄さんも今から応援に行ってくる。ドルチェには、母上と一緒に民たちが戸惑わないようにここの指揮を頼みたい」


 前王陛下よりも自分の評価を高めたいという一心で、ニアマト王国へ侵攻という名のちょっかいを仕掛けていた国王陛下。王都の民はそんな国王陛下のことを讃えていて、武器や防具のために金属を集めると発表すると、何の抵抗もなく差し出したと聞いた。兵士たちを集めて王都を練り歩き、子供でもニアマト王国と戦う兵たちに憧れているという話を聞いたのは、前の社交シーズンで王都に滞在していたお母様から。

 それでも、私が見聞きしてきた王都の民たちは皆、生き生きと暮らしていた。関わった期間はあまりに短いし、触れ合った人だって数えられるほどでしかない。けれど、いつもと変わらないはずの毎日が壊れてしまうのかと思うと、胸がギュッと締め付けられる。


「あの、王都の住人たちは無事……なのでしょうか」

「安心なさい。あのお方はむやみに民を虐げる方ではありません」


 自分の領地に暮らす民たちより、最初に王都の事を心配するのは辺境伯の娘としては間違っているだろう。だけど、どうしてもそれを聞いておきたかった。

 プレシフ領で報告を聞いたお兄様たちだってそこまで詳しくないと分かっていながら、口にした質問。答えをくれたのは、ネイビーの髪をひとつにまとめて動きやすい乗馬服に身を包んだお母様だった。


「お母様」

「母上、では俺たちも」


 その姿のお母様を確認すると、ロラントお兄様はフェルヴェお兄様の方を見た。フェルヴェお兄様も、その視線の意味を分かっているようで小さく頷くだけで返している。

 この場で、話についていけないのは私だけ。


「ええ。ヴィーゴ様はすでに単独で向かっています。ニアマト王国の兵に限ってないとは思いますが、この国の民を危険に晒すようだったら、お前たちが守るのですよ」

「心得ています」

「ロラント、行くぞ」

「わかりました。母上、ドルチェ、よろしくお願いいたします」


 短いやり取りだけなのは、時間が惜しいと言っているようなものだ。ロラントお兄様によろしくと言われたけれど、お母様と一緒にとはいえ、私がここで指揮を執るだなんて出来るのだろうか。


「お母様、お父様とお兄様たちは」

「大丈夫よ。あなたの父と兄を信じなさい。私達にはやることがあるでしょう?」


 乗馬服は見慣れているはずなのに、いつもと違う雰囲気のお母様に少しだけ緊張していたけれど、いつもと変わらない笑顔を向けられたことですうっと肩から力が抜けたのが分かった。

 ニアマト王国の陛下と懇意であるお母様が落ち着いているのだ、王都に攻め入ったのはそれなりの理由があるはずだし、それはきっとより良い方向を目指すためなのだろう。

 そう考えられるのは、ニアマト王国の兵たちと長く接してきたから。けれど、それは私の立場あってこその考え方だ。この地の民たちは皆、ニアマト王国に対しての理解があるけれど、それでも王都を攻めているという一報は衝撃を受けるはずだ。


「そう、ですね。断片を知る私たちよりも、何も知らない民の不安は大きいですよね」

「すぐにそこに思い至れるのであれば、やることは分かっていますね」

「まずは、民たちの安全を。それから、ニアマト王国の方に事情をお聞きできればいいのですが」


 にっこりと、大輪の花のような笑顔を向けてくれたお母様に、私の考えが間違ってはいなかったと安心した。けれど、これで終わりではない。考えたのだったら、次はどうしたらいいのか方法を選ばなくてはならないのだから。

 ニアマト王国の誰かに話を聞くのは、すぐには難しいだろう。国境沿いにある砦には誰かしらいるだろうけれど、そこに移動するのはこの地の不安を少しでも取り除いてからだ。


「こういう時はね、みんなで顔を合わせておいしいものを食べるのが一番よ。厨房に行きましょう。コック長が準備をしてくれているわ」

「分かりました!」


 お母様の準備と指示は的確だった。すでに下準備を済ませていたコック長に、使用人たちも心得た様子で待機している。それから、屋敷に近い住人達には広場に集まるように案内をして、皆でひとつのお鍋からのスープを飲んでいる。

 私が手伝えたのは、スープを手渡すことだけだ。それでも、こちらが頭を下げたくなるくらい口々にお礼を伝えてくれる。

 集まった住人たちはそれぞれに情報を交換しているようだ。ざわめきのなかでも、安心したような声や笑い声が聞こえてきて、そこまで緊迫した状況でないことに、安心してふう、と思わず声が漏れた。


「ドルチェ、ほらごらんなさい」


 お母様に言われた先に視線を向けると、住人たちは声だけではなく表情も柔らかいことに気が付いた。

 スープを手渡した時には不安そうな顔をしていた住人も、人の輪の中で笑い声をあげている。


「あなたはあなたに出来ることをやっているの。ヴィーゴ様も、私も、フェルヴェにロラントだって、出来ることはみんな違う」

「でも、お母様。私はただスープを渡しただけで……」

「渡しただけじゃないわ。ちゃんとに声をかけていたのを、お母様は聞いているもの」


 ふふ、と優しく微笑んでくれたお母様の顔を見て、じわりと目頭が熱くなる。ぎゅっと目を閉じてやり過ごそうとしたのに、止まってはくれなくて。


「あらあら。スープの熱気がしみたかしら」

「……そうみたい、です」


 鼻声なことも、ぐすぐすと鼻をすする音だって聞こえていないはずはないのに、私を隠すように前に立ってくれたお母様。何もできない私では、なかった。プレシフ家の長女として、きちんと役に発つことが出来た。

 小さなことでも、きちんと見ていて評価してくれる人がいる。そんな些細なことでも、私の心はふわりと軽くなる。


「……お母様、私あの輪の中で説明をしてきます」

「そうね、それじゃあお願いできるかしら。これも持って行って皆で食べてきなさい」

「はい、行ってきます!」


 シェイド殿下からの手紙には、私は強いのだと書いてあった。

 私は、強くはない。こんな時に、力不足が情けなくて泣いてしまう勝手な私だ。

 けれど、強くありたいと思っている。それは、いつも思っていた事だったけれど、改めて感じたことだ。

 サンドイッチ片手に飛び込んだ私の事を、笑って迎えてくれた住人たちのように。




出来ないと嘆く私は、今日で終わり。

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