15.星なき夜に
心配をかけている自覚も迷惑をかけているという不安もあり、夕食は家族だけだったのにどうにも料理が喉を通っていってはくれなくて。
使用人も気にしてくれていたけれど、食事は早々に切り上げて自室に戻ることにした。
「いつもだったら、歌えば不安も晴れるのに……」
まさか、その歌が不安の種になるようなことが起こってしまうとは。楽器を使うわけではないから金属は必要ない。けれど、楽器が徴収されたのではなく根本となる音楽を禁止されてしまっているのだったら、金属を使っていないというのはただの言い訳にしか聞こえないだろう。
「この地には、娯楽が少ない。だから、兵士たちが楽しみにしてくれているのは嬉しいわ」
整理するために、自分の考えを口にする。少しだけ窓を開けて、外の空気を吸いながら思ったことをつらつらと口にすれば、少しはすっきり出来るかもしれないと思ったから。
けれど、目の前に広がるのはどんよりと曇った空。星も隠れ、月もぼんやりとしか見えない空は、まるで私の気持ちのようだ。
「けれど、私の行動が領地を危険に晒すなど、そんなことはしたくない」
「そうだな。立派な考えだ」
「フェルヴェお兄様!?」
いつの間に隣にやってきていたのか、風に揺れるネイビーの髪を軽く押さえているフェルヴェお兄様は、お父様譲りのグリーンの瞳をわずかに細めた。
「勝手に部屋に入ってすまない。ルターがドルチェの食事量を気にしていてな」
そのまま私の隣に座り、顔色を確かめるようにそっと頬を撫でられた。馬に乗ったあとなのに食の進みが悪かったから、様子を見に来てくださったのだろう。いつもだったら食べきれる分を、残してしまったから。
「それにしても、お前が気付かないとは。そんなに思い悩んでいたか」
ハッとしたけれど、今更取り繕うこともできないので素直に頷く。普段なら、私の部屋に誰かが来たらノックされてすぐに返事できるのに、今はノックの音すら聞き逃した。もしかしたら、わざとノックをせずに入って来たのかもしれないけれど、それでも普段だったら気付けていた。
そちらに意識を向けられないくらい悩んでいる、そう言われても仕方のないことだ。
「我が領は、特殊だ。それは辺境を預かっているというだけではない」
「ニアマト王国と、交流を持っているからでしょうか?」
「それも一つだ。だが、コーランド王国のなかでも、ニアマトと縁を持っている者はそれなりにいる」
行商人とかな、とフェルヴェお兄様が笑う。国としての取引をしてはいないけれど、個人で運べる量の交易だったらこっそりと行っている商人は、確かにいる。このプレシフ領を通ってニアマト王国に行く商人は、誰もがこの地のことを見下したりせずに友好的だ。
兵士たちに護衛をお願いしているのでお互い顔見知りも多く、個人的な頼み事をしている姿だって見かけるほど。
「では、どうして国王陛下はニアマト王国への侵攻をすすめていらっしゃるのでしょうか。国の領土は広がっている、と発表されておりますが」
個人でも交流したいと思えるような隣国ならば、国として友好を深めた方が良くなると思うのは、政を知らない小娘だからでしょうか。力づくで奪ったものは、いつか同じ手段で奪い返される可能性だってあるのに。
国王陛下から発表があった通り、領土を広げたのだとしたらもしかして集めた金属は、そちらに新しく配置した兵士たちへの支給に使われているのではないだろうか。そんな考えもよぎったけれど、目を伏せてゆっくりと首を振るフェルヴェお兄様は、私の考えを肯定しなかった。
何かを考えるような仕草を見せたから、この話は濁されてしまうのではないかと思ったのに、フェルヴェお兄様は声のトーンも変えることなく、話を続けてくれた。
「実際は広がってなどいない。お前も分かっているだろう、ドルチェ。この地以外は険しい山脈に囲まれていて、抜けるだけでも消耗は激しいと」
王都の兵士たちの訓練がどのようなものかは聞いたこともないけれど、以前王都に住んでいたという兵士から聞いた話だと、山脈を抜けるのには相当の準備がないと厳しいらしい。
この地は拓けていて山越えの訓練にはならないから、王都に訓練に行くかとロラントお兄様が言っていたこともあった気がする。結局、王都の兵と出会ってしまったら説明が面倒だからと取りやめになっていたけれど。その時に準備した装備を思い出すと、確かにあれを背負って山脈を抜けるのならば、それだけで交戦したくらいの消耗はするだろう。
「音楽を禁止したのは、金属が足りないというのもあるだろう。だが、別の意図もあるだろうと俺は思っている」
「別の、意図ですか?」
