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24.名前のつかない気持ち

 カンカンと木剣の打ち合う音がするたびにわあっと歓声が上がる。時折こぼれるうめき声は、土を蹴り上げるざりざりした響きにかき消されて、周りを取り囲む兵たちまでは届いていないだろう。

 ひときわ高く打ち合う音が響いたかと思えば、やって来たのは息の音を漏らすのもはばかられるような静寂。打ち合った片方は肩で息をしていて顔には玉のような汗をびっしりとかいているのに、もう片方は涼しい顔をして相手の木剣を抑え込んでいる。

 涼しい顔をしているのは、私なのだけど。小型のナイフを好み、直接打ち合うことを避けているから非力だろうと思われている私は、実際非力だけれどこうして打ち合うくらいであるならば十分に耐えられるのに。

 この前のシェイド殿下との手合わせを見ていた兵たちから上がった、私との手合わせを願う声。それに応えたというのに、どうやら私の事を力で押せば勝てると思っている兵がいたようだ。

 つい、イラっとした感情そのままに剣を振るって、もはや余裕もなかった相手を思い切り転ばせてしまった。そのまま起き上がる気配もないので、形式通りに一礼してから定めてあった陣地を出る。一応、この陣地から出たら私の負けだとも伝えてあったのだけれど、どうやら直接打ち合うことを望んでいたようだからその通りにしてあげただけなのに。


「どうしたドルチェ、いつもより容赦がないな?」

「フェルヴェお兄様」


 ぽん、と労わるような手つきで頭に乗せられたタオルをありがたくいただく。髪の毛は邪魔にならないように一つに結わいてあるけれど、少しだけ汗の滲んだ顔に張り付いていたから、遠慮なく使わせてもらおう。

 容赦がないとは、いったいどういう事だろうか。確かに少し苛立っていたけれど、手合わせを望まれたのだから、相手に合わせて動いていたはずだと思うのに。


「良いことじゃないですか。この間の立ち回りを見て、手合わせを望んできたのですから」

「ロラント、そうは言ってもだな……」

「それとも、フェル兄さんは打ちのめされた兵たちを奮起させることも出来ないと、そう仰るのですか?」


 水を差しだしてくれたロラントお兄様は私を見てにっこりと笑みを深めると、渋面を作っているフェルヴェお兄様に声をかけた。

 ロラントお兄様が、フェルヴェお兄様を試すような物言いをするときは、からかっている時だ。だからそれほど大事にはなっていないと思ったのに、次の言葉を聞いて私はすぐに頭を下げた。


「そうではない。が、俺一人で相手するには多すぎる」


 ちらりとフェルヴェお兄様が視線を送った先には、倒れ込んだ兵が多数いた。始めのうちは数えていたけれど、途中からは乱入されたりして正確な数を数えるのが面倒になった兵たち。仲間に肩を支えられて兵舎に運ばれているのは、最後に手合わせをしていた兵、だと思う。


「も、申し訳ありません! ついぼんやりとしてしまって……」

「ドルチェ、それはただの追い打ちだからね? ああ、分かってないか」


 慌てて兵たちのところへ駆け寄ろうとした私を止めたのは、ロラントお兄様。フェルヴェお兄様は、そんなロラントお兄様の事を良くやったとばかりに頷いている。

 ロラントお兄様がなにかぼそりと呟いたような気もしたけれど、がっくりと肩を落とした私の耳には残らなかった。


「それにしても、らしくないね。このところの鍛錬も上の空の様子だし」

「母上が気にしていたぞ。父上も、口にはしないがな」


 はい、と差し出してくれたのは私の好きなお菓子。このところ、シェイド殿下との手合わせを見た兵からの手合わせの申し込みが多すぎて、あまり屋敷でのんびりする時間が取れないからとルターが気遣ってくれたのだろう。

 一口で食べられるサイズに作ってくれたのは、コック長の配慮だ。兵たちに気にする余裕はないかもしれないけれど、令嬢としてのマナーでは大口を開けて食べるのはあまりよろしくないのだから。


