26.王都へ
「さすがに、少し疲れたな。早めに宿で休もう。……大丈夫か、ドルチェ?」
「大丈夫です、と言いたいのですが」
今、大丈夫と言ったところでただの強がりにしか見えないだろう。それくらい、フェルヴェお兄様について行くのは大変だった。
本当だったら、プレシフ領以外には隣村くらいまでしか出向かない私のために、いろんなことを教えてくれる予定だったそうだ。その計画が変更を余儀なくされたのは、王都まであと半分ほどの道のりまで到着した先で聞いた、ある噂。
「いや、いい。無理はするな。飛ばして悪かったな」
王都に着いたというのに、周りを見る余裕はほとんどない。それでもフェルヴェお兄様は出来るだけ私の視界を遮らないように、と前ではなく隣で歩いてくれている。そっと長身をかがめて私の顔色を確かめたフェルヴェお兄様は、安心したようにほっと息を吐いた。
「いえ、急がねばならないとは私も分かっております。足手まといとなってしまって、申し訳ありません」
「妹を足手まといだなんて思うはずがないだろう。さ、ここだ。父上と王都に来るときには、いつも利用させてもらっている」
「まあ! 雰囲気のある素敵な外観ですわ!」
慣れた様子で歩いていたフェルヴェお兄様が足を止めたのは、大通りから一本逸れた路地の奥にある建物の前。煉瓦造りの壁に蔦が絡んでいて、どこか懐かしささえ感じる建物。大通りの建物は外壁も磨かれ、日の光を反射するように輝いていたから、そちらと比べる古いと感じる人もいるのだろう。
けれど、王都に着いてすぐ人の多さと建物の眩しさで目をチカチカさせていた私には、とても安心する見た目だったのだ。少しはしゃいだ声を上げてしまったことに恥ずかしくもなったが、フェルヴェお兄様は何も言わず優しい笑みを浮かべていた。
「いらっしゃいませ、ヴィーゴ様からご連絡をいただいてお待ちしておりました」
ドアを開いてすぐ、出迎えてくれたのは年配の男性。カランという柔らかい響きのベルで振り向いた男性は、フェルヴェお兄様の顔を見るなり深く頭を下げた。
「ああ、いつも世話になるな。こっちは妹のドルチェだ。王都は初めてになるから、いろいろと教えてやってほしい」
「ドルチェと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
お父様が連絡をしていたとは気付かなかったのだけれど、フェルヴェお兄様は当然のようなかをしていたから、きっと王都に行くときにはいつもしているのだろう。
フェルヴェお兄様から紹介をされたので、ゆっくりと礼を取ってご挨拶をさせていただく。男性は、おやと一瞬だけ目を丸くしていたけれど、すぐに合点がいったように頷いていた。
「ご丁寧にありがとうございます。初めての王都、どうぞお楽しみくださいとお伝えしたいところではございますが、そうとはいかなそうなのが残念でございます」
「……やはり、あの話は本当か」
私達が、道中を急ぐことになった理由もおそらく、その話。王都から離れた町ではただの噂としか思われていなかったけれど、王都にいる人がそういう反応をするというのなら、きっと本当の事なのだろう。
すっと声を潜めたフェルヴェお兄様に合わせるように、男性もわずかに姿勢を低くして耳打ちするような体勢を取った。
「人の口は止められないとはよく言ったものです。王城からの通達はありませんが、おそらくは」
「フェルヴェお兄様、人が……」
宿なのだから、人の出入りがあるのは当然だろう。けれど、これは他の人がいるところで堂々と出来る類の話ではない。そっと人が近づいていると伝えると、フェルヴェお兄様は心得たように入り口に背を向けて顔を見られないようにした。
「参考になった、ありがとう。さあ妹よ、今聞いたカフェでお望みのスイーツを食べるのだろう?」
「え、ええ。そうですわお兄様。私、ずっと食べてみたかったのです!」
そうして、少々乱暴にドアを開けて入ってきた人が男性の元に近づいていくのとすれ違うように、上手く顔を見せることのないまま宿を出る。後ろからは怒声が聞こえてきたので振り返ろうとしたけれど、小さく気にするなと言われたのでその通りにフェルヴェお兄様の後をついて行く。
するすると、人の合間を縫うように進んでいくフェルヴェお兄様の足取りには迷いがない。ネイビーの髪は見慣れているけれど、王都ではあまり見ることのない色なのかもしれない。時折、すれ違う人がフェルヴェお兄様の姿を見ている。私のお兄様たちは素敵なのだと知られることが誇らしいと思う反面、他の人に知られた分だけ遠くに行ってしまうような気持ちになって、エスコートのために添えてくれているフェルヴェお兄様の腕を、ぎゅっと握ってしまった。
「この店は、奥に個室があるんだ。そこなら誰の耳も気にせずに話が出来る」
大通りにあったレストラン。他の建物と同じように外壁は磨かれていたけれど、内装はシンプルだった。置かれている調度品や使っている食器類もシンプルだったが、センス良くまとめられているので、無機質すぎて冷たく感じることはなかった。
王都に着くまでも、着いてからもずっと忙しく移動していたので、ただ椅子に腰かけるだけでぐったりと脱力してしまった。
