18.襲撃
「もう一度、ですか?」
「ああ。もう一度、国境まで行きたい。彼らの姿を、目に焼き付けておかなくては」
私の部屋を出た後のシェイド殿下に、どのような心境の変化があったのだろうか。初めて国境に向かった時にはなかった光が、その紅い瞳に宿っているようにも見えた。
王族であるシェイド殿下が、この国の境を守っている兵士たちの姿を見たいと言ってくれたことは、素直に嬉しかった。王都では、この地に対していい感情を持っている人は少ないから。
「かしこまりました。それでは、朝食を済ませたら出発しましょう。他に寄りたいところがなければ、半刻で着くでしょう」
きっと自分の顔を今見たら、にやけていると思う。それくらい、シェイド殿下の言葉が嬉しかった。その気持ちのままに馬を操ったらたぶん半刻よりも早く着いてしまうし、シェイド殿下の事を置いて行ってしまう可能性があるから、朝食の間に気持ちを落ち着けなくては。
「すまない、ドルチェ嬢」
「私はシェイド殿下の護衛ですので、そのようなお言葉は不要ですわ」
お父様からは何も言われていないし、シェイド殿下にも拒否されてはいない。なので、私はまだシェイド殿下の護衛のまま。私にはいらないと言ったとたんにシェイド殿下の表情が少し曇った。言葉をもらえたこと自体は、とてもありがたいことなのだけど。
「ですので、どうぞ国境を守る兵たちにお言葉をかけてくださいませ。きっと喜びます」
「……ああ、そうであるといいのだが」
自分の言葉がそれほどまでに、とでも思っていそうなシェイド殿下だけれど、今はその勘違いを訂正しない。国境に行って直接兵士に声をかけた時の感情が、そのまま伝わった方がいいはずだ。
今まで、見向きもされなかった私達が、こうして王族に見てもらえる機会があるということは、どれだけ大変なことなのかをシェイド殿下は理解していないだろう。それを今回、理解してもらえたらきっとこの先で変わることだって出てくるだろうから。
「ドルチェ」
朝食を済ませ、お互い準備を済ませて馬房の前で待ち合わせだとシェイド殿下と別れてから、自室に向かおうした時にかけられた声。
何か考え事をしているような顔をしたフェルヴェお兄様がそっと近づいてきた。
「フェルヴェお兄様? どうなさいました?」
朝食の席に、お父様はいなかった。もしかしたら何か伝達があったのだろうか。今日はいつも通りの量を食べたから、心配されるようなことはないと思うのだけれど。
「シェイド殿下がいる間、ずっと静かなのも不自然だとロラントが言っていてな。向こうに着いたら小競り合いを起こす」
「!」
言われてみたら、確かに視察が来るという話があってから、ニアマト王国との演習はしていない。訓練はしていたからこれで国境の守護を任せられるのかという疑問は抱かれていないはずだけど、このように穏やかな日が続いていると本当に今も国境での争いが起きているのかという疑問は出てくる。
それを潰す意味でも、ニアマト王国との一戦は必要な戦いだ。
「今、ロラントがニアマトの兵たちに交渉している。向こうも王族を傷つけるつもりはないだろうから、危険はないと思うが」
「万が一の事が起きた場合は、この身を盾にしてお守りいたします」
「お前の腕を疑ってはいない。だが、万一の時には頼んだぞ」
「もちろんです」
元々、護衛を託された時からそのつもりだったのだ。ロラントお兄様が向かっているのならば、こちらを傷つけるような兵士たちは出てこないだろうけれど、シェイド殿下の事を疎ましく思っている存在はいるらしい。
例えば私だったら、そうやって狙っている人を害しても自分の責任にはなりづらいこのタイミングを逃さないだろう。
フェルヴェお兄様が警戒しているのも、こちらの勢だと思われる。
「フェルヴェお兄様、ひとつよろしいでしょうか」
一戦交えると分かっているのなら、護衛としておかしくない程度の武器を持って行かなくてはならない。そうとなれば準備しなくてはならない物が増えるので、急いで自室に向かわなくては。けれど、その前に確認しておかなくてはならない。
「ロラントお兄様はどの道を行きましたか? すれ違ってしまう事にならないよう、別の道を行こうと思いますが」
「ああ、それなら心配いらない。あいつは一人で駆けて行ったからな」
「いえ、フェルヴェお兄様。そうではなくてですね……」
「それじゃあ、俺は準備に向かう。気を付けて行けよ、ドルチェ」
「……行ってしまいましたわ。結局、ロラントお兄様がどの道を通るのか聞けませんでしたのに」
さっと手を上げて背中を向けてしまったフェルヴェお兄様は、私の質問に期待した答えを返してはくれなかった。ロラントお兄様が一人で馬を操って行ったのなら、早いのは知っている。けれど、私達が国境に向かっている間にすれ違ったら、シェイド殿下にどう説明すればいいのか。
手早く自分の武器を確認しながら頭を働かせてみたけれど、しっくりくる理由を思い描くことは出来なかった。
「ドルチェ嬢、前と雰囲気が……」
