29.王子として、兄として
「表舞台から、去るというのは……」
「そのままの意味だよ。あまり直接的な表現をするのもどうかと思ってね。まあ、あんまりぼかして間違った伝わり方をするのも僕の意図するところではない。
国王陛下には、王位から退いてもらう」
言い回しが直球かどうか、ではない。第一王子であるグラディオン殿下が、そういう意味の発言をしたという行為について驚いて、思わず呆然と呟いてしまった。
けれど、グラディオン殿下は私のその呟きをどう受け取ったのか、改めてはっきりと宣言された。
「退いてもらう、だと?」
「その通りだよフェル。末端が枯れた草木なら切り落とせば再生するけど、大本が腐っていたら切り落とすしかないだろう?」
その例え方は話に明るくない私でも分かりやすかった。栄養が足りていなかったり、水を上げすぎていたりといろいろ原因はあるけれど、間引きをして枯れたところは切っていかなければ、草木が元気に育つことはない。
そして、根っこが腐ってしまったらどう手を尽くしても、再生することはほとんどないのだ。見た目が元気でも、他から栄養を取れなくなったらあとは枯れる時を待つだけ。
グラディオン殿下は、この国がそんな状況なのだ、と言いたいのだろう。
「僕は王族だ。それは、こういう判断が出来なくてはならない立場だということだ」
この部屋を訪ねて来た時と変わらない笑みで告げられる、その名が背負う重さ。あまりにもさらりと、世間話のような気軽さで話すグラディオン殿下に、フェルヴェお兄様はむすっとした表情を隠そうとしない。
それきり、誰も話そうとしない。重い空気の沈黙を破ったのは、ぐっとこぶしを握ったシェイド殿下だった。
「兄上は、いつからお考えだったのですか」
「さて、いつからだろうね」
笑みを崩さないグラディオン殿下は、シェイド殿下の質問にも答えをはぐらかす。俯いたシェイド殿下の前髪の隙間から見えたのは、泣きそうにも何かを諦めたかのようにも取れる表情。ぐっと握っていたこぶしは、力なく膝の上に戻っていた。
そんなグラディオン殿下の態度に思うところがあったのか、フェルヴェお兄様が視線を向けた。
「グラディオン、お前はそれでいいのか」
「弟たちに背負わせるには重すぎるだろう。なに、父上だって祖父に同じようなことをしたのだから、自分の身に降りかからないとは限らないさ」
「前王陛下の病は、」
「ストップ」
良かった、グラディオン殿下はシェイド殿下の事を嫌って質問に答えなかったのではなかった。そう私が安堵している間に続いていた会話、その言葉を聞いてハッと顔を上げる。
グラディオン殿下は、笑みを消していた。無表情のようだけれど、フェルヴェお兄様を見つめる紅い瞳にはそれ以上の言葉を許さない強さがあった。
ぎくりと体を揺らした私と、ゆっくりと顔を上げて固まったシェイド殿下を見て、グラディオン殿下がふっと表情を緩める。
「それ以上を口にしてはいけないよ、フェル。沈黙を貫くことを選ばなくてはならない時だってあるのだから」
なぜかは分からない。けれど、グラディオン殿下のその言葉の意味するところはおそらく、私達のお父様に関係している。
そう感じたら深く考えることもしないままに、思いが口をついてしまった。
「それは、私達の父を言っているのでしょうか」
言わなければ、良かったかもしれない。直後にそう思ったのは、フェルヴェお兄様が苦しそうに口を引き結んでいたから。ロラントお兄様は、国王陛下が代替わりした時にはまだ小さかったのであまり覚えていないと仰っていたけれど、フェルヴェお兄様は覚えているのだろう。
お父様と、仲の良かったという前王陛下の事を。
「フェル、妹姫は聡明だね」
「いえ、私はフェルヴェお兄様ほどにグラディオン殿下のことを知らぬだけでございます。親しい者が王冠に身を捧げると聞かされた苦悩を、ご理解してはいただけないでしょうか」
皮肉だったのかもしれない。けれど、口から出てしまった言葉を取り消すことなんて、不可能だ。だから、私はそう思った理由を続けさせてもらった。