「ドルチェ、原因はもう分かっているんだろう?」


 お父様とお母様は私の鍛錬の様子をあまり見ていないから、気付かれていないかと思っていたのに。もちろん、鍛錬の相手であるこの二人の兄たちには隠せると思ってはいなかったけれど。

 自分でも原因が分かっていない、この胸に重く残る何か。私が理解できていないものを、ロラントお兄様は分かっているかのような口調で問いかけてきた。重いものを吐き出すような気持ちで、私は言葉を紡ぐ。


「……初めての仕事が終わって、安心したから。でしょうか」

「世間知らずの令嬢がずっと傍にいる、というのはいい考えだったな」

「おかげでこちらはあまり人を割かずにすみましたからね。改めてお疲れさまでした、ドルチェ」


 シェイド殿下の護衛は、上手くできたとお父様からもお褒めの言葉を頂いた。この地での不慮の事故を狙っていた者たちは、ロラントお兄様の部隊が捕らえたそうだ。そのおかげでしばらく、ロラントお兄様の機嫌はすこぶる悪かった。仕事が増えたのだから当然だろう。その分得たものも多かったようで、少ししたら機嫌は直っていたけれど。


「ありがとうございます。お役に立てたのであれば、何よりですわ」

「十分だとも。俺が初めて父上から仕事を与えられた時なんて……」

「フェル兄さん」


 小さな一声だったけれど、それだけでフェルヴェお兄様は口を閉じた。フェルヴェお兄様の初仕事の話は聞いたことがなかったから、先を聞きたいと思ったのに。きっとこのタイミングで話題に出したことは覚えているだろうから、今度お話を聞かせてほしいとお願いしようと思う。


「あ、っと。そうだったな。他にはどうだ、ドルチェ?」

「他、ですか。ええと……兵たちから手合わせを望まれたことは、嬉しく思います」


 これも、シェイド殿下の護衛をしている間にあったことだ。そうなったのは、元はと言えばシェイド殿下が私に手合わせを申し込んできたからなのだけど。

 兵たちからも、私との手合わせを望む声は前からあった。それを受けてこなかったのは、単純に私が令嬢としての勉強をするために時間を多く割いていたから。

 今毎日のように手合わせをしているのは、その時に断っていた兵たちが、ここぞとばかりに申し出てきたからだ。フェルヴェお兄様が上手く振り分けてくれているから、揉めてはいないけれど。


「ならば、その兵たちの成長を促すような手合わせではないことは、どう思う」

「申し訳、ありません」

「責めているのではないよ、ドルチェ。その程度なら出来ると思っていたフェル兄さんが不思議に思っているんだ。もちろん、俺もね」


 フェルヴェお兄様の言葉は、正しい。だからこそ時々胸に刺さる。今回だってそうだ。私は小柄で、力がない。だからこそ、戦って勝つためにはそれを長所として活かさなければならなかった。そうして得たのは、人の動きを読んで自分の動きを変えること。剣を振りかぶったさきに、私がいなければ当たらない。

 兵たちとの手合わせでは、その人の動きを見て、苦手そうなところに重点的に攻撃を仕掛けることで、防御の仕方であったり本人も気付いていない攻撃の癖を気付かせるような事をしていた。それくらい、出来なければならなかった。

 けれど、今日の動きはそうではなかった。自分の胸にあるもやもやを振り払うように剣を持ち、重いものを考えたくないから何も考えずに手数で攻めた。


「今、ドルチェはどんな気持ちなのかな。上手く言葉にならなくてもいいから、兄たちに話してごらん」


 兵たちに指示を出し終えたフェルヴェお兄様が私の右に、元々左に座っていたロラントお兄様はちょっとだけ距離を詰めた。

 木陰で涼しい風が通り抜けるけれど、私の両肩には温もりがある。


「私の、気持ち……」


 それ以上、何も言われなかった。フェルヴェお兄様は目を閉じてただ隣にいるだけで、ロラントお兄様はふと思い出したかのようにお菓子を差し出すだけ。

 私の気持ち、そう言われてもそんなの私が一番わからないというのに。それをそのまま、伝えてもいいのだろうか。少しだけ考えてそっと視線を巡らせる。すると、目を閉じていると思っていたフェルヴェお兄様とばっちり目が合ってしまった。

