22.燻っていた思い
「僕の出自については?」
「護衛に就く事になった時に、父から聞いております。」
父から、と聞いたとたんにシェイド殿下が気を抜いたように少しだけ息を長く吐いた。私の父ならばおそらく正しい情報を知っていると、信用があるのだろう。とはいっても、父の持っている情報を私が全て教えてもらっているのかと言われたら違うのだけれど。
「そうか、ならばその説明はいらないな。僕の母は、身ごもったことに気付いてすぐ、城を出た。そうして、ひっそりと僕を産んで育てていく……はずだった」
「そう出来なかったのは、王家の色ですね」
「ああそうだ。紅を宿して生まれてしまった僕を、隠すことは出来なかった」
シェイド殿下のお母様が、城を出てどこまで行ったのかは分からない。けれど、女性で身重なのだから、それほど遠くまでは行けなかったのだろう。
人の目のつかないところでシェイド殿下を産むことが出来たとは思えないから、きっと協力してくれる人だっていたに違いない。それでも、紅い瞳は隠し通せるものではなかったのだろう。
「王妃様を頼りになられた、と聞いておりますが」
シェイド殿下のお母様が、王妃様付きの侍女だったからこそ出来たことだろう。もっとも、王妃様付きの侍女だったからこそ、国王陛下の目にとまる機会があったのだけど。
「その通りだ。そうして、王妃様は母を守るために側室という制度を作り出した。国王陛下をどのように納得させたのかは、教えてもらえなかったが」
「王妃様と、お言葉を交わしたことがあるのですね。どのようなお方なのですか?」
「とても聡明で、僕の事も実の子のように可愛がりたいと思っていらっしゃるお方だ。母の事だって、大切にしてくれている。感謝を、してもしきれないお方なんだ。なのに……」
そういえば、とロラントお兄様から渡された本には側室という単語は出てこなかったことを思い出した。それがシェイド殿下の存在が書かれていなかったことにも関係しているのだろう。王妃様の子ではないから、正式な王族と認めてもらえずに書物に名前を載せてもらえない、のかもしれない。
ぐっと唇を噛んだシェイド殿下は、何か苦しいものを堪えているような表情を見せた。
「僕は、あのお方がそう願わなければ良かったのにと、考えてしまうことがある」
それは、王妃様がシェイド殿下のお母様を守るような行動をしなければ良かった、という意味だろうか。苦しそうな顔のままのシェイド殿下だけれど、本心ではなさそうだ。
唇は噛み締めすぎたのか端に血が滲んでいるし、拳もぎゅっと握ったままで震えている。なにより、先ほどまで私の顔を見ていたはずの視線が下に落ちている。
「確かに母は生きている。飢えることもなく、僕という存在を隠すために、周りに怯える生活をしなくても暮らしていける」
例えば、シェイド殿下の事を今でも隠して生活できているかと聞かれたら、おそらく無理だろう。出産に協力してくれた人がいるとはいえ、いつまでもどこまでも頼れるわけではないだろうから。
今、私の前にいるシェイド殿下は自分の立場を良く分かっているけれど、それは幼い頃に王城に引き取られているからだ。王家の血を継いでいるというなによりの証である紅い瞳を持っているのに、その存在をあまり知られていない現状は、おそらく王妃様が作り出した。
それは、シェイド殿下とお母様を守るため。
「だが、今の生活は決して母の望んだものではない。それを強いているのは、僕の存在と王妃様なんだと、考えてしまうんだ……!」
シェイド殿下がいなければ、と思うのならば手を出した国王陛下を恨む一言でもあるのかと思った。王妃様付きの侍女であれば、それなりの待遇で生活できていただろう。おそらく、縁談だってあったはず。その生活と、今の王子を産んだという側室という扱いがどのくらい違ってくるのかは想像でしかないけれど、立場だけでいったら王子を産んだ方が優遇されるとは思う。
けれど、シェイド殿下が言っているのはそこではない。お母様が本人の望まないままに立場を得てしまって、そうなった原因が自分だと思っているのだろう。
「シェイド殿下は、王妃様がお嫌いですか」
「嫌うことが出来れば、良かったんだろうな」
「それでは、王子という立場が重荷ですか」
「重くはない、が……果たして自分がどのくらい王子として役に立てているのかとは考えている」
これが初めての任務だからな、と呟いたシェイド殿下は視線を落として項垂れたままだ。
