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17.隠した言葉

シェイド視点

 その声に気が付いたのは、偶然だったのだろうか。

 視察としてドルチェ嬢の案内のままに見て回った箇所は、どこも手入れが行き届いていた。領民が協力してくれていると笑っていたが、国の境目を争う最前線において壊れている物が目につかないなど、果たしてその一言で片づけてしまってもよいものなのだろうか。


「夕食は部屋にお持ちすることもできますが、いかがなさいますか?」


 そう聞いてきたのは、次男と紹介を受けたロラント殿。兄であるフェルヴェ殿と同じ色彩ながら、纏う雰囲気は対照的。人の良い笑みを浮かべているように見えるが、僕に問いかけるときに一瞬だけ、刺すように冷たい視線が送られた。

 その後ろにいるのは、ドルチェ嬢。妹であり、末の子であるドルチェ嬢は、たいそう可愛がられているらしい。

 その姿に、胸の奥が少し傷んだことには気付かないように蓋をして、素知らぬ顔で提案を受け取った。


「報告は、これで書き終えたよな……」


 今回の視察は、初めて王子として与えてもらったのだ。向こうからしたら厄介な存在を害してしまっても、偶然と言い切れる土地に送り出したのだと思っているだろうが。

 今の僕に縋れるものは、この第四王子という肩書だけ。周りからどう思われていようが、これにしがみつく他ないというのに。だというのに、書類を数枚仕上げるだけでもこれだけの時間を使ってしまう。夕食を、共にしなくてよかったと思った。そうでなかったら、きっとこの書類を終わらせるのに日を跨いでしまう。


「少し、気分転換してから寝るか。このままだと夢の中でもうなされそうだ」


 用事があったら鳴らすようにベルは置いてもらっているが、この屋敷の中だったら自由に散策してかまわないとも言われている。さすがに、夜も更けたこの時間に出歩くことを想定しているとは思わないけれど、誰かを呼ぶのも気が引ける。

 到着した時に案内された屋敷は、人の活気にあふれていてそこかしこから談笑が聞こえていたが、今は夜。しんと静まり返ったなかで巡回している使用人の足音だけが響いていると、違う世界に放り込まれたかのような錯覚に襲われる。


 そうして、当てもなくただ気分を紛らわせるためだけに足を動かしていたら、聞こえてきた人の声。立ち聞きするつもりなどなかったのに、気付けばその会話を息をひそめて聞いていた。

 それは、今日ずっと隣で聞いていた声なのに、肩の力が抜けたような声は別人のようにも聞こえて。

 兄と話しているのだから当たり前だという気持ちと、当然のように受け入れられているドルチェ嬢を妬ましく思う気持ち。気が付けばドルチェ嬢に強く当たってしまった。


「何を、言っているんだろうな僕は……」


 開きっ放しのドア、それを少し大げさな音を立てて閉めてからずるずるとその場に座り込んでしまった。胸の中にある、言葉に出来ない思いも全部出すように、深く息を吐きだした。

 それでも、まだ立ち上がれるだけの力はこめられなくて、座ったまま天井を仰いだ。


「あんな事を言うつもりも、なかったのに」


 思い出すのは、ドルチェ嬢のダークモカの瞳。不安そうに揺れ動いていたのは一瞬で、何かを覚悟したような光を宿した彼女から紡がれる言葉に、迷いはなかった。

 音楽を禁止したという国王陛下の発令は、まだこの地に届いていない。というよりも、国王陛下はこの地に触れたくないというような態度さえ見せる。それは、視察について来ようとした奴らも同じだが。

 王城から出るときには確かに一人だったはずなのに、気が付けばさも当たり前のような顔をしてついてきた奴ら。少し前の街で留まったのは、この地に足を踏み入れたくなかったのだろう。隣国との国境争いの負担をすべて背負わせておいて、野蛮だとなじっていたのだから。


「音楽を禁止したのは、国王陛下。僕は、王子なのだからそれに従わなくてはならない。

 けれど……」


 この屋敷に来てから、いつもよりも深く眠れたのは事実。長距離の移動で疲れていたのは、王都を出てからだって一緒だ。少し前の街まではあいつらが一緒だったとはいえ、宿の部屋は一人だった。城にいても、王都を出ても、しっかり寝たという感覚は数えるほどしかないのに。


「眠れないのですか?」

「ロラント殿か」


 いつまでも座っているわけにはいかない。ようやく重い腰を上げて客室に戻ろうとしたときに、曲がり角から現れたのはロラント殿。いると分かっていて声をかけてきたのだろうか、顔のどこにも驚いた様子は見受けられなかった。


「おや、最初のようにお呼びいただいてよろしいのですよ。シェイド殿下。我らはそちらの方が耳に馴染みますので」

「……戦地、ゆえにか」

「そうなりますね。なにせ、俺も生まれてからずっと、この地は戦い続けている」


 国王陛下の代替わりの直後は、日々かなり激しい戦いだったのだと聞いている。だとしたら、このように穏やかな時間を過ごせるようになるまで、どれほど剣を交えたのだろうか。