 こうなったら、逸らすわけにも誤魔化すわけにもいかないので、まだ言葉を見つけられない気持ちを息と一緒に吐き出した。


「分からない、のです。仕事を無事に終えられたことは、とても嬉しく思います。お褒めの言葉を頂いたのも、励みです。

 ですが、この胸にはそれだけでは説明できないなにかが、ずっと残っているのです」


 そっと自分の胸に手を当てて、この気持ちが何なのかを考えてみても答えは出ないまま。このところ、毎晩のように繰り返しては答えを見つけられずに、ベッドに戻るだけ。

 いっそのこと、歌ってしまえば答えが見つかるのではないかとも考えたし、実際に口ずさんでみたけれど、解決は出来なかった。どうしても、頭によぎることがあるのだ。それは、どれだけ消したいと望んでも消えてくれない。

 その答えを、お兄様たちはご存じだというのだろうか。


「褒められて、認められてそれだけで満足なはずなのに、私は、もっと何かを求めてしまっているのかもしれません。

 けれど、それを得たところでこの気持ちがなくなるかも、分からないのに……」


 それは、例えようのないものだけれど、何かと表現するのであれば徐々に足場が崩れていく感覚のようなものだろうか。じわじわと、焦燥感だけが自分の身を襲っている。

 両手で顔を隠して俯いた私の頭に、ぽんと温もりが添えられる。それは、さっきと同じようで違う。添えられたのは、タオルではなくてフェルヴェお兄様の手だった。ぎこちない温もりに身を任せていたら、先ほどまでの足場が崩れていく感覚が少しだけ変わっていた。


「母上が王都におられる時は、どう感じていたのかな。フェル兄さんがニアマトに滞在している時は?」


 お母様やフェルヴェお兄様が、屋敷を離れるのは寂しい。けれど、必ず帰ってくると分かっているからこんな気持ちを感じたことはなかった。

 どうして、そんな例えを出してきたのだろうと思って、ロラントお兄様の顔を見る。いつもと同じように微笑んでいるけれど、ほんの少しだけグリーンの瞳は何かを確かめるように私を見ていた。

 そうして浮かんできたのは、お母様やフェルヴェお兄様のように帰る約束をすることなく、この地を去った人の顔。ずっと、浮かんでは消えてくれなかった紅い瞳の持ち主。


「私は……シェイド殿下、が何も言わずに戻られたことに、寂しさを感じている?」

「そうだね」


 疑問だったけれど、言葉にしてみたらなぜだかとてもしっくり来た。それを、ロラントお兄様は否定しなかった。


「呆れ、ないのですか?」

「そんなことあるはずがないだろう」


 フェルヴェお兄様も、否定したのは私の言葉に。シェイド殿下に対して、私が感じていたことについてお兄様たちは、全く否定をしなかった。つまりそれは、私が何で悩んでいて気持ちの折り合いをつけられなかったのかが、丸わかりだったということだろう。


「ドルチェ」

「……はい」

「自分の気持ちに気付けたなら、あとはどうするかを決めるだけだよ。ゆっくり、とまでは言えないけれどよく考えなさい」


 それじゃあね、と立ち上がったお兄様たちはカラカラと笑い合いながら兵たちの元へ向かっていく。

 残されたのは、まだ自分の感情を受け入れられない私と、食べきれなかったお菓子、それから汗を拭いていたタオル。

 シェイド殿下に感じたのは、寂しさ。それはお母様やフェルヴェお兄様が領地を離れるときと同じ言葉のはずなのに。


「どうして、同じような感覚にはならないの……」


 足元からさらさらと砂が落ちていくような感覚の答えを、私は見つけられるのだろうか。



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