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23.定めたのは

シェイド視点です。

 人前で泣くのは、いつぶりだろうか。王城に引き取られてすぐの頃は、よく泣いていたはずだ。

 知らないことが出来るはずもないのに、教育係から指摘され溜め息をつかれ暴言まがいの指導を受けるたび、我慢できずに泣いて逃げ出していた幼い自分。

 そうやって泣いていることすらも指摘されることを増やすだけだと分からなかったけれど、理解してからは誰かに涙を見せることなどなかったというのに。

 僕が泣いている間、ずっと肩を貸してくれたドルチェ嬢は、何かを口ずさんでいた。それが国王陛下から禁止されているものだと分かっているのに、どうしてだろうか。反発したかった言葉も、納得できなかった感情もまるで溶けるように消えてなくなって、残ったのは少々の恥ずかしさと、スッキリした気持ち。

 だから、僕は僕のやるべきことを見つけられた。


「こんな時間に、どちらへ向かうのですか」

「フェルヴェ殿か。プレシフ伯からは許可を得たのだが」


 あれから、ドルチェ嬢には丁重にお礼を伝えてから別れた。きっとそのまま寝たと思われているだろうから、静かに部屋を出てこの屋敷の主の元へ向かった。

 僕が来ることを予見していたかのように、にやりと笑ったプレシフ伯はきっと、何を言い出すのかまで想像がついていたのだろう。

 驚くこともなく、ただ静かに頷いてくれたのだから。


「そうですか。定めたのですね」


 そしてそれは、今目の前にいる彼も同じだ。もしかしたらプレシフ伯から聞いて、僕の事をずっと見ていたのかもしれないけれど。

 次期辺境伯であるフェルヴェ殿は、今まで見ていたどの表情とも違う顔でまっすぐに立っていた。


「ああ。私は、王都へ帰る。そして、国王陛下に伝えなくてはならない」

「この地であなたが見聞きし、感じたものはおそらく国王の望むものではなかったはずだ。それを、伝えると?」


 王都で聞いていたのは、国境争いでは毎日苦戦しているがそれでもニアマト王国からの侵攻を許したことはないと。兵士たちを守るために金属を差し出してはもらえないだろうかという話だった。ところが、実際に来てみれば金属どころか物資すら十分に得ているとは言えない状況でも、自分たちのやるべきことがはっきり見えている者たちばかり。

 殺伐とした雰囲気など、ニアマト王国の襲撃があった時ですら感じることはなかった。それはきっと、この家の皆や集まった兵たちがそうあろうと努力をしていてくれたからだ。


「私の力ではできることは限られているだろうがな。それでも、何もせずにただ自分の環境に嘆くのはもう、やめにしようと」


 辺境伯の家に生まれたからではない、この地に住む者として何かできることはないかとずっと思っていたドルチェ嬢。結果、彼女が身に付けたのはおおよそ令嬢らしくないものだったが、それでもようやく家族の役に立てたと笑っていたのだ。

 辺境伯とはいえ、いち貴族であり令嬢であるドルチェ嬢と、僕の身に流れる証とでは、どうしても超えられない壁がある。王族で子息である僕なら、やれないことを探す方が難しいのだから。


「ドルチェが、寂しく思うだろうな」

「彼女には、大変世話になった。何も言わずに姿を消す無礼を、どうか詫びておいてほしい」

「申し訳ありませんが、その願いは受け入れかねます。シェイド殿下」


 ふっと笑ったフェルヴェ殿に、きっと了承してもらえるだろうと思った言葉は、受け取ってもらえなかった。どうしてだろうかとじっと視線を向けても、フェルヴェ殿は緩く首を振るばかり。


「なぜ、と聞いても?」

「その言葉は、貴方様が直接伝えるべきだ。どれだけ、時間がかかろうとも」

「……そうか」


 ドルチェ嬢なら、きっと待っていてくれるだろう。けれど、彼女は辺境伯令嬢だ。いつかこの地を離れる時が来る。そして、それはそう遠くないはずだ。それまでに、会いに来いというのだろうか。

 日の出前の薄暗い中でも分かるほどに好戦的な目を向けてきたフェルヴェ殿は、プレシフ伯とそっくりな顔をして笑う。


「ならば、次は負けないと言付けてもらうことはできるだろうか」

「承りましょう」


 三度目の手合わせが許されるのであれば。あれだけたくさんの兵士たちの前で無様に土をつけた姿を見せているのだから、もはや怖いものなどないのかもしれないが、それと自分の中にあるプライドというものは別のようだ。