「まずは、ゆっくり食事をしよう。ここまであまり時間をかけられなかったからな。好きなものを選ぶといい」
「ありがとうございます、フェルヴェお兄様。お兄様も、きちんとお食事なさってくださいね?」
「もちろん、そのつもりだ。ここの料理は何を選んでもうまいからな!」
道中、私だけでなく休みをあまり取ることなく飛ばし続けた馬に食事を分け与えていたのを、知っている。お父様とお二人で王都へ向かうときには訓練も兼ねているのでもっと厳しいと笑っていたけれど、家での食事量を知っている私から見たらとても足りているとは思えなかった。
メニューを見ながらどうしようかと悩んでいるフェルヴェお兄様を見て、すっと肩から力が抜けたような感覚があった。
ここまでの強行軍や、王都に来たという緊張が私を包んでいたのだろう。少しだけ和らいだ気持ちで、メニューを見る。
「それにしても、さすがだなドルチェ。急に話を振ったにも関わらず、あそこまで対処ができるとは」
結局、メニューを選ぶことを放棄したフェルヴェお兄様は、簡単にお任せのコースをとお願いしていた。心得たように頷いていたウェイターは、私は別の注文で大丈夫ですよと微笑んでくれたので、ありがたくその気遣いを受け取ることにする。
フェルヴェお兄様と全て同じだと、食べきれない未来しか見えないのだ。ワンプレートで取り分けてもらったので、量が違うだけで料理は同じだけれど。
コースだと、次々運んでくるので話のタイミングが取れないと思っていたら、一気に料理を持ってきてくれた。さすがに少し冷めてしまうと謝罪されていたけれど、元々無理を言ったのはこちらの方だ。
二人でお礼を伝えて、温かいうちにいただくことにした。
「フェルヴェお兄様こそさすがですわ。プレシフ家の次期当主として、お顔だって知られているでしょうに」
「王都にいる貴族たちは、俺たちの事になど興味はないさ。だが、わざわざ餌を与えてやる必要などないからな」
つまり、王都にいる貴族様方はプレシフ家の顔を知らない、という事でしょうか。仮にも、この国の国境の守護を任せているのに、王城に何度も足を運んでいるのにも、かかわらず。
けれど、餌を与えるつもりはないということは、それを知られなくてもいいと思っていらっしゃるという事なので、私が何かを言えるはずはない。
「そう、思っていたが。あの噂が本当ならば、俺たちが王城に向かう可能性もあるだろう。その時の顔は見物だな」
「……国王陛下が、病で倒れたという噂ですね」
そう、これを聞いたから私達は余裕のあった行程から、出来る限りの速さで王都に向かうことになった。
人の多さに圧倒されていたけれど、王都に着いてすぐに感じたのは、人々の浮き足立った空気。それは、お祭り前などの高揚したものとは違っていた。
なにより、前王陛下も病で急逝したのだと人々は知っているはずだ。その時と同じかもしれない、という考えが脳裏をよぎったとておかしくはないだろう。
「ああ。宿の主人の話しぶりだと、どうやら噂だとは言い切れなそうだ」
「途中で話が途切れてしまったのが、残念ですわね」
「食事を済ませたらゆっくり聞けばいいだろう。なに、あの宿は主人が首を縦に振らないと泊まることは出来ないからな」
私達とすれ違ったあの人を、どうやら宿で見ることはなさそうだ。
「宿に戻る前に、王都を少し見て回ろう。ドルチェはアクセサリーなどをあまり持っていないから、良いのを見て来いと母上から頼まれているんだ」
「お母様から、ですか?」
「ああ。資金はロラントから預かっているから、遠慮するんじゃないぞ」
にやり、と楽しそうにグリーンの瞳を細めたフェルヴェお兄様は、私に見せつけるように預かって来たというお金の入ったポーチをテーブルに置いた。
そう、お財布ではなくポーチのサイズなのだ。そして置いたときの重たい音から察するに、それなりのお金が入っている。
「初めての王都なんだ。こんな時にと思うだろうが、いろんなものを見て、吸収するといい」
「……ありがとうございます」
じわりと浮かんだ涙をぎゅっと目をつぶることでやり過ごそうとしたけれど、堪えきれなくて溢れてしまった。
それを見たフェルヴェお兄様は呆れることもなく、ただただ微笑んで優しく拭ってくれた。
「さて、それではどこから行こうか」
「お母様から言われた通り、アクセサリーを見ようと思います。髪飾りのお店はどちら、に……」
今まで急いでいた分を埋めるように、ゆっくりと食事を済ませた私達は、ひとまず夕暮れまでは情報収集も兼ねて王都を回ることに決めた。とはいっても、もう日も沈みかけているからあまり時間は取れない。プレシフ領だとそろそろ店仕舞いの時間になるけれど、王都だったらまだ開いているからと言われて安心した私は、大通りに視線を巡らせた。
そうして見つけてしまったのは、少し前に慣れ親しんで、何も言わずにいなくなってしまった人の姿。
「ドルチェ、どうして……!」
私が王都に行くことを望んだ理由、シェイド殿下。王城に行かねば会えないと思っていたシェイド殿下と、まさかこんな往来で出会うなんて、想像もしていなかった。




