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16.夜の帳は下りる

 ドアの向こうに、シェイド殿下がいることは間違いない。明言することはなかったけれど、フェルヴェお兄様の目線を見ていれば分かる。誰かが、私の部屋の前で聞き耳を立てているのだと。

 家族や使用人とは違う、不慣れな息の潜め方。思い当たるのは、一人だけ。


「部屋のベルが壊れておりましたか?」


 ドアの傍に近づいて、まずは一声。もしかしたら何か用事があって誰かを探していたのかもしれないので、きっと違うだろうとは思いながらも確認をさせてもらう。

 シェイド殿下が滞在している客室は、ルターを始め使用人が待機する部屋に通じるベルがある。一人の時間も必要だから、とあまりウロウロすることはないけれど、だからといって呼ばれた時にすぐ動けないのでは意味がないからだ。

 視察が来るからと知って私も客室の準備を手伝ったから、不備がないことは確認しているけれど。


「本日の護衛に、申したいことがおありでしたでしょうか」


 あり得そうなのは、こちら。今日の視察は馬で軽く走っただけだったけれど、いくつか質問は飛んできた。私が知っていることは答えたつもりだったけれど、シェイド殿下の望む答えではなかったのかもしれない。

 もしくは、シェイド殿下を狙う手の者を密かに退けていたことに気付かれたのか。シェイド殿下を狙っている者がいるとは知られたくなかったのか、私が馴れ馴れしくシェイド殿下にまとわりついているような素振りを見せている間は、攻撃できなかったのだろう。わざとらしく私が離れた時に狙った者は、フェルヴェお兄様の部隊が捕えていた。雇い主を吐かせるのは、ロラントお兄様の部隊の仕事だ。


「それとも、夜の供をご所望でしょうか」

「そのようなつもりはない!

 ……!」


 思わず、といった声が上がったところでドアを開ける。ハッとしたような顔から、申し訳なさそうに表情を変えた。

 これは一番理由から遠いだろうなと思って口にしたけれど、シェイド殿下もまさか年頃の令嬢からそのような言葉が出るとは考えもしなかったはずだ。

 だからこそ、声を上げてしまったのだから。


「顔を真っ赤になさって、何を想像なさいましたか?

 眠れぬ夜の散歩ならば、お守りいたしますわよ」

「僕をからかったのか」


 耳まで真っ赤に染めたシェイド殿下の口調が乱れている。ここまでずっと自分の事を私と言っていたはずなのに、僕と聞くだけで少しだけ幼く見えてしまう。もしかして、そう思われたくないからずっと私と称して口調を改めていたのだろうか。

 シェイド殿下本人は、口調が乱れたことに気付いていないくらい焦っているみたいだ。そっと部屋に招き入れたけれど、何も言う気配がない。ドアは開けたままだから、疑われるようなことにはならないだろう。情報を得るために、近くにロラントお兄様の部隊が控えているだろうし。


「からかってなどございませんわ。夜も更けた時間に婚約者でもない女の部屋を訪れるのです、そういう意図があると考えるのも仕方のないことだと思われませんか」


 我が家にはそのような勘ぐりをする人はいないから、これから先もシェイド殿下との関係を疑われるような噂すら流れることはないだろうけれど。


「重ねるが、そのような意図はない。ただ」

「ただ?」


 何かを探るような紅い瞳が、私の事を見つめている。そこには、この部屋に入って来た時の赤面した様子など見受けられない。


「この屋敷に滞在するようになってから、時折聞こえる声の正体を探っていただけだ」

「声、でございますか」

「知らないはずはないだろう。この屋敷に住んでいるのだから」


 視察として滞在している日が短いシェイド殿下が聞いていて、住んでいる私が聞いていないのはさすがに無理がある。

 この屋敷には、声が満ちている。家族の声、使用人たちの挨拶、兵士たちの会話に領民たちの日常。そして、私の歌。

 シェイド殿下が探っている声は、きっと。


「国王陛下から禁止だと発令されたのだ。私は、視察に来たこの地で見聞きしたものを報告する義務がある」


 シェイド殿下は、おそらく気付いている。その話を聞いてから私の態度が変わったのだから、疑問に思うのは当たり前のことだろう。

 今、そうやって思えるのに先ほどまではこんな簡単なことに思い至らないのだから、冷静さを欠いていた。それに、フェルヴェお兄様はいち早く気付いたから声をかけに来てくれたのだろう。大雑把に見えるけれど、人の事を良く見ているフェルヴェお兄様らしい。


「ドルチェ嬢、隠している者はどこだ」

「……目の前におりますわ」


 そう考えたからだろうか、思っていたよりもすんなりとシェイド殿下に答えることが出来たのは。

 シェイド殿下は私の言葉を聞いても何か反応をすることはなく、ただ静かに聞いているだけだ。誤魔化したり、そ知らぬふりをすることも出来たのかもしれないけれど、そうしてしまうと私自身が好きな歌を汚してしまうような気がしたから。