グラディオン殿下を、シェイド殿下の腹違いの兄でありフェルヴェお兄様と友人であること、そしてこの国の第一王子殿下だとしか知らない私。
苦しそうな顔をしているフェルヴェお兄様とも、兄が覚悟を決めたことを知らなかったシェイド殿下とも、接する距離が違う。グラディオン殿下のお言葉に衝撃を受けたのは、国王陛下に退位してもらう手段がおそらく穏便ではないと分かったから。
グラディオン殿下が、王太子を飛ばして国王になるとだけ聞いたのだったら、ここまで驚くことはなかっただろう。
「フェルに、シェイドもか。なるほど」
名前を呼びながら、グラディオン殿下は視線をその人の方へと向ける。フェルヴェお兄様はしっかりと視線を合わせていたけれど、シェイド殿下はさっと顔を背けていた。その仕草を見てグラディオン殿下は笑っていたから、照れ隠しなのは気付かれているみたいだけれど。
そういえば、領地にいるときにもそのように顔を背ける仕草を見せていたな、とこんな時なのに懐かしく思ってしまう。
「だが、僕は君への評価を変えようとは思わないよ。ドルチェ嬢」
「過分な評価を、ありがとうございます」
これ以上何かを言われる前に、笑顔で頷いておいた。
「さて、僕まで長居しては君たちが疑われる隙を作ってしまうからね」
それから、雑談のようなちょっとした時間を置いてから、すっとグラディオン殿下が立ち上がった。ここに来たのはお忍びだろうけれど、私達が泊まっているというのは調べればすぐに分かってしまう。
フェルヴェお兄様と友人だという関係があっても、これ以上ここにいるのは何かを計画の口裏でも合わせるつもりだったのかと言われてしまったら、否定するだけの理由がない。
「なら、俺も」
「シェイドはもう少しここにいたらいいよ。視察ぶりに会ったんだ。話したいこともあるだろう」
一緒に立ち上がったシェイド殿下を椅子に戻るように促して、グラディオン殿下は体の凝りを解すようにぐぐっと伸びをした。
今までとは違った砕けた態度に、少しだけ目を丸くしてしまうけれど、こちらの方が親しみやすい雰囲気を感じる。きっと、グラディオン殿下も先ほどまでの時間では少なからず気を張っていたのだろう。
「なら、俺は宿主に何かつまみを頼んで来よう。お前は、どうするんだ?」
「俺はグラディオン殿下の護衛なんですけど」
扉の前にずっと立っていた彼も、グラディオン殿下が帰る準備を見せたことで動き出す。どうすると聞かれたところで、グラディオン殿下の護衛なのだからそのまま、王城まで共にするのではないのだろうか。
ところが、返ってきたのは想像通りの答えではなかった。
「他のを僕につけるから、シェイドと一緒に帰っておいで。
冷遇している第四王子には、護衛一人つけただけでも十分だからね」
「ああ、そういう姿勢でいくんですね。了解しました」
何かに納得したような彼と、それが通じたことでシェイド殿下を置いて帰ろうとするグラディオン殿下。二人ではわかり合っていても、それがシェイド殿下には伝わっていないのに。
「兄上、俺に護衛は不要です!」
「シェイドが大丈夫なのは分かっているよ。これは、兄のわがままだ。受け取ってもらえるね?」
時折シェイド殿下に見え隠れする、自分なんかという卑下する言葉や態度。視察から帰るときには随分と変化が見えていたのに、ここに来て当初に戻ってしまったようにも見えた。
けれどグラディオン殿下の言葉を聞いたシェイド殿下は、拒否することもなく顔を瞳と同じ紅に染めた。
「その言い方は、ずるいと思います」
「ふふ。誉め言葉と取っておくよ。それじゃあ、邪魔したね」
真っ赤になっているシェイド殿下はどこからどう見ても、兄の言葉に照れている弟だ。その姿を見て、大切にされていないなどとは思わない。
チクリと小さく胸に痛みが走った理由は、分からなかったけれど。
危険から遠ざけたいと思うのは、年長者として当然だろう?