 負けない、そう口にしただけで胸の奥からみなぎるものがあった。


「ですが、シェイド殿下。一つ覚えておいていただきたい」


 僕の変化を感じ取ったのだろう、フェルヴェ殿のグリーンの瞳がすぅっと細められた。思わず後ずさりしかけたが、ぐっと足に力を入れてその場から動かずに言葉の続きを待つ。


「我が領の花を守る棘は、鋭いぞ」

「ならば、その棘ごと慈しめばいいのだろう。無理に手折ったのでは、花の美しさを損ねるだけだ」

「……そうですか、そう思われるのですね」


 何を言われるのかと構えていたが、フェルヴェ殿の言葉には自分でも思っていた以上にすんなりと言葉を返すことが出来た。

 おそらく、その棘は鋭いうえに太く、何度も肌を痛めるのだろう。けれど、そうして無理やりに手を突っ込んで傷を作る必要などないはずだ。


「考えを聞けて良かった。

 無事に王城までお戻りになられますよう、お祈り申し上げます。シェイド殿下」

「貴殿らの献身に、感謝申し上げる」


 深く下げた頭に、それ以上の言葉はなかった。あとは自分のやるべきことをやるだけだ。



「おい、起きろ」


 僕の供を気取った奴らが待っていると言った街には、宿屋はひとつしかなかった。それでも大きい宿だったから宿泊客を満室だと断るようなことにはならないだろう。国境にほど近い街は、そこまで人の往来があるわけではないのだから。


「こんな早い時間になんだって……シェイド、殿下っ!?」

「なんだ、そんないない者を見るような目をして。この街で私が戻るのを待つと言ったのはお前たちだろう?」


 部屋のあちらこちらに散らばった瓶と、食べ物。そしてこの部屋に入った時から、噎せ返りそうなほどに満ちている酒の匂い。個人で部屋を取っていなかったのは手間が省けたとしか思わなかったが、視察にやってきているはずの身で、これほどまでに自堕落に過ごしているとは。


「ほら、さっさと支度をしないか」

「は?」

「したく、と申しますのは」


 ベッドから強制的に引っ張り出した奴らは、どこかぼんやりとした様子で僕の事を見ている。一番に反応した奴だけは青い顔をしているが、何を考えているのかなどは僕の知ったことではない。


「プレシフ領の視察は十分に済ませた。国王陛下に今の状況を奏上せねばなるまい。

 それとも、お前たちは私に初任務を熟せなかったと泥を塗りたいのか?」

「め、めっそうもない! シェイド殿下の邪魔をするなど」

「ならば早く身支度を済ませるのだな。……下で待っている」


 余裕たっぷりだと見せつけるように薄く笑って部屋を出る。しばらくドアの傍で聞き耳を立てていたが、どうやら僕が無傷で帰ってきたことに相当焦ってるようだ。それぞれを罵るような言葉は、他の客にとっては最悪の目覚ましだろう。滞在していた間のこともあるだろうから、うんざりしている宿の主人にそっと小袋を手渡した。


「早い時間から騒がせてすまない。これは迷惑料として納めてくれ」

「あのお方たちの分なら、もう頂いているよ」

「だが、迷惑をかけたのだろう?」


 中を確認することもなく小袋をそのまま突き返してきた主人に、いったい誰が支払ったのだろうかと疑問に思ったけれど、聞いたところで思い当たる人物などいないだろう。

 もう一度、主人に小袋を渡そうとしたところでドスン、とまあまあな音が響いた。これは、やはり他の客にも迷惑だったに違いない。


「そんなもん、宿をやっていたらよくあることさ。けど、まあこれであんたの気が収まるのならもらっておくよ」


 あの音を聞いた後だったからか、今度は断られなかった。感謝を伝えるように会釈をしてから、奴らを待つためにここにいてもいいだろうかと了解を得る。

 主人としても、迷惑な客が帰るのだから喜ばしいことだろう。好きに使いなと示された椅子に腰かけて、支度を済ませて出てくるのを待つ。


「ほら、ちょっとばかり多かったもんでね。王都に向かうんだろう?」


 しばらくぼんやりとしていたら、目の前にほかほかと湯気の上がるパンを差し出された。ハムとチーズを挟みこんだパンは、いい焼き色ながらふんわりとしている。

 どうやら、道中の食料として持ってきてくれたようだ。王都に向かうなんて、僕は言った覚えがないんだけれど、そういえば初めにこの街で別れた時にあいつらはずいぶんと横柄な態度を取っていたなと思い出した。

 宿を取る前に別れたが、きっと王都から来たんだからなどと言って宿の主人だけでなく街の住人までも困らせたのだろう。迷惑料は、あれでは足りないのではないのだろうか。


「あのお方たちの口には合わないだろうからさ。黙っておいてくれよ」

「ああ、感謝する」


 一口かじれば、素朴ながらもあたたかな味が口の中を満たしていった。



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