それから、ロラントお兄様とすれ違うことはないままに国境に到着した。すでに伝達は済んでいるらしく、兵士たちがざわついていた。前回の視察時にはなかった大きな盾やバリケードを見たシェイド殿下は、少しだけ顔を引きつらせている。
「ええ、お気を付けください。どうやら少々タイミングが悪かったようですわ」
「お嬢様! 視察の客人に防具を!」
ピリッとした空気の中で、兵士の一人がシェイド殿下に防具を差し出してくれた。馬に乗るから簡単なものは身に着けてもらっているけれど、シェイド殿下の前にあるのは金属で出来た胸当てなどだ。これを差し出されるという意味に気付かないはずがないけれど、どうやら初めて感じる戦い前の空気に、圧倒されているらしい。
「何かありましたか」
「ニアマトからの攻撃です!」
防具を渡してくれた兵士が身に着けているのは、シェイド殿下と同じ防具。これが私達の用意できる最善の防具なのだけど、おそらく王都の兵士たちから見たら劣るものだろう。
辺りの兵士たちもバリケードを前に動かしたり、武器の補充が出来るようにしたりとバタバタ動き回っている。
ただ立ち尽くしているだけでは何の役にも立たないうえに邪魔になってしまうので、シェイド殿下の手を引いて建物の影に身を隠した。
「やはり、来ましたか」
「ロラントお兄様!? どうしてこちらに」
「俺の部隊のメインは偵察ですよ。不審な報告があれば確認に来るのは当然でしょう」
ふうと一息吐いた私の隣に、当たり前のような顔をして立っていたロラントお兄様は余裕のある笑みを浮かべていた。
ニアマト王国と話をつけたあとに、そのまま留まっていたのだろう。確かにそれならすれ違うこともない。
「本気で攻めてくる装備ではなさそうですが、油断させる作戦という可能性もあります。ドルチェ、シェイド殿下をお守りするように」
「もちろんですわ。ロラントお兄様は、どうなさいますか」
「父上やフェル兄さんが到着するまでの指揮を取ります。足の速いものを送り出していますが、少し時間はかかるでしょうから」
すらりとレイピアを抜いたロラントお兄様は、少しだけ楽しそうに笑う。ニアマト王国とどんな話をつけてきたのかは分からないけれど、シェイド殿下がいるのだから演習程度で済ませるつもりはないのだろう。
「ロラント殿、」
「御安心なさいませ、シェイド殿下。私とて辺境伯の息子です。貴方様の憂いなど、この刃で払って見せましょう」
にやり、と一瞬だけ見せた獰猛な獣のような笑み。それはすぐに見えなくなったけれど、レイピアの冷たい輝きも相まって、今までのロラントお兄様の印象とは違っていたはずだ。
わずかに肩を揺らしたシェイド殿下がその証拠。防具を身に着けようとしている手が震え、かちゃかちゃとかち合わない音だけを響かせる。
そっとシェイド殿下の手を取って、防具を正しく身に着けられたかを確認すると、震えているだけでなく冷たうなっていることに気が付いた。
「タイミングを見て、後方へと向かいます。大丈夫ですわ、ロラントお兄様は強いですもの」
小競り合いを起こすとは聞いていたし、もはや慣れてしまった私から見たらニアマトの兵士たちも、ロラントお兄様も教本に載せられるような綺麗な剣の振り方をしている。
けれど、シェイド殿下はおそらく、このようにガンガンと打ち合う様子を見る機会はほとんどないだろう。
穏やかだった国境に満ちた戦いの空気に圧倒されながらも、視線はロラントお兄様の剣筋を追っている。
兵士たちの声も、周りの音も聞こえていないかのように、目線はずっとロラントお兄様に固定されている。出来るならそのままずっと見ていてほしいとも思ったけれど、一応この場ではシェイド殿下を戦いから遠ざけないといけないので、意識をこちらに向けてもらうべく、わざと強めに袖を引いた。
「シェイド殿下、今ですわ。後ろに走って!」
ハッとした顔をしたシェイド殿下は、ここがどこなのかを思い出したかのような表情をしてから、私の指示したところへと足を動かしていく。焦って足をもつれさせるようなこともなく、後方で待機していてくれた兵士たちのところへと滑り込んだ。
「使者殿、ご無事ですか!?」
「この場は我らが守ります! ご安心を!」
バリケードに守られたシェイド殿下は、兵士たちの動きを見ようとわずかに身を乗り出している。目の前で戦いが起こっているのだから気持ちはわかるけれど、護衛としては体を出すのはよろしくないので、そっと声をかける。
斬撃の音は響いていたけれど、しばらくするとニアマトの兵士たちが引いて行った。ロラントお兄様と最後まで打ち合いをしていた兵士も、じりじりと後退している。
深追いはしないとばかりに、ロラントお兄様が構えたレイピアを下ろすと、兵士もニアマト王国の方へ駆け出していった。
「終わった、のか……」
「ええ。被害が少なくてなによりですわ。シェイド殿下にお怪我はございませんか?」
こうして初めて国境での争いというものを目の当たりにしたシェイド殿下は、へたりと座り込んでしまった。
けれど、その紅い瞳は逸らされることなく、目の前の光景を焼き付けるように見つめていた。