「母上が言っていただろう。王都では、幼い子供でも兵を讃えていると」
それは、王都での社交を終わらせて戻って来られたお母様が言っていたこと。いくつかの家との関係を考えなくては、と仰っていたから私も覚えている。
けれど、それなら勇敢な兵士たちを賞賛する歌が作られていてもおかしくはない。
「例えば、集めた金属を防具として兵士たちに持たせ、アピールするとかな。王都の兵たちは、ニアマト王国の兵からの傷など、ひとつもついていないと防具を見せられたら。切れ味鋭い剣を見せられ、この一閃でニアマト王国の兵を退けたと言われたら、どう思う」
「その一部として使ってもらえるのなら、と誇らしく思えるのかもしれませんわね」
「讃えるよりも、自ら武器を取る勇敢なものにならないのかとその場で問われたら、きっと流されるだろうな」
フェルヴェお兄様の言うことは確かに効果的だ。実際に目の前で兵士たちが闊歩していたら興奮しないはずがない。そして、楽器もなく音楽が禁止された今、自分たちが国のために出来ることはと問われれば兵士として志願すると言い出したって、なにもおかしくない。
むしろ、その場ではきっと勇気ある者として扱われるのだろう。そんな待遇をされて、悪い気など起きないはずだ。
「今の王はな、前王陛下の影に怯えているんだ。隣国であるニアマト王国とも有効な関係を築こうとしていた上に、国の在り方を憂い変化をもたらそうとしていた。
そんな前王陛下の評価は高い。どうしたって比べられるのだろう。それが、あの王には重いのだろうな」
前王陛下と、ニアマト王国の国王陛下、そしてお父様。若かりし頃を共に過ごしていた三人だったからこそ、いい関係を築けていたのだろう。そして、それは国という大きなものにも刺激を与えていたはず。
前王陛下が病に倒れ崩御してから我が国の方針が変わってしまっても、ニアマト王国とお父様の関係が変わっていないのは、きっとその時から続く信頼があったから。
「……一国を背負う重さは、私には想像もできません。ですが、自身を強く見せようとするためにニアマト王国への侵攻を繰り返しているのだとしたら、その理由を認めるわけにもいきませんわ」
「そうだ。前王陛下か父上か、どちらに先見の明があったのかは知らないが、この地にプレシフの名を継ぐ者がいる以上、国王とて好きには出来ん。だが、向こうが焦っているのも事実だろう」
この地で生まれ育っている以上、戦うことをやめたほうがいいのではと言うつもりはない。私達が国境争いをしていると、国境を守っているのだと王都の住人が思っているから平穏な生活を送れているのだと思う。
けれど、兵士たちが傷ついた姿を見てなんとも思わないのかと言われたら、それは違う。だからこそ、私はナイフを取って技術を磨いているのだから。
お父様と前王陛下がどのような話をして、この地の守護を担うことになったのかは、まだ私は知らない。けれど、フェルヴェお兄様がそう言うのであれば、きっといつか私も知ることになるのだろう。そう思ってもらえるような存在に、なりたい。
「結果論だが、今回の視察に王族がやって来たことはいい機会だと思っている。現実を正しく見聞きし、それでも変わらないのならば」
「フェルヴェお兄様?」
中途半端なところで言葉を濁したフェルヴェお兄様は、首を傾げた私を見て苦笑いしている。そうして、優しい手つきでぽんと頭を撫でると、一度部屋のドアの方に視線を送ってから深く息を吐いた。
フェルヴェお兄様は長男だ。そして、お父様と一番長い時間を共にしている。次期当主としてきっとたくさんの事を教えられていて、考えているのだろう。
補佐をしているロラントお兄様が話を進めるように見えているのかもしれないが、判断を下すのはフェルヴェお兄様なのだから。
「いや、この場で言葉にするのは留めておこう。
明日からの護衛もドルチェに任せると、父上からの伝言だ。ゆっくり、休みなさい」
「はい、ありがとうございます。フェルヴェお兄様」
そのまま夜の走り込みに行くのだと言って、私の部屋に一番近い木の手ごろな枝に飛び乗ったフェルヴェお兄様は、危なげなくするすると木を降りた。
部屋のドアから入って来たのだから、そちらから出ればいいのにとも思ったが、向こうに来客がいるのが分かっていたために出れなかったのだろう。
しばらく待っていても、立ち去る気配もないので静かにドアに近づいてから、気付いてもらうためにノックをする。
「どうぞ、お入りください。鍵は空いておりますので。
……シェイド殿下」
ドア一枚隔てた向こうで、息をのむ音が響いた。
かくれんぼですか?
では、私達の勝ちですね。