国境でニアマト王国から襲撃を受けて、兵士たちから話を聞いて。そして立場を明かしていなかったシェイド殿下の事を知られていたことも。
いろんなことが一気に起きすぎて、今までは抑え込むことが出来ていた感情の整理がつかなくなったのかもしれない。
それにしても、これが初めての任務だったのは初耳だ。初日に緊張していた様子だったのは、国境争いをしているこの土地に来ることへの不安からだったと思っていたのに。
「私は、シェイド殿下のお母様が王妃様を頼っていただいたこと、良かったと思いますわ」
ずっと俯いたままだったシェイド殿下の視線が、上を向く。のろのろと上がってきた視線は、私の顔を見てからふっと逸らされてしまった。
否定も続きを求める言葉もなかったけれど、たぶん私の声を聞いてくれる意志はあるのだと思う。立ち上がって部屋を出ていくような様子ではないから。
「きれいごとに聞こえるかもしれません。けれど、シェイド殿下のお母様がその判断をしていただいたから、私はこうして言葉を交わすことが出来ています」
ひっそりと産み落とされて、そのまま存在を秘められていたら、こうして会うことも言葉を交わすことも出来なかった。それどころか、この歳まで健やかに成長できていたかも分からない。
だから、私としてはシェイド殿下のお母様がそう判断したことはとても嬉しいのだけれど。
「私も、似た思いを抱いたことがございます」
「……ドルチェ嬢も、か?」
「あれだけ大立ち回りを見せておきながら、恥ずかしいのですが。私も今回が初めての任務ですの」
ニアマト王国との国境争いに見せた模擬戦には参加したことがあるし、毎日の鍛錬は欠かしていない。けれど、お兄様たちのようにお父様から仕事として何かを与えられたことは、今までなかった。
シェイド殿下の言葉を聞いて思い出したのは、その当時私の胸にくすぶっていた感情。
「私の実力が兄たちに比べて足りていないのではないかと、そう思ったこともありましたわ」
五歳上のフェルヴェお兄様。お父様についている時間が一番長いからこそ、その腕を一番信頼されているお兄様。次期領主であるフェルヴェお兄様は周りからの目も厳しいのに、それを努力ではねのけていける強い人。
ロラントお兄様は二つ上。フェルヴェお兄様の補佐として、自分の強みを見つけたお兄様。誰にでも穏やかだという印象を持たれることに、どれだけの努力が必要なのかと気付いたのはいつだったか。
そんなお兄様たちに比べて、私は令嬢としても中途半端だし、兵たちのように毎日のような模擬戦にも耐えられるわけでもない。家族の役に立ちたいのに、何の力にもなれない自分が悔しいと思ったことだって少なくない。
だから、シェイド殿下の気持ちは少しわかるつもりだ。
「ですので、直接聞いてみたのです。私には何が足りないのかと」
「答えを、もらえたのか?」
「ええ。私に足りなかったのは、家族の愛を信じる気持ちでした」
「愛……」
難しい顔をして黙ってしまったシェイド殿下に、うっすらと微笑んだ。確かに、いきなりそんな抽象的な答えを返されてしまっては、どう反応していいのか分からないだろう。
だから、もう少しだけ詳しい話をしようと小さく息を吸った。
「私の事を大切にしてくれていたから、危険だと思うことから遠ざけていたと言うのです。私が傷つくことを恐れていたと」
そんなすれ違いをしていた私達でも、会話がなかったわけではない。他の家と比べることは出来ないけれど、我が家は使用人たち含めてよく話している方だ。それが、会話でなく報告なのだと気付いたのは同じくらいの時期なのだけど。
それからは報告ではなくただの会話を大切にするようになって、今まで以上にみんなの笑顔が増えたから、結果としてはいい方になったのだろう。思いきって話して良かったと、私は自分の行動を認めることが出来た。
「シェイド殿下のお母様も、おそらく同じお気持ちなのではないでしょうか」
「僕は、母に愛されているのか……?」
「それを確かめるために、言葉があるのです。シェイド殿下」
堪えられない感情を隠すように、自分の顔を手で覆ったシェイド殿下の肩が震えている。
涙と共にいろんな感情を出し切ってしまえばいい。抱え込んでいた思いは、この地に置いていけばいいのだ。言葉にならない思いを聞いてくれる人がいるうちに。
「……ぅ、っく……!」
「~♪~~♪~♪」
部屋に響くのは、私の歌だけ。時折漏れている泣き声は、きっとこの歌に負けて誰の耳にも届かないだろう。
どうか、この歌があなたの助けになりますように。




