3.兄たちの背中
「それでそんなに興奮しているのか、ドルチェは」
「ええ! お兄様たちの手合わせは、やはり学ぶことが多いです」
あれから、お兄様たちが手合わせするのを見学させてもらった。お兄様たちはひと通りの武器の扱いを修めているけれど、ロラントお兄様はフェルヴェお兄様に勝ちたいからと得手であるレイピアを手に取った。
一方のフェルヴェお兄様は、細い剣で隙を縫って攻撃された時の対応をものにしたいからと、手に取ったのは戦斧。初めて見る武器の大きさに呆気に取られている私を見て、フェルヴェお兄様は楽しそうに笑っていた。腰に下げていた剣は木陰で休んでいる私が預かったので、お兄様たちは他の武器を持たずに庭の中心よりやや遠くへ移動する。
「では、始め!」
巻き込んでしまうかもしれないから、と開始の号令は木陰からでいいとフェルヴェお兄様から言われた。その言葉にロラントお兄様も頷いていたけれど、私の結んでいなかった髪ひと房だって切ることがなかったのに、巻き込むことなどないだろう。そう思っていた私の考えは、浅はかだったのだ。
開始と言うや否や、ぶおんと辺りを割くような風の音が響く。その風圧は、お兄様たちが巻き込まないと判断した木陰にいる私にまで、届いたのだ。この一撃で私はお兄様たちの見積もりが正しかったのだと、文字通り身をもって知った。
フェルヴェお兄様の大切な愛剣に傷をつけてはならないと私の背後にそっと動かしてから、目の前の手合わせをじっと見つめる。
「どうした、動きが鈍いようだが? まさか、妹との手合わせが響いているなんて言わないだろうな?」
「そんなことを、言うはずがないでしょう!」
「まあ、口にしたらその瞬間にたたっ切ってやるがなあ」
「くっ!」
レイピアが戦斧に弾かれている鈍い金属音に紛れているから、途切れ途切れにしか聞こえないけれど、お兄様たちは会話が出来る余裕もあるようだ。ロラントお兄様は私と手合わせをした後だということを忘れてしまうくらい、鮮やかにレイピアを操っている。けれど、それよりすごいのはフェルヴェお兄様だ。ご自身の腰まである戦斧を、軽々と振り回しているのだから。
振りかぶった時の反動で後ろに引っ張られるようなこともなく、隙を見て繰り出されるレイピアの連撃を防御する使い方は、まるで盾を持っているかのよう。
かといって、防御に徹しているわけではない。ロラントお兄様の繰り出すレイピアは、私と手合わせしていた時よりもわずかに速い。戦斧で押し返すような攻撃は、力任せのような気もするけれど、それだってそう出来るだけの腕力がないと扱えないのだから。
「腕を上げたんじゃないか、ロラント!」
「それはっ、光栄です、ね!」
楽しそうに笑うフェルヴェお兄様と違って、肩で息をしているロラントお兄様の声は苦しそうだ。あれだけレイピアを向けられていたのにも関わらず、フェルヴェお兄様には血が滲んでいる箇所こそあるものの、目立った傷は見当たらない。
対するロラントお兄様は、戦斧の勢いを殺しきれずに地面に転がったことが多かったからか、体中に砂埃がついている。
きっと次の一手で勝負は決まる。そう思ったらぎゅっと握ったままの手に力がこもった。
「ドルチェ、父上への報告は済んだか?」
「フェルヴェお兄様、お着替え終わったのです、ね……」
「ああ、ロラントの最後の一撃がなかなかに深くてな。あれはいい筋だった」
ケーキを楽しみにしていたのは、お父様だけではなかったようだ。手合わせを終えたお兄様たちがそのまま談話室に向かおうとしたのを止めたのは私だから、もちろんその傷だって見ていたはずだったのに。
左の頬に大きな布を当てているフェルヴェお兄様は動かすと傷が痛むのか、笑みがいつもよりぎこちない。
悔しく思う気持ちが、ないわけではない。お兄様たちも、お父様だって。私と手合わせをするときには出来る限り見えるところに傷を作らないようにと配慮してくれているのは十分に分かっている。それは、いくらこの国と隣国との国境を預かる辺境伯の娘だといえども、男と女では戦うべき場所が違うからだ。
けれど、私は。その傷を見て一瞬だけ羨ましいと思ってしまった。手加減もなにもなく、自分の力を出し切れる相手との手合わせが出来ることが。
「ふむ。……フェルヴェ。ドルチェが生まれた時の事を覚えているか?」
「もちろんですとも。ロラントの時は俺も小さく、ぼんやりとしか覚えていなかったので、今度こそと思っていましたから」
「ドルチェを見て、どう思った」
「お父様、いきなり何を言い出すのですか」
予想外の事を問いかけ始めたお父様にわたわたと慌てる私を見て、フェルヴェお兄様のグリーンの瞳が柔らかくなった。
「守らねば、と思いました。母上から継いだダークモカの瞳も、父上譲りのキャラメルのような髪の一本でさえ、愛おしいと」
お父様と同じ、キャラメル色の髪を手櫛で梳きながら聞く、私の生まれた時の話はさながら愛の告白を聞いているようで。