 そうまでしてこの国を守ろうとしている者たちがいるからこそ、私達は王都で平穏に暮らせている。


「目が冴えてしまっているのなら、どうでしょうか。少しばかり、庭で話でもしませんか」

「私は構わない、が」

「ふふ。お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、私は少々体を動かしておかないと寝付けそうにありませんので」

「そうか、ならばいいのだが」

 

 さくさく、と芝を踏む音が心地よく響く。途中、すれ違った使用人にロラント殿が苦言をもらっていたけれど、それはどうやら体を心配してのことだったようだ。

 私が共にいることで、ドルチェ嬢から護衛を引き継いだと思われてもいるのだろう。もうすぐ日を跨ぐ時刻、さすがに女性が護衛に就くのははばかられる。


「視察は、順調ですか」

「おかげで順調そのものだ。これなら、当初の日程通りで済ませることが出来るだろう」

「それはよかった。実は、視察を受け入れるのは初めてでして。どうにも緊張するものですね」


 穏やかに笑っているロラント殿だけれど、ちらりとこちらを伺うような視線も感じて。そして、それはあえて僕に気付かせるように向けられていた。

 存在を公にされていない王子がいきなり視察にやって来たのだから、警戒するのも無理はないと思う。ドルチェ嬢以外と言葉を交わす機会が少ないからだろう、このようなタイミングを逃さずに僕の事を見極めようとしているのかもしれない。


「……シェイド殿下は、この国をどう思われますか」

「唐突な、質問だな」

「このような時間です。まどろっこしいことは抜きにした方が良いかと思いまして。

 せっかく国境を預かる領地にまで王族がやって来たのですから、一度その意思をお聞きしたい」


 あまりに唐突だったけれど、納得できる部分もあった。辺境伯はどう思っているのか知らないけれど、国王陛下を始め国の重鎮、と称される者たちは不自然な位にこの地の事に触れはしない。

 自分たちが領土を広げるために、隣国に攻撃を仕掛けているのにもかかわらず、だ。国の防衛ラインを任せているのだから、連絡を取っていると思っていたのにそれはプレシフ領からの一方的な報告だけを聞くことで済ませている。

 そんな状況を快く思っていない者がいるからこそ、今回の視察という話が出たのだけれど。


「隣国と、ニアマト王国と国境を争っているという地のわりには、皆穏やかに笑うのだと」

「穏やかに、ですか」

「ああ。街のあちらこちらに向かったのだが、どこにいる民も卑屈ではなかった。始めは、ドルチェ嬢と共にいるからとも思ったがな。無理して貼り付けた笑顔ではなかったのは、それが日常だからなのだろう」


 国境の傍には確かに兵士の姿が多く、民はほとんどいなかったが、嫌な空気ではなかった。見回りをし、鍛錬をし、自分に出来ることを模索する。戦がいつ起きるか分からない緊張感の中でも、穏やかな時間は流れていた。


「だからこそ、この空気を、民の笑顔を失うような事をしてはいけないのだと、心に刻んだ。この身で出来ることは、あまりにも少ないがな」

「そうですか……。王族であるシェイド殿下が見聞きしたものが王都で広まれば、皆も喜びます」

「やはり、王都でこの地がどのように言われているのかを知っているのだな」

「全て、とは言いませんがおおよそは。母も社交界には顔を出しておりますので」


 王都では兵士たちを称えているのに、国境を任せているプレシフ家や、この地については賞賛されているどころか、見下されていると言ってもいい。

 正直、僕だってこの地に来なければその話を信じていただろう。それくらい、王都にいるときと抱く印象が違う。来る前はどうしようかと思っていたけれど、まだ過ごした時間は短いけれども、来てよかったと思える。見て体験したプレシフ領は、これほどまでに報告書とは違うのだから。


「あなたがどう思っているのかを聞けて、良かったです。シェイド殿下」


 それから、ただなんでもない会話をして少し時間が経った時。先に動いたのはロラント殿だった。

 ぱんぱんと小さく膝を払うと、芝が風にふわりと舞った。


「お疲れのところ、長くお付き合いいただきありがとうございます。どうぞ、ゆっくりお休みください」


 客室で別れてから、その足音は真っ直ぐに戻っていった。ロラント殿もゆっくり休んでもらいたかったのに、声をかけるタイミングを逃してしまった。

 薄暗い部屋でベッドを見ると、自分の瞼が重くなったのを感じて苦笑する。あれだけ眠れないと思っていたのに、どうやら体は睡眠を欲しているようだ。


「せめて、この地にいる間だけでも……」


 あの優しい声は、今宵も響いてくれるだろうか。そうすればきっと、悪夢は見ないはずだから。

本当に褒め称えられるべきなのは、誰だ。

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