30.建前と本音と
部屋を出ていくグラディオン殿下の見送りがてら、つまみを頼みに行くというフェルヴェお兄様は、普段と変わらない様子だった。この人がこの場に残るというのだから、何か聞かれたくない話でもするのかと思っていたのに。
そんな気持ちで彼の顔を見つめたからだろうか、私の視線に気づくとハッとした表情を見せた。
「フェルヴェ様、手伝ってきますね!」
「ちょっと、あなたはシェイド殿下の護衛じゃなかったの?」
「お嬢がいるなら大丈夫ですって。信頼してますから!」
「あ、待ちなさい! もう、都合のいいことばかり言うのだから……」
さっきまで動かない様子を見せていたのは何だったのか。にっこり笑ったかと思ったら早口で言いたいことだけ言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。
つい、いつも領地でやっているかのようなやり取りをしてしまったけれど、ここにはシェイド殿下もいる。ちらりと肩越しに様子を窺えば、ぽかんとしているシェイド殿下。
ふう、と息を吐けば思ったよりも大きく響いてしまったようで、シェイド殿下がわずかに肩を震わせた。そのまま先ほどまで座っていた場所に戻ると、どちらともなく互いの顔を見た。
「あの」
「ドルチェ嬢」
声を上げたのは、ほぼ同時。これまたお互いに気まずそうに相手の出方を窺っていたけれど、このままではずっと話すタイミングを見つけるだけに時間を使ってしまいそうだ。
「……シェイド殿下から、どうぞ」
「だが、ドルチェ嬢のほうが少し早かったと思うのだが」
本当にわずかな差だったけれど、確かに私の方が少しだけ早かった。シェイド殿下の言葉に甘えて、私が話しを始めても良かった。けれど、私が王都に来た目的は、私の気持ちをシェイド殿下に聞いてもらうことが最優先ではない。一番は、どうしてあの日黙って王都に戻ったのかを聞くためだ。
「ほとんど変わりありませんわ。それに、兄が戻ってきたら話しづらいこともあるでしょうから。
私の話は、兄や彼に聞かれても困ることではありませんもの」
シェイド殿下が何も言わずに帰ってから、私の調子が悪かったことは家族はもちろん、彼だって知っているのだから。知らなかったとはいえ、ついこの間彼に相談したばかり。
「そうか、なら言葉に甘えよう。
その、ドルチェ嬢はどうして王都に?」
「フェルヴェお兄様が、お父様からお預かりした書類を届けるのに、同席したのです。私はまた一度も王都を見ていないから、と」
当たり障りのない質問。本当に聞きたいことはそうではないのだろう。けれど、それを察したからといって質問に答えないという選択はない。存外自分も心が狭いな、と思いかけて気付いた。
そうか、私は……シェイド殿下に怒っていたのかもしれない。
「そうか……あ、いや王都は、どう見えた?」
「大変すばらしいところだと思いましたわ。街の並びは美しいですし、お店に並ぶ品物も初めて見るデザインばかりでしたもの」
私の答えに少しだけ残念そうに呟いたシェイド殿下は、慌てて会話を切り替えた。どう見えたという質問は、いささか卑怯ではないかとも思ったけれど。
王都という街に対してなのか、人々の暮らしぶりについてなのか、それとも雰囲気か。どれを答えても正解で、けれどシェイド殿下が求めているものではないだろう。
初めて王都に来た辺境の令嬢、であればきっとこの目に映る全てが新しく、また心を躍らせるものなのだろう。だって、私がそうなのだから。
「どうかしましたか?」
「いや、本当に楽しんでいたんだと思っただけだ。ドルチェ嬢は、嘘を言わないからな」
「私だって、必要ならば嘘も口にしますわ。国境を預かる、プレシフ家の長女ですもの」
さっきまでの緊張していた様子から、小さく笑みを漏らすまでに解れた雰囲気。私もそれに合わせて笑みを浮かべる。
別にシェイド殿下のことを嫌っているわけではないのだ。嫌っていたら、わざわざお父様やフェルヴェお兄様の手を煩わせてまで王都に来ない。
プレシフ家の長女として、しかるべき時にしかるべき家柄へと嫁ぐ。それまでの間に現れた同年代の男性。それがたまたまシェイド殿下だったというだけで、ここまで気にかけるものなのかとは少しだけ、ほんの少しだけ思ったけれど。
「ですが、住民の方々はそのように楽しんでおられるご様子ではありませんでしたわ。おそらく、ここに来るまでの噂が色濃く影響しているのでしょう」
「そう、だな。兄上があのようなお考えを持っていたとは、知らなかった」
あの様子だと、グラディオン殿下はシェイド殿下だけではない。他の弟殿下にもご自身の考えを告げてはいないだろう。私には、それを事前に知ってしまったことで降りかかる不利益から守っているようにも見えるのだけれど。
そうとは思っていないだろうシェイド殿下は、苦しそうな表情を見せている。私もお兄様がいるからそう思うのだろうけれど、自分の知らないところで話が動いているというのは、そしてその話に加われない自分というのは、なんとも悔しかったり情けなかったりするものだ。
私はその気持ちを昇華するためにシェイド殿下の護衛、という初の仕事に力を注いだけれど、シェイド殿下の立場では、まだ何かをできるというところはないだろう。
「シェイド殿下。私、実は王都に来た理由はもう一つありますの」
「それは、聞いてもいいものなのか?」
そろそろ、フェルヴェお兄様が戻ってきそうな気がするし、私がシェイド殿下が聞きたいことに気付いて話をそちらに向けようとしていることも分かっただろう。
そして、私は自分がシェイド殿下に対して何も言わずに王都へ戻ったことに怒っていると、理解することが出来た。
話をするにはいい頃合いのはずだ。
「もちろんですわ。シェイド殿下はご存じありませんでしょうか。我が領に視察に来て何も言わずに帰った方の事を」
ロラントお兄様を真似て、笑顔で息継ぎをしないで思いのたけを告げてみたのだけれど。ロラントお兄様がこのように話した相手の方は、いつもぺらぺら話し始めるものだからそういう効果があるのだと思っていたのだけれど。
シェイド殿下は、私を見たまま動かない。口は何か言葉を探すようにパクパクしているけれど、結局それは音にならないままで消えていく。
「ドルチェ嬢」
「なんでしょうか、シェイド殿下」
ここで即座に答えを返されていたら、それはそれでショックだったのかもしれない。言葉を探すということは、つまりあの日の行為についてシェイド殿下も思うことはあったのだと思いたい。
「怒って、いるのか?」
自分でもようやく言語化出来た感情を、シェイド殿下がさらっと口にしたことに驚いて、今度は私が言葉を継げなくなってしまった。
その沈黙を怒っていることへの肯定と取ったのか、シェイド殿下は座ったままでがばりと勢い良く頭を下げた。
「申し訳なかった。何も言わなかったのは、かなり個人的な感情からだったんだ」
「……申し訳ないと思っていただけていたのであれば、十分です。王族の方にこのような感情をぶつける事こそ、間違っていますもの。謝らなければならないのは、私ですわ」
フェルヴェお兄様も、彼も。いなくて良かった。二人とも視察の時のシェイド殿下を見ているし、私の事も知っているから可能性としては半々だけれど。
王族に頭を下げさせてしまったなんて、どんな理由であれたかだか辺境伯の娘が許される事ではない。
ほっと安堵して胸をなでおろしていると、私の怒りが解けたのだと思ったシェイド殿下も同様に体から力を抜いていた。