ぼんっと音を立てたように一瞬で赤面した顔を隠すようにしゃがみこんでしまったのは、無理のないことだろう。
ロラントお兄様からだったら、まだ耐えられたかもしれない。二つ上のロラントお兄様はその語彙力もあってか、私の事を褒めてくださるバリエーションが豊富なのだ。それで遊ばれていると思うときもあるけれど、一方で甘い言葉には慣れつつある。
だけど、今私の目を見て言葉を紡いでいるのはフェルヴェお兄様。しかも、髪の毛を梳くという動作付き。五つ離れたフェルヴェお兄様の裏表ないストレートな物言いは好ましく思っていたけれど、こんなにも胸に響くとは思ってもみなかった。
「おや、ドルチェ相手に愛の告白の練習でもしているのですか?」
「ロ、ロラントお兄様……」
「俺のいない間になど、不公平ではありませんか」
「それもそうだな。よし、ドルチェこちらに座れ。兄たちの告白を存分に受けるがいい」
右手をフェルヴェお兄様、左手はロラントお兄様に取られて、まるで物語のお姫様に触れるようなエスコートでソファーに促される。そのまま、私の両隣を確保したお兄様たちは、嬉しそうに笑っている。
「お、お父様! そんなに笑っていないでお兄様たちをお止めになって!」
「ははは! それは無理な相談だな」
三人掛けのソファーは広いはずなのにお兄様たちがぎゅっと寄ってくるものだから、真ん中に詰まって座っている私達の姿を見て、愉快そうに笑っているお父様。普段だったらいくら兄妹でも節度ある距離を保ちなさいと言われるはずなのに、今は私達がくっついているのを見ているだけ。お兄様たちの行動の意図が読めない私は、お二人の顔を交互に見つめるだけ。
「ありがとう、ドルチェ。今日の時間を作るために、勉強の時間を詰め込んだと聞いたよ」
「いえ。お忙しいロラントお兄様にお願いしたのですから、私が合わせるのは当然です」
くっついたまま距離を取ることなく、私が焼いたケーキをお茶請けとした時間は進んでいく。ルターはいい具合に取り分けてくれたようだ。口に合わなかったら理由をつけてフェルヴェお兄様に分けているお父様にもお気に召していただけたようで、豪快に食べている姿が気持ちいい。
お兄様たちは私が作ったものはなんでも食べてくださるけれど、今日は特に味わっているのかフォークの進みが遅い。その分、私へのちょっかいというか構われ方がすごい。
「これから、時間はあるか? 手合わせの反省を行いたいのだが」
「次に活かせる事が思い浮かぶかもしれないし、早めに話しておきたいね」
「それは、私もぜひともお願いしたいのですが……
あの、お兄様たち、そろそろ離れては」
手合わせの後に反省するのはいつもの事だ。それは、言われずとも予定している時間のはずで、私よりもお兄様たちの方が分かっているはずなのに。
一口ケーキを食べてはフォークを置き、紅茶ではなくて私の手をいじって遊んでいる。さきほどの告白まがいな言葉といいずっと離れない態度といい、お兄様たちの言わんとすることがいまいち飲み込めない。
「ドルチェ。兄たちは、お前を侮っているのでも、手を抜いているのでもない。大切だから、傷つけたくないだけなのだ。
その気持ちを理解してやってはくれないだろうか」
くつくつ笑って様子を見ているだけだったのに、お代わりしたケーキも綺麗に食べきって紅茶も飲み干したお父様が、ぽつりとそう落とした。その瞬間、私の手をくすぐるように触っていたお兄様たちの動きが止まった。
フェルヴェお兄様は、飲もうとしていた紅茶のカップをガチャンとソーサーに戻している。ロラントお兄様は何かを言いかけて、でも言葉にならなかったのか何度か口は動いたけれど、結局音になることはない。
「フェルヴェ、ロラント。きちんと言葉にすることも、大事だぞ」
「はい」
「そのようですね……」
お兄様たちから絞り出すように告げられたのは、お父様の言葉を肯定する返事だった。そのまま談話室を出て行こうとしたお父様は、くるりと踵を返した。直後、いささか乱暴とも思える大きさで、入室の許可を得るためのノックが響く。
「……入れ」
「失礼いたします!」
額に玉のような汗を光らせているのは、ロラントお兄様がまとめている偵察部隊の一人。とはいえ、この場にはお父様も、フェルヴェお兄様もいる。一瞬だけ誰に報告しようか悩んだのか視界を彷徨わせたけれど、お兄様たちには頭を下げ、報告はお父様へとされていた。
あの様子から見て、あまりよろしくない報告なのだろう。そのくらいの想像は簡単に出来るので私はいない方がいいかもしれない。そう思って浮かせた腰は、両隣からの圧力でソファーに戻された。
「王都から戻った偵察より、あまりよろしくない情報だ。
……王は、武器を作るために金属を集めまわっているのだと」
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