「説明を、させていただけないでしょうか。シェイド殿下」

「ああ、聞こう」


 きっと話は長くなる。窓が見えるお気に入りのソファーは、私が一番座っているところだけれど、この部屋の中でシェイド殿下に使ってもらえる質なのはそのソファーしかない。

 シェイド殿下がそっと腰を下ろしたのを確認してから、私も別の椅子に腰かける。お茶の用意はないけれど、部屋に軽くつまめるお菓子は備えてある。夕食後だからもしかしたら必要ないかもしれないけれど、何もないとなると会話だけでしか時間が続かない。

 私の気持ちに余裕を持たせるという意味でも、お菓子は必要だ。


「初めに歌い出したのは、ただ兵士たちの緊張を解すためでした。幼い私が遊んでいるようにも見えたのでしょう」


 記憶に残っているのは、私がくるくる回りながら兵士たちの間を歩いているところ。きっと、行進の中に混ざったつもりでいたのだろう。微笑ましく見守ってくれていた兵士たちに褒められて、家族からも頭を撫でられて歌うのは喜ばれることだと学んだのかもしれない。


「けれど、いつからか私は、私のために口ずさむようになりました。不安も、あったのかもしれません」

「不安、か。ドルチェ嬢が生まれた頃から、この地は国境を争っている。当たり前にあるものに気付いたのだろうな」

「そうですね、きっと幼く何も分かっていなかった現実を、理解できるようになったのでしょう」


 シェイド殿下は、幼く見えるけれど私よりも年上なのだとロラントお兄様が教えてくれた。フェルヴェお兄様よりは年下だと言っていたけれど、実際の年齢までは教えてくれなかった。

 ただ、私が生まれた時の状況は知っているのだから、むやみな発言は慎むようにという忠告も含まれていたのだろう。


「国境を預かり裁量をいただけておりますが、我が家が属するのはコーランド王国であり、剣先を向けるのは、ニアマトへ向けて」


 いくら秘密裏に手紙を送り合い、合同で演習を行っていようとも私達の領地は、コーランド王国のものだ。そこを変えて、国王陛下に反旗を翻したいわけではない。争いを、わざわざ起こしたいわけではないのだ。


「領民は、国王陛下が音楽を禁止したことを知っているはずです。そして、家族も。

 知らずに、国の意に反し歌っているのは私一人。」


 領民たちは教会にある楽器を使っていないし、合わせて歌う声だって聞こえてこない。いくら国王陛下とお父様の関係が冷え切っているとはいえども、国から発令されたものを無視するなんてことはない。

 私に、意図的に知らせていなかったのだとしたら。きっとこういう時のためなのだろう。


「この身だけでは足りぬでしょうが、どうぞ領民には温情を頂きたく」


 椅子から降りて、シェイド殿下の前で跪く。さらりと肩から滑り降りた自身のキャラメル色の髪が視界を埋める。お父様から譲り受けた色、甘いお菓子のようで気に入っているから長くしていた髪。


「何か、勘違いをしているようだが」


 戸惑ったような声に、そっと顔を上げると難しい顔をしたシェイド殿下が私を見ていた。

 勘違いをするような事は、あっただろうか。国から禁止されている音楽、金属を使っていない歌だと言い逃れは出来ないのは、第四王子であるシェイド殿下の耳に入っているからなのに。


「報告する義務はある。だが、そのことに関して処罰を決めるのは私ではない。国王陛下だ」

「もちろん、存じております。ですが、報告をなさるのはシェイド殿下です」

「私に、偽りを書けと言っているのか?」


 王都で冷遇されていようが、存在を秘されていようが、この人は正しく王族であるという自負の元にこの地に視察に来たのだ。

 それを曲げろと言っているように聞こえたのだから、怒るのは当たり前のことだろう。


「シェイド殿下は、お優しいのですね」

「今更ご機嫌伺のつもりか? あいにくだが――」

「国の意に反した女を一人、この場で切り捨ててもよろしいのですよ」


 そうできるだけの権力を、お持ちのはずです。続けた言葉は、シェイド殿下の耳に届いただろうか。見開いた紅い瞳には、跪いている私の姿が映っている。

 言葉にはしなかったけれど、お兄様たちだって、お母様だって、お父様も。私が一人、この場で切られると考えなかったはずはない。

 お父様は、正式な通達が届かない限りは、音楽を禁止しないと言った。けれど、王族の前では辺境伯の権力だって通用しないのだから。

 ここでシェイド殿下が私に切りかかってくるようだったら、即座にニアマト王国の兵たちと共に王都へ攻め入るくらいはしそうだけれど。


「シェイド殿下はそのようなことをなさらないでしょう? ですから、お優しいと申したのです」


 何か言葉を探して、でも今の気持ちを伝えきれる言葉が見つからなくて。アンバーの髪の隙間から覗く紅い瞳は、戸惑う感情を示すようにあちらこちらへと彷徨っている。

 無言の時間は、それほど長くなく。ほどなくしてわずかな布の擦れる音だけで立ち上がったシェイド殿下が、ドアの方へと体を向けた。


「……夜分遅くに邪魔をした。また、明日からも護衛は任せた」

「承りました。どうぞ、良い夢を」

「ああ。

 ……これは独り言だが。この地では、悪夢を見ないんだ。優しい声が、響いているからだろうか」


 答えを求めることもなく、そのまま退出したシェイド殿下の顔は、少しだけ期待しているようにも見えた。


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